第55話 話し合い(1)

 ――玄関から聴こえてきた物音で目を覚ます。


 シュヴァルツ様が帰ってきたんだ。

 朝、彼をお見送りした後、エプロンだけ外したメイド服姿で泥のように眠りこけてしまった。

 ……昨夜は一睡もできなかったのに、お昼寝はたっぷりだなんて、いいご身分だ。自分の図太さに呆れてしまう。

 空はまだ明るいから、早く帰ってきてくれたみたいだ。


「おかえりなさいませ」


 階段上から声を掛けると、両手いっぱいに荷物を抱えたシュヴァルツ様が見上げてくる。

 桃やオレンジの入った袋や、小料理屋のお惣菜の包みが数種類。取っ手のついた箱は多分スイーツだ。

 夕飯は買ってくると言っていたけど、これは……。


「随分たくさんですね」


「何が食べられるか分からないから、色々見繕ってきた」


 眼を見張る私に、彼は事も無げに返す。

 ……食べないって選択肢はないんですね、食欲がないのですが。私が朝昼抜いたって知ったら、怒りますか?


「夕飯には早い時間だが、食うか?」


「いいえ、まだお腹が空いてなくて……」


 差し出されたオレンジを、私は両手を広げて辞退する。

 胸の奥がどんより重くて、何も喉を通らなそうだ。


「では、少し話そうか」


 先を歩くシュヴァルツ様を追いかけて、私は居間に入る。

 暖炉の側の長椅子が彼のお気に入りの定位置だ。私は対面のソファに腰を下ろす。この座った場所は初めて会った日の面接と同じで、なんとなく……そわそわする。

 シュヴァルツ様はローテーブルにサイフォン式のコーヒーメーカーを持ってきて、アルコールランプに火を灯す。


「私がやりますよ」


「湯くらい俺にも沸かせる」


 恐縮する私を一笑に付し、フラスコの水を温める。


「昨夜の件だが」


 ロートにコーヒーの粉を入れながら切り出されて、私は身を固くする。


「どう解釈したのか知らんが、俺はミシェルを解雇する気は欠片もないぞ」


 フラスコからロートに上がってきたお湯に、コーヒーの粉をかき混ぜる。


「ただ、お前はこの家に来てから一度も里帰りをしていないから、纏まった休みをやろうと思っただけだ。王都では一般的に『誕生日休暇』なるものがあると補佐官に聞いたものでな」


「そうだったんですか……」


 私は安堵に胸を撫で下ろす。じゃあ、解雇っていうのは完全な私の勘違いだったのか。暇を出されて実家に帰れなんて言うから、てっきり……。


「すみません。よく確認もせず勝手に取り乱してしまって」


 ヘラヘラと笑って後頭部を掻く。

 ……良かった。まだここに居ていいんだ。


「お心遣いありがとうございます。でも、休暇は頂かなくて大丈夫ですよ。週に一度はお休みをもらってますし、わざわざ帰省するほど実家は遠くありませんし」


 私はシュヴァルツ様に努めて明るい笑顔を向ける。

 後は昨日の大暴れを有耶無耶にして、早く日常を取り戻さなきゃ。

 もう、あんな嫌な記憶は忘れてしまおう。

 そう思っていたのに……。


「で、ミシェルの方はどうなんだ?」


 フラスコに落ちきったコーヒーをカップに移し、彼が私の前に置く。


「どうしてそんなに実家を恐れる?」


 キュッと喉の奥が絞まって苦しくなる。

 ……やめて。それ以上踏み込まないで。

 声無き懇願に気づかず、すべてを見透かすような黒い瞳が私を捕らえる。


「俺はと言っただろう? 聞かせてくれ、ミシェルのことを」


 シュヴァルツ様の瞳に映る、怯える自分の顔を見つめながら、私は……。

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