第54話 一夜明けて

 目を開けたまま、明るくなった窓の外から流れ込む雲雀の囀りを聴く。

 ……結局一睡もできなかった……。

 メイド服のままベッドに寝転んでいた私は、気だるい体を無理矢理起こした。

 ……昨日の醜態を思い出すと、衝動的に窓から飛び出したくなる。


『実家に帰れ』


 その一言であんなに取り乱すなんて思っても見なかった。

 ガスターギュ邸は居心地が良すぎて、毎日が楽しすぎて。いつしかこの家にずっと居られるのだと錯覚していた。

 それに……新しい使用人のことだ。

 常々、この屋敷の規模に使用人わたし一人では足りないと感じていた。食事だけは十分に提供できるようにしているけど。掃除は区画に分けて数日掛けて行っているし、庭の手入れも進んでいない。金貨だって、書斎に積まれたままだ。

 でも、いざ実際に増員と言われると、全身の血が凍った。

 今まで積み上げてきたものが……、私の居場所が、見ず知らずの他人に奪われると思ったら、怖くて仕方がなくなってしまったのだ。

 この家はシュヴァルツ様の物で、彼は私の雇用主。

 一介の使用人の私には、人事に口を出す権限なんてないのに。


 今の暮らしが楽しいから、実家に帰りたくない。

 他に頼る宛を作って欲しくないから、使用人は私一人でいい。


 だから……自分の居場所を失う恐怖に堪えきれず、パニックを起こして泣き叫んだ。


 ……結局私は、自分の利害しか考えられない人間なんだ。


 なんて浅ましい。こんな醜悪な私なんて、嫌われて当然だ。

 ……シュヴァルツ様は、私を解雇する気はないと言っていたけど……。

 きっと、お優しいから私に気を遣っているだけで、本当は愛想を尽かしているに違いない。

 どこに行っても私は、いらない子のままだね。


「もう、誰も知らない場所に行きたい」


 投げやりな言葉が口をついて出るけど……。

 ……シュヴァルツ様は今日、話し合おうって言ってたよね。でも、


って、なんだろう?」


 私が勝手に大騒ぎしただけなのに、シュヴァルツ様にも話したいことがあるのかな?

 ……怖くて何も聞きたくないけど。

 とにかく、朝ご飯の支度をしなくては。

 私は新しいメイド服に着替えて、部屋を出た。


◇ ◆ ◇ ◆


「あ……」


 厨房に行くと、部屋着姿のシュヴァルツ様がいた。寝起きの悪い彼が、こんな早い時間から活動しているなんて珍しい。

 私に気づいた彼は、少しだけ表情を緩めた。


「おはよう、よくねむ……れていないようだな」


 質問の言葉が途中で回答に変わる。……バレましたか。


「おはようございます」


 挨拶しながらシンクを見ると、水切りカゴには昨日の食器が。ご主人様に洗い物をさせてしまいました……。


「昨日はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。今すぐ朝食のご用意を……」


「いや、いい」


 深々と頭を下げる私を、彼が遮る。


「今日は早朝会議ですぐ家を出るから、朝飯はいらん」


 そういう予定は前日の夕食時に教えてもらうのですが、聞きはぐっちゃいましたね。

 シュヴァルツ様は少し屈んで、私と目線を合わせる。


「体調はどうだ? 調子が良くないなら、俺も休んで家に居てもいいぞ」


「大丈夫です」


 私は微笑んで見せる。体はどこも悪くないし、会議をサボらせるわけにはいきませんから。

 彼は何か言いたげに口を開いたが、一旦閉じて別のことを喋り出す。


「お前の朝昼の飯は、俺の朝食用の食材を使い回せるな。晩飯は俺が買ってくる。ミシェルは今日は一日家事をせずに休んでいろ」


 シュヴァルツ様は食事のことばかり気にするけど、『人間、飯が食えるうちは死なない』というのが彼の持論だそうです。……多分、すごく私を心配してくれています。申し訳ない。

 でも……家事をしないと使用人わたしの存在価値がなくなっちゃうな。


「あの、私、本当に何とも……」


「命令」


「……はい」


 うちのご主人様は、たまに暴君です。

 項垂れる私の頭に、シュヴァルツ様はふわっと掌を載せた。


「帰ったら昨夜のことをちゃんと聞くから……黙って出ていくなよ?」


 え? と見上げると、彼は微かに苦笑して、


逃亡とぶ寸前の新兵の顔をしている」


 ……それもバレてましたか。

 でも……何を聞かれるんだろう?

 昨夜は話の途中で頭が真っ白になっちゃったから、シュヴァルツ様の言葉もロクに覚えていない。

 ……また取り乱したらどうしよう。今度こそ嫌われてしまう。


「では、いってくる」


「はい、いってらっしゃいませ」


 ――これが最後のお見送りになるかもしれない。

 シュヴァルツ様を送り出した私は、処刑台に向かう気分で自室に続く階段を上っていった。


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