第53話 慟哭(2)

 カツンと足元で金属音がした。それが自分の手からフォークが滑り落ちた音だとさえ気づかない。手足が冷たくなって痺れてくる。

 私は必死で藻掻くように言葉を吐き出す。


「わ……私、お役に立てませんでしたか? 何かお気に障ることをしましたか?」


「何のことだ?」


 困惑げなシュヴァルツ様の瞳に、卑屈に歪んだ私の顔が映っている。


「私……、解雇クビなんですよね?」


「は?」


 だって、暇を出すから実家に帰れって。新しい使用人を雇うって!


「私のどこがダメでしたか? 私の何が足りませんか? どうすれば良かったんですか!?」


 ……いつもいつも考えていた。何故、頑張っても認めてもらえないんだろうって。継母や継姉、それに……実の父でさえも。

 やっと私を必要としてくれる人と出逢えたと思ったのに。

 やっと自分の居場所を見つけたと思ったのに。


「じ……実家に帰れなんて言わないでくださ……っ、あの家には……」


 ……もう戻りたくない。

 とめどなく涙が溢れ、しゃくり上げる。


「お願いです。クビにしないでください。悪いところは直します。言いつけには従います。ですから、どうか……」


 懇願する私に、彼は眉根を寄せて手を伸ばす。


「どうしたんだ? ミシェル。何か誤解が……」


 大きな掌が、私の肩に触れかけた……瞬間。


「ひっ!」


 言いしれぬ恐怖を感じ、私は椅子から転げ落ちた。


「ミシェル!?」


 慌てて駆け寄ってくる彼に、私は顔も上げられない。

 どうしよう、シュヴァルツ様を不快にさせてしまった。きっと私に失望した。怒られる。捨てられる。


「ごめんさなさい。ごめんなさい。許してください。私、もっと頑張りますから。お役に立てるよう努力しますから。だからここに居させてください。お願いします。お願いします。お願い……」


 身体も声も震えている。

 どうしよう。絶対に嫌われた。こんなはずじゃなかったのに。こんなつもりじゃなかったのに。

 私が悪い。全部私のせい。だから私は疎まれる。

 結局私は、どこへ行ってもダメなままだ。

 息が苦しい。吸っても吸っても息ができない。手足が痺れて力が入らない。


「ミシェル、息を吐け」


 蹲って泣きじゃくる私の傍に、彼が膝をつく。


「ゆっくり吐いて、吐いて、それから吸うんだ。大丈夫、焦るな」


 どっしりと重厚な声が耳元で響く。彼に合わせて呼吸をすると、ちょっとずつ苦しさが溶けていく。

 嗚咽に隆起する背中が小さくなるのを待って、シュヴァルツは私の顔を覗き込んだ。


「……落ち着いたか?」


 冷静に尋ねられて、ビクッと肩が跳ねる。


「はい……」


 目を逸らして恐る恐る答えると、彼は小さく息をついた。


「何か誤解があるようだが、俺はミシェルを解雇する気はないぞ」


 ……え?

 どういうこと? 状況が飲み込めない。

 驚きに顔を上げると、シュヴァルツ様は困ったように目を細めた。


「言い方が悪かったのなら謝る」


「い、いえ……それは……」


 それから彼は、躊躇いがちに放心状態の私の手を取った。


「動けるか?」


「はい……」


「では、自室で休め。横になった方がいい」


 体を支えて立ち上がらせてくれる彼に、私は狼狽える。


「あの、シュヴァルツ様、私……」


「明日ちゃんと話し合おう。今夜はもう寝ろ」


「でも、食器の片付けが……」


「 寝 る ん だ 」


「……はい」


 私の細やかな抵抗は有無を言わさぬ迫力のある声に押し潰され、そのまま自室に強制連行される。


「しっかり休めよ」


 部屋に入れられ閉まるドアを振り返ると、疲れたように俯くシュヴァルツ様が見えた。


 ……私はなんてことをしてしまったのだろう。


 蔦が絡みついたように体が重い。私は暗鬱な気持ちを引きずったまま、ベッドに倒れ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る