第9話 シュヴァルツ様のこと
黄金色に炊き上げられたジャガイモを一口頬張ると、煮汁の旨味がじんわり口の中に広がる。
ああ、美味しい!
私が幸せを噛み締めながら、ふとシュヴァルツ様のお皿に目を遣ると……。
ない!?
十枚の大皿のうち、半数はもう空になっていた。
え? はやっ!
あの両手より大きな鯉の姿揚げも、根野菜の煮物も、鶏肉の炒め物も、全部食べたの?
私がこっそり見守る中、彼は飴色の焼き目のついたスペアリブを黙々と骨だけに変えていく。
すごいスピード、すごい食欲。
注文した時、二~三人前のメニューを十皿も頼んだから、てっきりお金持ちらしく好きなだけ食べて残すのかと思ったら……。
余裕で召し上がれる量でした。
呆然としていると、シュヴァルツ様は私の視線に気づいたのか、サッと頬を赤らめ食事の手を止めた。
「……ずっと前線基地にいたから、食える時に素早く食う習慣がついてしまったのだ。体力を使うから、すぐ腹が減るし……」
そんなしどろもどろで言い訳しなくても大丈夫ですよ。
「いえ、ご自分のペースで召し上がってください」
私は微笑み返して、自分の食事に取り掛かる。私はまだ取り分けたお皿の一品しか食べていない。このままではシュヴァルツ様の方が先に食べ終わってしまう。使用人がご主人様をお待たせしてはいけないのに!
……と焦ったのだけど。
「ミシェルも自分の速度で食べるといい」
シュヴァルツ様が先手を打ってくる。
「お前の食べ方は、何というか……丁寧で小気味よい。育ちが良いのだろうな」
「それほどでも……」
謙遜しながらも、食事のマナーは母に厳しくしつけられたので、褒められると嬉しい。
「あの、少しお聞きしてよろしいでしょうか?」
フォークを進めながら、私は切り出す。
「何を?」
「シュヴァルツ様のことです。お屋敷で働かせていただくにあたって、いくつか確認したいことがございまして」
「ああ、好きに聞いてくれ」
「では……」
私はコホンと咳払いして、
「シュヴァルツ様はご結婚なされてますか?」
ブホッ!!
将軍は盛大に噴き出した!
「だ、大丈夫ですか!?」
苦しげに噎せ返るシュヴァルツ様に、私は席を立って彼の背中をさすりつつ、ハンカチを差し出す。
「……すまん、想定外すぎて……」
ハンカチで口元を押さえ、無理矢理息を整える将軍。
そんなに変な質問だったかな?
「すみません。お世話をさせていただくにあたって、同居のご家族の人数を把握したかったのですが」
意図を伝える私に、シュヴァルツ様は「そうか」と頷く。
「結婚はしていない。同居の家族も。あの家には一人だ」
うん、確かに人の住んでいる気配はなかった。
「でも、クローゼットに女性の衣類やベビーベッドのある部屋があったのですが」
「それは前の住人が置いていった物だ。あの家は、没落貴族が売りに出した物件で、俺が家具ごと買い取ったのだ。俺は王都に来て日が浅い。あの家で暮らし始めたのも三日前からだ」
「三日ですか……」
だから、家具には長らく使われた形跡がなく、埃が積もっていたのか。
「では、その前は何を? どのような経緯で王都に?」
更に尋ねると、シュヴァルツ様は例のごとく眉間にシワを寄せて、
「話せば長くなるぞ?」
「聞きたいです」
これからの為にも、貴方のことが知りたい。
シュヴァルツ様は記憶を辿るように、訥々と語り始めました。
◆ ◇ ◆ ◇
シュヴァルツ・ガスターギュは国境沿いの小さな村で生まれた。
貧しいながらも幸せな生活を送っていた彼ら家族を悲劇が襲ったのは、シュヴァルツが6歳の時のこと。
隣国の侵攻で村が壊滅してしまったのだ。家族を殺され、身一つで逃げたシュヴァルツ少年は、我軍の駐屯地に保護された。そこで雑兵として働き出したのだ。
最初は補給部隊に配属されたが、武術の才を見出され、十歳にならぬ内から最前線で戦うようになった。
怪物のような巨体から繰り出される戦斧の一撃は兵士を震え上がらせ、青年期に差し掛かる頃には、彼は『戦場の悪夢』という二つ名で呼ばれるようになった。
そして、戦術にも長けた彼は、前線で司令官が戦死し、崩れかかった軍を自ら指揮して立て直し、敵を撃破したことで騎士の称号を授かり、戦争集結時には将軍の座まで上り詰めていた。
それは、軍人なら誰もが憧れる出世コースだけど……。
「俺が敵軍の要塞を陥落させたのが切っ掛けで戦争が終わり、和平協定が結ばれたのだが……」
シュヴァルツ様は鹿爪らしい顔でため息をつく。
「国王陛下は俺に褒美として爵位を与え、国境付近一体の土地を治める権利をくれると言ったんだ」
……それって、辺境伯としてこれからも国境の動向に目を光らせろってことよね?
「だが俺は、もう戦いに飽きていたし、領主って柄でもない。だからその誘いを断ったんだ」
「え!?」
叙爵って断れるものなの!?
「で、爵位より金が欲しいって言ったんだ」
「えぇ!?」
不敬! 大丈夫なの? それ!
「それで、領地を貰うのに相当する報奨金を貰ったんで軍人を引退する気だったんだが、陛下に『王都に来て後続の兵士を育ててくれ』と打診されてな。最近辺境から
シュヴァルツ様は皿を飲み込む勢いでポタージュスープを呷る。……スープ皿に口つける人、初めて見ました。
「で、最初は兵士用宿舎に泊まっていたんだが、居住空間に将軍がいると気が休まらないと下級兵士から苦情が来てな」
……でしょうねぇ。
「適当に空き家を購入したんだ」
適当にあの規模の邸宅買っちゃいますか。
「しかし、軍に入ってからは身の回りの世話は従卒がしてくれていたので、一人暮らしの勝手が解らなくてな。俺の補佐官に聞いてみたら、使用人斡旋ギルドを紹介されたんだ」
「それで、私が派遣されたのですね」
言葉を継いだ私に、彼はこくりと頷く。
……なるほど。
ずっと使われていなかったから、あのお屋敷は埃っぽくて、
……シュヴァルツ様って、叙爵は辞退したっていうけど、
「――ということで。俺は王都の生活も物価もよう解らんのだ。正直、俺は家など食って寝られる場所があればそれで良くて、他のことに時間を取られるのが煩わしい。だからミシェルには、俺が困らない程度に生活できるよう、家事を頼みたいのだ」
その指示は明確で解りやすい。
「はい。畏まりました。シュヴァルツ様が快適にお過ごしできるよう、このミシェルがお力になります」
いつの間にかすべての皿を空にしていたご主人様に、私は胸を叩いて確約した。
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