床にペタンと座り込み、涙を流す。

 でもここには、私の涙をぬぐってくれる人がいた。

「ほら、そんなに泣いたら目がれますよ〜」

 シドはさらりとした黒髪の紅い目をした青年で、私より三つ年上の十九歳。私の従者でありながら、ローゼリア王国きってのゆうしゅうどうでもある。

 百八十七センチの身長はこの国の平均より少し高めで、黒の下衣をまとった長いあしやすらりとびる腕はれるほどバランスがいい。

 ダークグレーのローブでかくれているけれど、細身なのに筋肉質なスタイルは私の好みだ。

 右耳に光る赤いピアスがよく似合い、やわらかなみはひとなつっこくて可愛い。

 小説のキャラじゃないのに、容姿チートな魔導士は誰よりもかっこよく見える。

 うちに来た八歳の頃はとにかくがおの愛くるしい小型犬みたいな感じだったのに、今ではすっかりシャープにしくなってしまった……!

 私の前ではくったくのない笑顔を見せてくれるけれど、外へ出ると他人にはなつかないところもまたいい。シドを従者にしてくれたこと、今はきお父様に感謝してもしきれない。

 さらにシドは、『前世の記憶』や『悪役令嬢の運命』について話したので全部知っている。

 いずれめつするのだとなげくと「そんなの悪い夢ですよ」と言って笑ってくれるのだ。

 今だって、くずれる私の肩に手を置き、優しくなぐさめてくれている。

「お嬢、俺がお守りしますからご心配なく。夢なんて、しょせんは夢ですよ。もしも未来視の力だったとしても、わかっているなら変えられますって」

 私の前世の記憶のことは夢だと思っているけれど、まったく信じていないわけでもなくて、「未来視」の力じゃないかとシドは言う。頭がおかしくなったときょを置かれても仕方がない発言をり返したのに、いいかげんに聞き流すことはなかった。

 私にとって、なやみを相談できる唯一の相手がこのシドだ。

「ククリカ・ラリーがいなくても、お嬢の人生が終わるわけじゃないですよ」

「ううっ……! まだなんとかなる?」

「はい」

 優しい笑顔でうなずくシド。私は、その笑顔にいつも慰められてきた。

「でもここからどうすればいいの? いきなりつまずくなんて予想外だわ」

 まゆを寄せて私は嘆く。

 私が十二歳のときに両親は事故で亡くなり、それ以降は美しくそうめいな兄・イーサンと支え合って生きてきた。お兄様は気弱なところがあるものの、私のことを心から可愛がってくれている。

 そんなお兄様を捨ててげることはできなかったし、逃げてマーカス公爵家の皆にめいわくがかかることも嫌だったので、婚約解消のためにあれこれ策を練って実行するも、いまだに婚約者のままだ。だからこそ、ヒロインにバロック殿下を押しつけ……じゃなかった、てきなロマンスをお願いするつもりだったのに。

 それに私は、シドのことが好きなのだ。彼のことをひそかに想っているからこそ、バロック殿下を好きにならなかったとも言える。

 でも、そもそもククリカがいないんじゃ話にならない。

「信じられない。入学していないだなんて」

 国立ローゼリア学園は、貴族子女ならまず通う場所。結婚している人や、病にせっていない限りはびんぼうでもしょうがく金を借りて通う。

 そうしなければ、よいえんだんや仕事にありつけないから。

「ククリカ・ラリー男爵令嬢はどこへ行ったの? 入学してくれないと困るのよ!」

 わぁっと感情をあらわにして天をあおげば、となりにしゃがみこんだシドが拾い上げた名簿に視線を落として言った。

「お嬢、入学してないってことは未来視が間違っていたってことじゃないですか? あるいは、お嬢ががんばったからすでに未来が変わっているとか」

 え、何その前向きな考え方。おどろきで目をしばたたかせると、はらりと涙のしずくが落ちる。

「私が、がんばったから?」

「ええ。そうですよ、きっと」

 シドを見つめると、いつものように笑ってくれる。そして彼はそっと私の目元を拭うと、にこっとさらに笑みを深めた。その優しさにキュンとくるけれど、でも今はときめいている場合じゃない。

「すでに未来は変わっている? でも私ががんばったのは、家をぼつらくさせないことと領地を豊かにすること、それにバロック殿下に間違って惚れないことくらいよ。それとも、ここは小説の世界じゃないの?」

 混乱が加速する。悩む私に、シドがたすぶねを出してくれた。

「そのククリカ・ラリー男爵令嬢は、みっていに探すように指示しておきます。王都にいるなら、所在くらいはすぐに摑めるでしょう」

「見つけたって、今さらどうにかできると思う?」

「う〜ん、金さえ積めば編入できますからねぇ。うちがごり押しして学園にねじ込むことはできますよ?」

 はっ! そうだわ、ヒロインがいないなら連れてくればいいのよ!

 お金、権力、ありがとう! 悪役令嬢らしいいはしたくないって思っていたけれど、こうなったら仕方がない。使えるものは使おう。それしかない。

 私はシドの提案を全面的に受け入れ、うんうんと何度も頷いた。

「いったんこのことは俺にお任せを。それより、お嬢は明日の入学式のことを考えてください。きっと制服がよく似合うはずですよ」

 そうだった。明日の入学式は、無様な姿なんてさらせない。

 いずれ婚約されるにしても、断罪される余地なんてないくらいかんぺきな令嬢でなければ。私にはまったく非がないって、周囲に知らしめないと。

 シドの助言で少し落ち着いた私は、スッと立ち上がる。

「私に制服が似合うなんて当然でしょ?」

 いつものように、堂々とした態度でシドを見下ろす。

 彼は何かにえるようにクックッと笑い、私に続いて立ち上がった。

「はい、もちろんですよ、お嬢。なんならえをお手伝いしましょうか?」

「いらないわよ!」

 差し出された手をペシッと払い、私はサロンを出て部屋に戻った。


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