1章 婚約解消して、未来を変えます!


 入学式当日。新しい制服をまとった私は、私室で鏡の前に立っていた。

 えり付きのブラウスにあおいクロスタイ。白を基調とした細身のブレザーを羽織ると、淡い水色アイスブルーかみがよくえて深窓のれいじょうみたい。両サイドが三段になったティアードスカートは、歩くたびにふわりとれて気分が上がる。

「よくお似合いですわ、おじょうさま。まるでお嬢様のために作られた制服のようです!」

 たくをしてくれたメイドのエルザは、大げさなまでにめたたえてくれた。

 身内びいを差し引いても、整った顔立ちにメリハリあるスタイルはどう見ても名家のお嬢様。幸か不幸か、王太子のこんやくしゃ相応ふさわしいぼうである。

 でも、私がれいだと言ってほしいのはただ一人。かえって、エルザにたずねた。

「シドは?」

「すでに表で待機しています」

 シドは私の姿を見て、どう思うかな。ドキドキしながら、エルザをともなって部屋を出る。

 ところが、最初に私をむかえたのは人相の悪いくっきょうな男たちだった。

「「「お嬢ぉぉぉ! おはようございまーす!!」」」

 我が家のげんかんは、私のかどを祝うにぎやかなムードに包まれている、というより暑苦しい男たちの姿と声でそうぞうしい。

「お嬢、すっげー可愛かわいいです!」

「俺たちのお嬢が、いよいよ、が、学園に……! ううっ!!」

 古参の者たちは、私の制服姿を見てなみだぐんでいた。

「ご立派になられて、俺たちはうれしいです!」

「あ、ありがとう」

 いつも思うんだけれど、なんとかならないかしらコレ。

 マーカスこうしゃく家は、ゆいしょ正しき貴族でありながら裏社会をぎゅうるマフィアみたいな顔も持っていて、衛兵や護衛のほとんどが顔や身体からだに傷を持つ『いっぱんじんが絶対に近づきたくないオールスターズ』で構成されている。

 社交の場ではともかく、だんの私の口調がなのは絶対に彼らのえいきょうだ。

 それに、原作で悪役令嬢があの手この手でヒロインを消そうとしてくるのは、こういう家庭事情が背景にあったからなのかも、と今さらながらなっとくしてしまった。

 マフィアっぽいなとは思うものの、悪の組織かというと実は百パーセントそうでもない。

この国は日本のように警察がいたるところに目を光らせているわけじゃないので、うちが自警団の役割もになっているのだ。

 商人や店、ゆうそうなどから護衛料を受け取り、うでっぷしの強い男たちが彼らの身や積み荷、土地などを守る仕事もある。

 私やお兄様が命令すれば、どんな悪事にも手を染める集団ではあるものの、存在自体が悪でないことはまだ救いだった。

「お嬢、どうかご無事で」

 イカツイ顔のロッソが私の前にやってきた。

 彼はお兄様の護衛を務める、ロマンスグレーのオールバックがダンディーな四十代。左まぶたの中央には縦にきずあとがあり、どうも見てもその筋の人ではあるが、こう見えて子ども好きなやさしい一面があって私は好きだ。

「今も昔も、まなというものはあいぞううずそうくつ。どうかお気をつけて」

「あなた学園をなんだと思っているの?」

 私はあきれて苦笑いになった。

 ロッソはみをかべたまま、上着のむなもとさぐり、なぞふくろをスッとわたしてくる。

「これは?」

「気分がよくなるもんですよ、お嬢」

あやしいクスリみたいに言わないでくれる?」

 袋の中には、色とりどりのキャンディが入っていた。

 私、もう十六歳なのに……。

「ありがとう、もらっておくわ」

 とはいえ、かんは正義だから、受け取っておこう。

 私は袋をエルザに預ける。

 すると今度は、兄のイーサンが心配そうな顔で声をかけてきた。

「本当にお兄様がついて行かなくてだいじょうかい? さびしくなったりしないかい?」

 かたにつくくらいの長さでそろえた美しいきんぱつに、私と同じ銀色のひとみのイケメン。

 二十二歳という若さで、さいしょう様の補佐官の一人としてお城勤めをしている。

 しかも領地の仕事もしながら、裏社会を牛耳る我が家の頂点に君臨しているからその能力の高さは目をみはるものがある。

「来なくていいです、お兄様。いそがしいでしょう? それに私にはいつも通りシドがついているし、心配は無用です」

 残念ながらお兄様は忙しすぎる以前に性格に難があり、妻も婚約者もこいびともいない。

 険しい顔つきがてきだとご令嬢方にかなり人気はあるが、実のところただの人見知りで家族や部下以外とは目を合わせることもできない小心者なのだ。

 しかも、両親き今、妹の私をできあいしていてけっこんはどんどん遠ざかっている。

 私に断られたお兄様は、カッと目を見開いてうったえかけてきた。

「ヴィアラは世界一可愛い妹だ。いるだけで価値があるんだから、ゆうかいされでもしたらどうする!? しかも学園には、バロック殿でん以外にも男がたくさんいるぞ! おまえの美貌とそうめいさを知れば、きゅうこんしゃが増えるにちがいない。危険すぎる」

「お兄様、過保護です。それに、マーカス公爵家のむすめに近づこうなんて、そんな心臓の強い人がいるとは思えません」

 見て? このずらりと並んだ悪人顔の男たちを! これを知った上で私に求婚する人がいたとしたら、ものすごい精神力だ。

 けれども、お兄様は可愛い妹が心配なようで……。

「ヴィアラ、いつでも学園をめていいからね?」

「まだ初日!」

「やりたくないことはしなくていい。それに、王子の婚約者というかたきを重荷に感じる必要もないから自由に休んでいいぞ」

「甘やかしがひどい!」

 家のために妹をロクでもない王子に差し出すような兄でないことには感謝しているけれど、入学式の日に辞めてもいいと言うのはどうかと思う。

 私は適当にお兄様をなだめて出発する。


「「「お嬢ぉぉぉ! いってらぁぁぁぁ!!」」」

「……いってきます」


 ずらりと並んだ黒ずくめの男たちにお見送りされ、私はシドといっしょに馬車に乗りこんだ。

 ガタゴトと揺れる馬車の中、私はクッションをめてゆううつな顔をしてしまう。

 ヒロインのいない学園生活、あの王子からおん便びんげられるのか不安だった。

「お嬢、顔が死んでます」

「失礼ね。ギリギリ生きてるわよ」

「それと、聞いてもいいですか?」

 正面に座るシドは、えんりょがちに私を見る。

 彼の視線は、私のまえがみに向かっていた。

「どうなさったので? その前髪」

 昨日まで横分けだった前髪は、ぱっつんになっている。

「やっぱりわかった?」

「そりゃあ、そんだけバッサリいってたら……」

「ちょっとでも悪役っぽくないようにしてみたの。印象を良くしたくて」

 横分けとかセンター分けの前髪なしは、悪役令嬢っぽいというか。だからがんばって自分で前髪を切ったのだが、私の気も知らずにシドはぶはっとした。

「そんなに心配しなくても、悪いことしなきゃ大丈夫ですよ。その悪役令嬢っていうのは、本当にいろんなことをやらかしてるんでしょ?」

「それはそうだけど」

 まずは形から入ってみたのだ。前髪ぱっつん女子に悪い子はいない、はず。

 シドは私の姿をまじまじと見つめ、やわらかい表情で言った。

「よくお似合いですよ、その制服。どう見ても深窓の令嬢です」

「そ、そう? やっぱり?」

 褒められてちょっと照れる。手のひらの上でコロコロ転がされている気がするけれど、シドに褒められると嬉しい。

「シドも同じ制服を着られたらよかったのに」

いやですよ、そんなよごれやすい服」

 シドの制服姿も見たかったな。一緒に通えたらよかったと残念に思うものの、彼は三つ上だし、従者として私にうだけなのだから仕方ない。

 シドは今、短い立ち襟の白いシャツに黒いベスト、黒い下衣という従者としてはスタンダードな服装の上に、ダークグレーのローブを羽織っている。

 ローブの首元でかがやむらさきいろのブローチは、彼が才能あるどうであるあかしだ。

 この国の魔導士は階級制で、身分証にもなるブローチで階級がわかる。


 魔導士の階級はスピネルから始まり、サファイアルベライトジェードアンバーシェルという六階級がある。最下級のシェルは、ギリギリほうが使えますというくらいのレベルなので魔導士協会に登録しない人もいるが、アンバー以上は就職に有利なのでほとんどが登録しているらしい。

 最高位はスピネルで、ローゼリア王国にはシドとシドのしょうふくめ八人しかいない。

 ちなみにうちのお兄様もスピネルたまわっている。

 スピネルは、火・水・土・風・かみなりやみ・聖という全属性の魔法が使え、しかもオリジナルの魔法を生み出せる人たちにしかあたえられないとても希少な位なのだ。

「私もシドみたいに魔法が自由自在に使えれば、魔法学院に行けたのに」

 シドは私が通うローゼリア学園ではなく、魔導士育成に特化した魔法学院を卒業している。しかし私に魔法の才能はなく、魔法学院の入学基準に届かなかった。

「お嬢はちょっととくしゅですからね……」

 私のりょく量は多いけれど、なぜか外に放出することができない。

 火の玉を作っても、指にくっつけているうちは大丈夫だが、遠くに投げようとするとすぐにさんして消えてしまう。

いやしの力とかがしかったわ」

「聖女様のようにですか? お嬢が聖女って……ぶっ」

 失礼きわまりない!

 半眼でにらんでいると、シドはスッと背筋をばしわざとらしく窓の外に目をやった。

 私だって、実家がマフィアの娘が聖女だなんて無理があることくらいわかってる。でもまっとうに生きてきたんだから、せめてかっこいい転生チートスキルが欲しかった。

「どうせ私にできるのは、魔力を纏わせたで人をぶんなぐることくらいですよ」

つうはそっちの方が難しいですからね?」

 どうしてこんなストリートファイタースキルなんだろう。かくとうでもあるまいし。だいたい体術は得意じゃないから、いくら素手を強化できても格闘家と戦ったら普通に負ける。

 できるのは、ふいちのみ。どこまでも悪役の才能がある自分が切ないわ。

「あぁっ、思考が晴れない。もっと楽しいことを考えなくちゃ!」

「そうですよ、お嬢。学園ではきっといいことがありますって」

「本当に?」

「ええ、本当に」

 シドがそう言うなら、そうかもしれない。私は満面の笑みで彼を見る。

「そうそう、お嬢のことなら俺がなんとかしますから」

 お決まりのそのセリフを聞くと、いつもホッとする。

 でもスピネルの魔導士なら私の従者をしなくても、世界各国から引く手あまたのはず。シドの場合、従者として私の暮らしぜんぱんを支える以外にも護衛もねているとはいえ、これほどゆうしゅうな魔導士を私の専属として囲っておくのはもったいないだろう。

 いくら私の亡き父に恩があるからって、いつまでもりちに仕えてくれるシドに申し訳ない気持ちもある。

「ねぇ、シドは私の従者でいいの? まぁ、私みたいに高貴な美女に仕えられるなんてめったにない仕事だけれど」

「ソウデスネ、アリガタキシアワセデス」

 全然心がこもってないわね!?

 ぷくっとほおふくらませてねると、シドはくすりと笑った。

「俺はお嬢の犬なんで、ずっと飼われますよ」

「またそんなこと言って」

 とんだイケメンすぎる犬だ。

「事実ですから。あなたのお父上が、どこにも行き場のなかった俺を拾ったんですよ」

 あれはシドが八歳、私が五歳のころだった。

『お父様、可愛い犬が欲しい』

 じゃにおねだりした私は、まさか父が『犬っぽい少年』を連れて帰ってくるとは思わなかった。

 あのときのしょうげきは、一生忘れられない。


『ヴィアラに飼えそうな犬がいなかったんだよね、だから犬っぽい子を拾ってきたんだ』

 王城に行って、犬っぽい少年を拾ってくるって何? 今でもよくわからない。

 シドがお城にいたのか、それとも道中にいたのか、連れてきた父はもう天国に行ってしまったから真実は不明。

 あれから十一年、すくすく育ったシドは立派な魔導士に成長した。今の彼なら、魔導士協会の幹部を目指すことも、しゃくを得て新たに家をおこすこともできる。

 それなのにシドは、いまだに私のそばからはなれない。

「本当に従者で満足しているの? これからも、ずっと一緒にいてくれる……?」

「お嬢、いつになく弱気ですね〜」

 そうてきされ、思わずけんにシワが寄る。でも、私がシドに対して並々ならぬ愛情を持っているから仕方ない。

 今はバロック殿下の婚約者だけれど、できることなら自由になった後はシドと恋人になりたい。欲を言えば結婚したい。

 ただし、私たちの間には身分差があり、結婚までにはいくつものかべが存在する。それこそ、殿下との婚約解消と同じくらい難易度が高い。

 私の気持ちを知らないシドは、にっこり笑って言った。

「大丈夫ですよ! ずっとそばにいます。だって従者と護衛を一人でするんで給金は二倍もらえるし、ここほどメシがうまくて自由の利く仕事はないので、どこにも行きません!」

「そこはうそでも、お嬢についていきますって言いなさいよ!」

 じとりとした目でシドを睨む。

「はーい、ついていきま〜す」

「軽い! 軽いわ!!」

 甘い言葉をかけてほしいなんてぜいたくは言わないから、せめて忠誠心のある従者のふりをしてほしい。

 なんだかなやんでいるのもバカらしくなり、にわか雨が降る窓の外をぼんやりとながめた。

「私がちがって殿下にれたら、ようしゃなくぶん殴ってね?」

 万が一、物語の強制力みたいなものがあったら……。ククリカがいないってことは多分強制力なんてないんだろうけれど、私がおかしくなったらと思うとシドにお願いせずにはいられない。

「従者がお嬢をこうげきしてどうするんですか?」

 シドはあははと陽気な声を上げて笑った。どうやら、はたに見ても私が殿下に惚れるのはありえないらしい。顔だけはいいのにな。

 こうして話ができたことで、前向きな気分になれた。

「よし、絶対に運命なんて変えてみせるわ! 私の人生は私のものよ!!」

 両のこぶしにぎり締め、ふんっと意気込む。するとシドは、ふいに手を伸ばして私の目元にそっとれた。

 少しひんやりした風をかすかに感じる。

「その意気です、お嬢」

 昨日めい簿を見てショックで泣いたから、まだ目元が赤かったのかも。優しくほほむシドに、ついれてしまった。

「昨日、ねむれませんでした?」

 心配そうなこわに、どきりと胸が高鳴る。

 言われてみれば、すいみん時間は足りていても不安が胸に巣食ってじゅくすいできなかった。

「大丈夫よ。いたって健康、問題なし!」

「本当に? もう帰ってもいいんですよ?」

 シドまでそんなことを言い出すなんて、お兄様と変わらないじゃない。私はふっと笑うと、彼の目をまっすぐに見つめて言った。

「帰らないわ。自分の人生のことだもの、がんばってみる」

 大丈夫、シドがついていてくれるんだから私は負けない。

 悪役ではなく普通の公爵令嬢として、学園生活をまっとうする。


 私はそう決心した。


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