42.宝石と共に

 黒炎は床を舐めるように這った後にゆっくりとその勢いを無くしていく。床にはうっすらと焦げた跡が残るばかりで、燃え広がる事が無かったのは魔法によって生み出されたものだからだろうか。


 炎は闇の精霊が生み出したものだ。

 リアム様も剣だけではなく魔法を使っている。


「ロズ……皇国に救って貰った? そんな勘違いをしてしまうなら、やっぱりあの時にわたくしと共に連れてきた方がよかったのかしら。てっきり侵攻してきた軍人の慰み者になるかと思っていたのに」


 ピアニー様はほっそりとした指先を頬に添えて、わざとらしく大きな溜息をついて見せる。


「皇国だってフェルザー将軍だって、後ろの魔術師だってお前の事は救ってくれない。お前はまた奪われるの。お前にそれが耐えられるかしら……。わたくしのところにいらっしゃい、ロズ。わたくしが守ってあげるわ」


 なんて優しい声なんだろう。

 甘やかで、まるで──毒のような。


 でも分かっている。これは、わたしを揺さぶるための甘言に過ぎない事を。わたしの心を乱して、ピアニー様を優位に見せるためのものだって。


「……ピアニー様、わたしは……あなたの元へは行きません。リアム様もレイチェル様も、皇国の皆さんはもう充分過ぎる程にわたしを助け、導いて下さいました。これ以上の救いを求めたりなんてしない。わたしは守られるだけの王女ではもうないのです」

「その気になってしまっているだけよ。フェルザー将軍だってどうせお前を裏切るもの」

「もういい加減にして下さい、ピアニー様。どれだけ心を揺さぶろうとしても無駄なのです。あなたが何を言おうとわたしは、あなたのものにはならない!」


 剣戟が響く中で声を張る。

 リアム様と過ごした日々を疑う事なんてわたしはしない。


 ピアニー様はわたしの言葉に眉を寄せるとその小指を口元に寄せた。可愛らしく色付く爪を噛む姿は苛立ちを隠していない。


「それなら全員に消えてもらうだけよ。フェルザー将軍も魔術師も、この城に居る皇国の人間全てを壊してやればいい。……そうね、最初からそうすればよかったんだわ。ロズ、お前はまた、この城で大切な人を失うのよ」


 にぃ、とピアニー様の笑みが歪んでいく。まるで闇精霊が浮かべる笑みのような歪さに背筋が震えるようだった。

 紡がれた言葉が胸を抉るけれど、それに囚われてはいけない。もうそんな事はさせない為に、わたしは強く在るのだから。泣き言は全て終わった時に零せばいい。でも今はだめだ。そんな姿をピアニー様に見せるわけにはいかないもの。


 ピアニー様の持つ杖が光りを増していく。飾られていた魔石がどんどん黒く濁り、艶を消した宝石のようになってしまう。その魔石から溢れた魔力が闇精霊へと流れ込んでいった。


「さすがは闇精霊と契約するだけあるって事かな。とんでもない魔力量だ」


 わたしの隣に並んだレイチェル様が肩を竦めるけれど、そのオレンジの瞳はいつもと同じく煌めいている。変わらない様子に安堵しながら、わたしはリアム様へと視線を戻した。


 ──リアム様がおされている?

 闇精霊の鉤爪を剣で受けるリアム様は眉を寄せている。剣戟の音も先程までよりも重く感じるのはきっと気のせいではなくて。

 放たれる黒炎も威力を増しているようで、その熱を孕んだ風圧にわたしはたたらを踏んでしまうほどだった。


「フェルザー君に怒られないといいんだけど、そんな事も言ってられないよね」


 レイチェル様が杖を振ると氷の剣が浮かび上がる。光を映して穏やかな光をたたえるその剣をレイチェル様が闇精霊に放とうとした瞬間、澄んだ高い音を響かせて氷剣は弾け飛んでしまった。


「冷たっ!」

「横槍を入れるだなんてその魔術師も悪い子ね」


 ピアニー様の青い瞳が魔力を増して色を濃くしている。

 片手をこちらに向けるその仕草からして、氷剣を壊したのはピアニー様なのだろう。


「どの口が言ってんだか。闇精霊に魔力供給している人に言われたくないんだけどなぁ」


 レイチェル様は鋭い眼差しでピアニー様を一睨みすると、また杖を大きく振る。先程よりも大きな氷剣は今度はピアニー様へと向かっていくけれど、剣が届く前にまた弾けた。きらきらと輝きながら落ちてくる氷は、まるでシャンデリアにも似ていて。


「ああもう、苛々するなぁ」


 レイチェル様はそう言うと杖を両手で持って、魔法の詠唱を始めた。それに対してピアニー様が炎で攻撃をしてくるも、それを防ぐのはルーカスさんだ。


 リアム様へと目を向ける。振り下ろされた鉤爪を受け流しているけれど、その頬からは一筋の血が流れ、不機嫌そうに眉を寄せていた。


 わたしには何が出来るだろう。

 武力を持たないわたしは無力なのか。ううん、きっと違う。わたしには、わたしの出来る事が──


 ずくん、と呪いが疼いた。

 そうだ、どうして忘れていたのか。


 わたしとピアニー様は繋がって・・・・いる。この場にいる誰よりも深い場所で、わたし達は繋がっているのだ。

 そしてわたしの体にはまだ解呪の魔力が巡っている。それならばわたしは祈りを捧げるだけだ。


 わたしはその場に膝をつくと、両手を組んで祈りを捧げた。

 解呪の魔力を意識して、それを胸の奥の呪いに流す道を作りながら。


 わたしだって皆を守りたい。

 守っていくのだ。わたしは女王になって、この国を、民を、わたしの大切な人達を。


 呪いを覆う防御の陣が少しずつ溶けていくのが自分でも分かる。

 もう少しできっと、呪われた印に手が届く。


「くっ、……!」


 ピアニー様の苦悶の声が聞こえた。

 そこにレイチェル様の呼んだ吹雪が襲い掛かる。先程のように弾けて消える事もなく、ピアニー様は結界を張ってそれを防いでいるようだ。

 魔力が偏ったのか、闇精霊の動きも鈍くなっているように見えた。


 わたしは更に祈りを捧げる。

 ──どうか、皆を守る力を──


 ふと、わたしの前を精霊が飛んだ。

 一瞬だけ見えたそれは幻だったのかもしれないけれど、わたしに魔力が集まってくるのが分かった。


 これは──宝石の森の方向から集まっている。

 わたしがそちらに顔を向けると、レイチェル様が吐息交じりの笑みを零した。


「……シェリルちゃん、その方向には何が?」

「宝石の森です。わたしが、毎日宝石を実らせていた……」

「成程ね。……シェリルちゃん、そのまま魔力を集めて。呪いを解く時間だ」


 レイチェル様の言いたい事は分かった。

 宝石の森から溢れるのは、わたしの魔力。宝石達はわたしの魔力を糧にして実っているから、それが戻ってきただけなのだろう。そしてその魔力にはリアム様が注いで下さった解呪の式が刻まれている。


 わたしは意識して魔力を呪いを守る防御陣へとぶつける。抵抗するかのように陣は更に強く絡まろうとするけれど、もう絡まったそれを解いたりする必要はない。全て溶かしてしまえばいい。


「だめよ……やめなさい、ロズ!」


 ピアニー様が声を荒げる。

 その動揺に触れた闇精霊の動きが止まり──リアム様はそれを見逃したりはしなかった。


 一閃。

 ただそれだけで闇精霊の首が飛ぶ。剣についた黒い血を振って払う時には、闇精霊は砂のように崩れて消えていくばかりだった。


「シェリルちゃん、今までよく頑張ったね」


 レイチェル様の言葉に胸が詰まる。いよいよだと、わたしにも伝わっていたから。

 オレンジ色の魔石が輝く杖で、レイチェル様が強く床を叩く。唄うような詠唱に応じて、ピアニー様の周囲に様々な大きさの鏡が浮かび上がった。


「だめ、いや……やめて!」


 ピアニー様の声が苦悶に満ちている。その瞳に映っていたのは、紛れもなく恐怖の色。

 鏡から放たれた光がピアニー様を包む。まるで太陽にも似た、強い光。

 わたしの心の奥に巣食っていた呪いが消えていくのが分かった。


「あああああ!」


 叫び声を残してピアニー様がその場に倒れこむ。その顔は……まるでわたしがされてきたかのように焼け爛れていた。

 首には不思議な文様が赤く浮かび上がっている。


「……レイチェル様、ピアニー様は一体……」

「呪いを返されたんだ。今度は偽りの印じゃない。太陽に宿る神があの王女を罪人だと認識した」

「良くやったな、シェリル」


 剣を鞘に戻したリアム様が近付いてくる。そのいつもと変わらない笑みに、胸の奥が切なく痛んだ。

 立ち上がったわたしは勢いよくリアム様へと抱き着いて、リアム様もそんなわたしを抱き留めてくれた。苦しいくらいに抱き締められて、息が出来ない。でもそれが心地よい。



 不意に風を切る音が聞こえた。

 リアム様の腕の中でそちらへと目を向けると、王と王妃が逃げ出そうとしているところだった。その足元にはルーカスさんが絶えず氷礫を打ち込んでいるから動けなくなっているらしい。

 レイチェル様が杖を振ると、その杖から糸が伸びる。何重にも絡み合ったその白い糸はきらきらと輝いて、二人をあっという間に拘束してしまった。

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