40.王城

 日に透かされた葉の影が落ちる、森の中の道を歩く。

 グラナティスに近付いていく程に、道は幅を太くして歩きやすく均されていた。見慣れたこの道に、戻ってきたのだと強く実感する。


「……複数の足跡。鎧を着けている、兵士だな」

「分かるのですか?」


 わたしはリアム様と一緒に先頭近くを歩いていた。

 周囲を警戒するような視線を向けながら呟かれた言葉に、わたしも目をよく凝らしてみるけれど足跡さえ見つけられない。


「見れば分かる。ほら……お出ましだ」


 リアム様が指さす先には、その手に槍を構えた兵士が隊を成して向かってきているところだった。


「……陛下へのいい土産になりそうだ。ウィル、シェリルの側に居ろ」


 リアム様が愉悦に笑う。それと同時に剣を抜いたかと思えば──紫龍軍の誰よりも早く、リアム様は飛び出していた。


「将軍が一番に飛び出していく事もないでしょうに。……第一隊、閣下へ続け!」


 わたしの側に来てくれたウィルさんが盛大な溜息を漏らしている。ウィルさんの号令に紫龍軍の方々も武器を手にして兵へと向かっていくけれど……既に相手方は半分ほど地に倒れ伏していた。


 そんな中で紫龍軍の方も入れば、決着がつくのもあっという間で。

 ほんの短い時間で、相手方の兵は全員が倒れこんでしまっている。リアム様の心配をする時間さえなかった。


「ルダ=レンツィオの兵じゃないな」

「そうですね、装備が違います」

「ノースラティが密かに協力をしていたか……まぁそうだろうな、グラナティスに籠もっているだけでは生活も成り立たん。これは陛下もお喜びになるだろう」

「連行させましょう。先に帰還させても?」

「構わん」


 ノースラティ……北の海に面した軍事国家だったはずだ。母の元に何度か親書が届いていると聞いた覚えがある。あの国もグラナティスの宝石を求めていた。


「リアム様、ノースラティは……」

「皇国や同盟国の国境線で何度か軍事衝突を起こしている。仕掛けられる小競り合いに陛下もうんざりしていたようだからな、いい報せになるだろう」


 リアム様は剣を鞘に納めると、縛り上げられる兵を見て低く笑う。

 きっとまた戦争になるのだろうけれど、罪のない市井の人々が犠牲にならないようにと願うばかりだ。戦の責を負うのは、民を導き守る義務のある王族なのだから。


 そよぐ風が熱気を孕んでいる。

 わたしの思いも巻き込むようにして。



 兵の襲撃から程なくしてグラナティスの街に入る。

 あれから兵が現れる事は無かったけれど、リアム様が言うのは戦力を固めているのだろうとの事だった。


 グラナティスは小さな国で、街はこの王都しかない。あとは宝石の森があるばかり。

 小さいながらも賑やかだった王都に人の気配はなく、わたしが国を離れたあの時のまま──廃墟ばかりが立ち並んでいた。


 あの角のお店は夫婦で営んでいる青果店だった。店の前ではよく子ども達が走り回っていた。

 夜になると露天が並んでいたこの通りも、今では人の気配もなく崩れた柱で塞がれている。


「……大丈夫か」


 隣を歩くリアム様の声が硬い。金の瞳は翳り、わたしを慮って下さっているのが伝わってくる。笑みを浮かべたくても、顔が強張ってうまく出来ない。


「美しい街だったのですが……。だめですね、感傷に飲まれてしまいそう」

「泣かせてやりたいが、今はまだ駄目だ」

「承知しております。……まだ、何も終わっていませんもの」


 リアム様はわたしの頭にポンと頭を乗せてから、日傘の縁を引っ張って角度を直してくれる。

 目の前に伸びる石畳の道を進めば、王城まではもうすぐだ。

 陽射しは日傘で遮られているのに、手の甲に魔法陣が浮かび上がる。ずくんずくんと鼓動に合わせるように魔法陣が脈動する。これはきっと……ピアニー様が近くにいるからなのだろう。


 わたしは手の甲をぐっと逆手で握りしめた。

 負けない、と意思を込めて。



 王城に近付くとノースラティの兵たちが現れて襲い掛かってくる。それをリアム様をはじめとした紫龍軍の方々が倒していくけれど、その数は増すばかりだ。相手方の中には魔法を使う人も居るが、レイチェル様が杖を一振りするだけで、その魔法は霧散してしまった。

 倒した兵を縛り上げ、わたし達は先へ進む。王城はもう目前だった。


 美しかった白亜の城は薄汚れ、ひび割れている個所も見える。

 庭園の花は枯れ果てて、踏み荒らされたかのように芝も荒れて酷い有様だった。


 王城へ入ると、使用人の姿も見えた。ほとんどが悲鳴を上げて逃げ出していく中で、数人がわたしを見て駆け寄ってくる。リアム様が警戒したようにわたしの前に立ってくれたけれど、わたしはその腕に手を添えた。


「……グラナティスの者です」


 溢れる涙を抑える事など出来なかった。彼らもまた涙で顔を濡らしている。

 リアム様の背から飛び出したわたしに、彼らは跪いて嗚咽を漏らした。


「姫様、よくぞご無事で……!」

「生きていらっしゃる事は分かっておりましたが、辛い目にあっているのではないかと……」

「またこうしてお会いできるとは、もう悔いはありませぬ」

「皆も良く耐えてくれました。この方々はエムデアルグ皇国、紫龍軍の皆様です。まもなくグラナティスは解放されるでしょう。……他の方々を連れて、安全な場所に避難して下さい。国を再建するにはあなた達の力が必要です」

「……我らも姫様の盾に……!」


 彼らはわたしが幼い頃からこの城で働いていた人達だ。顔に深い傷が残る者もいるが……覚えている。わたしが連行される際に抵抗をして、切られたものだと。


「盾など不要だ。王女殿下は我々に任せ、貴殿らはグラナティスの者達を集めて避難せよ」

「しかし……!」


 リアム様の言葉に迷いを見せる人もいるけれど、わたしは首を横に振った。

 もしかしたらこの王城が戦場になるかもしれない。ピアニー様が何もしないわけはないもの。


「行って下さい。また後で必ず、合流しましょう。……宝石の森や工房にも人がいますよね? 彼らの避難もお願いしたいのです」

「……かしこまりました」

「兵を付けよう。ノースラティの手の者がまだ残っているだろうからな」


 リアム様の言葉に頷いたウィルさんが兵の手配をしてくれる。

 これでグラナティスに残る人々の安全は確保されるだろう。


「ついでに分散して王族を探すか。王族は全員捕らえろ。命さえあれば良い」

「はっ」

「君達もついていって。魔法が必要な場面があるかもしれない」

「はい」


 手際よく隊を分けたウィルさんの指示に従って、紫龍軍の皆さんは駆けだしていく。魔術師の方もそれぞれの隊についていくようだ。グラナティスの皆も走り出し、その表情は先程までとは違って明るいもののようにも見えた。


「さて、俺達も行くか」

「はい、参りましょう」


 リアム様が腕を差し出してくれる。その腕に手を掛けたわたしはにっこりと笑って見せた。姿勢を正し、畳んでおいた日傘を手に持ち直す。

 わたし達が向かうのは──玉座の間。脈動が強くなる魔法陣に目をやれば、うっすらと血が滲んでいるようだった。

 


 城内のあちこちで怒号や戦闘音が聞こえる。しかしそれもあっという間に静かになっていくのは、制圧が進んでいるからなのだろう。

 薄汚れてしまっている赤い絨毯の上を歩き、辿り着いた玉座の間。その扉は呪術によって閉ざされていたけれど、ルーカスさんが簡単に解除してくれる。

 そのルーカスさんの背中で、レイチェル様が杖を構えた。


 両開きの扉が開く。軋んだ耳障りな音を響かせて。

 開いた瞬間に襲い掛かる熱波。巨大な炎がわたし達を飲み込もうと大きな口を開けている。


 炎を切り裂く風の刃。熱波さえも遮る氷の盾。

 リアム様とレイチェル様が守って下さったのだ。わたし一人なら、あの炎に簡単に飲まれてしまっていただろう。


 扉の向こう、玉座に腰を下ろした王の顔は青ざめている。傍らに立つ王妃も同じように恐怖で顔を引きつらせているのに、ピアニー様だけが笑っていた。

 艶めく蜂蜜のような金の髪に、大きな赤いリボンを飾り。お人形のように整った美しい顔は微笑みを浮かべている。


 その肩には六枚羽の妖精が座り、哄笑を響かせていた。

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