36.謁見
翌日、登城する事になったわたしは衣裳部屋の前で悩んでいた。
前回お目通りした時は、ルダ=レンツィオから保護をされてそのままだったから、身代わりとなった時のドレス姿だった。不相応なそれは派手派手しく、皇帝陛下に謁見するには大変失礼な格好だったと思う。今日はそうならないように、イルゼさんに相談をさせて貰った。
二人で選んだものは落ち着いた薔薇色の、露出の少ないデイドレス。鈍い紅色はわたしの髪にも瞳にもよく似合っていると自分でも思うし、イルゼさんもそう言ってくれた。
髪はイルゼさんの手によって、花の形に結い上げられている。数本の三つ編みがお花の形を取っていくのは、鏡を見ていてとても面白い。その花に髪飾りの蝶を休ませて出来上がり。蝶は今日も美しい赤色に輝いている。
イルゼさんとグレンさんには、わたしがグラナティスの王女である事を告げた。二人は大層驚いていたけれども、素性を隠していたわたしの事を責める事はしなかった。以前と変わらず、穏やかに接してくれて、それがとても有難かった。
支度の出来たわたしはイルゼさんと共にエントランスへと向かう。
そこには既にリアム様が待っていて、グレンさんと何やら話をしているようだった。
「お待たせしました」
「では行こうか。……今日も綺麗だ。ドレスもよく似合っている」
「ありがとうございます」
軍服姿のリアム様は、わたしの姿を見て表情を綻ばせてくれる。髪やお化粧が崩れないように気を使っているのか、抱擁する腕の力も控えめだ。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
グレンさんとイルゼさんが腰を折って綺麗な一礼で見送ってくれる。少し曲げてくれた腕にわたしが手を掛けると、リアム様は踵をひとつ、床へと打ち付ける。軍靴の硬い踵が響かせるその高い音を合図に放たれた魔力の光は、わたしとリアム様を飲み込んでいった。
転移した先は皇城の中の一室だった。
落ち着いた焦茶色の机や書棚がある執務室のようで、机の一つにはリアム様の副官であるウィルさんが向かって仕事をしていた。急に現れたわたし達を見ても驚く様子はないから、魔力で察知していたか、もう慣れているのだろう。
「おはようございます、閣下。シェリル様もご機嫌いかがですか」
「ありがとうございます、ウィルさん」
「陛下の元に行ってくる。終われば戻るが、急ぎのものは何かあるか」
「いえ、大丈夫です。行ってらっしゃいませ」
にこやかなウィルさんに見送られて、わたしとリアム様は執務室を後にした。
ここでリアム様はいつもお仕事をなさっているのか。以前に修練場にも伺った事があるけれど、こうしてリアム様の日常を垣間見る事が出来るのが、何だか嬉しく思った。
「リアム様はいつもこうして、出仕なさっているのですね」
「そう遠い距離でもないし、馬でもいいんだけどな」
「馬車ではなく?」
「馬車はどうも苦手でな。それなら馬に乗っていた方がいい」
そんな話をしながら、通路を歩く。
時折すれ違う人は壁に寄って挨拶をしてくれる。会釈をしながら歩いていると、その内に見覚えのある場所に行き着いた。
ステンドグラスで紡がれた御伽噺の通路だ。陽光を受けてきらきらとした光が通路を優しく照らしている。以前のわたしならこんな明るい中に足を踏み入れる事も出来なかったけれど、今は違う。
これもリアム様が与えてくださったものだ。
相変わらず入り組んだ通路をリアム様の腕に手を掛けたままで歩む。
前回に来た時から、そこまで時間が経っているわけでもないのに……その時とはわたしを取り巻くものは大きく変わっている。
この心も、呪いも、リアム様との距離も何もかも……その変化が愛おしくて浮かれそうになってしまいそうな気持ちを引き締めた。
これから陛下にお目通りをするのだから、こんな浮ついていてはいけない。リアム様は気になさっていないけれど、陛下がどう思うかは分からない。誠心誠意をもって謝罪をしなければならないと思っている。
辿り着いたのは大きな石造りの扉。
龍の装飾がされたその扉の前には、今日も槍を持った兵士が二人立っていた。
リアム様が何かを言うまでもなく、扉が開かれた。
わたしは緊張を吐息に逃がすと、意識して背筋を伸ばす。腕に掛けていた手を、リアム様がそっと撫でてくれる。優しい仕草にリアム様を見ると、大丈夫だと唇が動いた。
真っ直ぐに敷かれた濃紺の絨毯の上を歩く。
玉座の近くまで歩むとリアム様が膝をつき、腕に掛けていた手を外してからわたしも膝を折って頭を下げた。
「面を上げよ」
低い声にゆっくりと顔を上げる。
玉座に座する皇帝陛下は、肘置きを使って頬杖をついている。以前は下ろしていた赤い髪がうなじで一つにまとめられていた。
「リアム、今日は一体何用か」
「はい。……私の客人の出自が分かりましたので、ご報告にあがりました」
「出自? その娘はグラナティスの王女であろう?」
皇帝陛下の声は呆れを含んでいるようにも聞こえる。
そんな事よりも、いま、陛下は……グラナティスの王女だと言った。わたしが驚きに目を丸くしていると、可笑しそうに陛下は肩を揺らすばかりだ。
「違ったか?」
「い、いえ。わたくしはグラナティスの王女、シェリル・レティ・グラナティスと申します。名を伏せていたご無礼をどうぞお許しください」
「良い。なんだ、リアム。お前は気付いていなかったのか」
わたしの隣にいるリアム様は苦笑いだ。
まさかリアム様が昨夜言っていた、『陛下は正体に気付いていてもおかしくない』というのが当たるとは思ってもみなかった。きっとリアム様もそうだろう。
「陛下もご存知なら、教えて下さってもいいでしょうに」
「はは、しかし伝えても何も変わらんだろう? その娘が王女でもそうでなくても、お前のした事は変わらなかったはずだ」
「それは、仰る通りですが……」
陛下は自分の頭にある龍の角を指先で示しながら、悪戯に笑った。茶化すようなその雰囲気にリアム様の苦笑いが深くなる。
「シェリル姫よ、難儀であったな。亡国の憂き目に遭ったのは何も貴殿ら王族だけの責任ではない。ルダ=レンツィオの愚王が即位した事が間違いだったのだろう。グラナティスがルダ=レンツィオと同盟を結んだ頃は、
陛下はグラナティスが同盟を結んだ時の事をよく知っているようだけれど、これは何代も前の話だ。まだ年若そうに見える陛下だけれど……見た目と年齢は比例しないのかもしれない。それを伺う勇気もわたしには無かった。
「ありがとうございます。ですが責任の一端はわたくし達にございます。……わたくしは王家最後の一人として、グラナティスを再建したいのです。どうぞお力をお貸し下さい」
わたしは深く頭を下げる。
摘んでいたドレスの布地を握る指先が、白くなっていた。
「無論だ。再建に必要な識者、技術者、物資等の諸々に関しては心配しなくても良い。我が国としてもグラナティスの加工技術が失われるのは惜しいからな。同盟国に攻め入られた貴殿には酷な事を強いるかもしれんが、我が国を信じてほしい。悪いようにはせん」
「そんな、疑うなどありません。ご厚情に感謝致します」
わたしはほっと安堵の息をつきながら顔を上げた。
リアム様も安心したように微笑みを浮かべている。
「リアムよ、グラナティスに進軍し、ルダ=レンツィオの王族共を発見しても殺してはならん。全員連行せよ」
「御意。命があれば構わないのでしょう」
「そうだな、頭がついていれば良い」
陛下は薄く笑うけれど、その瞳は凍月のように冷え冷えとしている。謁見の間の温度が下がったような錯覚に、鳥肌が立った。
威圧感に息が出来ない。まるで重たい水の中に沈められたかのように、視界が青く染まっていく。
「陛下」
「ん? ああ、あてられてしまったか」
陛下がふっと笑う。力を抜いたかにも見えるその笑みで、一気に
「は、っ……はぁ……」
足りない分だけ息を吸いたいのに、呼吸の仕方が分からない。その場に崩れ、床に両手をついてしまったわたしの背を、リアム様がゆっくりと撫でてくれている。
「シェリル、息を吐け。深く息を吐いて……そうだ、それから吸うんだ」
リアム様の言う通りにすると、ようやく呼吸が戻ってくる。今度は眩暈と頭痛に襲われながらも、なんとか姿勢を正して頭を下げた。
「お見苦しい姿を……」
「謝罪するのは私だろう。ルダ=レンツィオの面々にはこれでも腹を立てているものでな、つい昂ってしまった」
何と言えばいいのか、回らない頭では力なく笑みを浮かべるだけで精一杯だ。見かねたのかリアム様が腕を引いて立ち上がらせてくれる。
「では陛下、失礼致します」
「うむ。進軍は近い。練兵に精を出すようにな」
「御意」
覚束ない足取りでリアム様と共に謁見の間を後にしたわたしは、回復するまでリアム様の執務室で休ませて頂く事になった。続き間のソファーに横になるとすぐにうとうとと睡魔が襲ってくる。
机に戻ったリアム様がウィルさんと話す声が聞こえてきて、その中にグラナティスという言葉を聞く度に……進軍が近い事を実感して、わたしは眠りへと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます