35.想い

 リアム様の金色の瞳が驚きに見開かれる。

 わたしは腹部に手を揃え、ゆっくりと頭を下げた。力を無くしたリアム様の両手が、わたしの肩から滑り落ちていく。


「隠していて申し訳ございませんでした。救って下さったリアム様にも、わたしが皇国に滞在する事を許して下さった皇帝陛下に対しても、大変不誠実でありました。皆様にお世話になったにも拘わらず、出自を黙っておりました事……責め立てられても致し方ない事だと理解しております」


 自分でも驚くくらいに落ち着いた声だった。

 本当は心臓が飛び出してしまいそうな程に騒がしくて、気持ちも悪くなりそうな程なのに。不安に圧し潰されそうで喉がひりついている。


「……その身が尊いと明かせば、皇国へ留め置かれてグラナティスの解放を望めなくなるかもしれん。皇国がグラナティスへと軍を進める理由を作るには、『王女がグラナティスに居る』という情報が必要だったというわけか」


 考えが全て読まれていく。

 それは信用していないのと同義だったのだと、リアム様の口から紡がれるそれはひどく薄情なものにも聞こえた。自分が、そう選んだ事なのに。


「いや……確かお前は『王女が宝石を実らせ続けている』と言ったな? それを『グラナティスに居る』と判断したのはこちらだろう。虚偽の証言をしているわけでもなし……正直なところ、お前が今にも死んでしまいそうな程に顔色を悪くする隠し事には思えないのだが」


 体を強張らせているわたしとは対照的に、リアム様の声はいつも通りに優しいものだった。罵られる事を覚悟していたのに、その声が敵意を形取る事はない。


 リアム様がわたしの顎に指を掛け、顔を上げさせる。抗う気力も無く、わたしはされるままにリアム様へと視線を戻した。リアム様の顔に怒りはなく、口元には笑みが浮かんでいた。


「俺は王女殿下へ不敬を働いた事になるか?」

「そんな事は……!」


 冗談だ、とリアム様が可笑しそうに肩を揺らす。

 それが……あまりにもいつも通りで、わたしは何だか気が抜けていくのを感じていた。


「お前の事情も理解出来る。皇国に一人連れられて、こちらを信頼して全てを明かせと言うのも酷な話だろう。お前が陛下の前で話した事に、嘘偽りはないな?」

「はい、出自を伏せた事以外は全て……真実のみをお話しています」

「では女王が倒れたというのも……」

「事実です。……ルダ=レンツィオにも王女の存在は伏せられていました。国民の命を人質にルダ=レンツィオの王太子はわたしの存在を明らかにさせ、わたしが宝石を実らせられると知ると……両親は殺されたのです」

「……あのクソ王太子を討てて良かったと心から思うよ」


 ぐいとリアム様に抱き寄せられる。わたしの背中と頭に回った腕が、ぎゅうぎゅうに抱き締めてくれる。

 もう感じる事が出来ないと思っていた温もりに、胸が詰まった。


「王子である兄も、わたしを守る為に殺されて……わずかに残る民を守る為に、わたしはルダ=レンツィオの捕虜となったのです」


 息が出来ないくらいに腕の力が強められる。

 今もまだ、あの夜の事を思い出すのは苦しい。血に塗れた三人の姿も、赤く燃えた恐ろしい空も何もかも。

 ルダ=レンツィオに連行された時の絶望も今も心に残っている。


「辛い思いをしたな。……グラナティスは必ずお前の手に戻してやる」

「……ありがとうございます」

「しかしその前に、悪いが……陛下にはお前が王女だという事は明かして貰う」

「承知しています。謝罪をしたいのですがそのお時間も頂けるでしょうか」

「謝罪はいらんと言うだろうな。あの方の事だ、お前の正体に気付いていてもおかしくはないぞ」

「そうでしょうか。もしそうだとしても、リアム様にはそれをお伝えにはならなかったのですよね?」

「その必要がないと判断されたんだろう」


 ゆっくりと腕の力が緩まっていく。リアム様はわたしの額に口付けをすると、ふぅと小さく息をついた。


「でもそうか……王女であるなら、お前はグラナティスに戻るんだな」


 返事が出来なかった。

 わたしは王女として、国を再建していく義務がある。エムデアルグ皇国に支援をして頂くけれど、その恩も倍以上にして返さなければならない。

 だからわたしは……グラナティスを離れるわけにはいかないのだ。

 それが、リアム様との別れを意味していても。


 わたしが王女であると明かしても、謀ったと罵られない事が有難い事なのだと分かっている。

 本当ならば心を寄せる事さえ許されず、もうお目にかかる事さえ出来なかったかもしれない。それだって覚悟していたはずなのに。


 王女だとしてもリアム様が何も変わらないでいてくれたから、わたしは我儘になってしまったみたいだ。


 寂しい。

 二度と会えないわけではないと分かっているのに、この時間が失われるのが寂しい。


 思い出だけで生きていけるなんて、きっと嘘だ。

 わたしはずっと恋心を温めて、思い出に縋って、寂しさを抱えて生きていくのだろう。


「……何て顔してんだ」

「え……?」


 わたしの顔を覗き込んだリアム様は苦笑いをしながら、わたしの頬を両手で包んだ。

 目を離す事も出来ずに、間近のお顔を見つめる事しか出来なかった。


「泣きそうな顔をしている」

「……グラナティスに戻って、リアム様にお会い出来なくなるのが寂しいのです」

「馬鹿だな、会えないわけじゃない。いいかシェリル、よく覚えておけ。お前が王女だろうが、グラナティスに戻ろうが、お前は俺のものだ」


 リアム様の声色が甘く聴こえる。

 唇に触れるだけの口付けをしたかと思えば、その唇はわたしの頬や瞳、顎先へと羽のような軽さで滑っていく。


「お前が首を差し出したあの時からずっと。高潔すぎる程の美しさに、惹かれていた」


 自分の瞳から涙が零れていると気付いたのは、リアム様が唇でそれを掬い取ってくれたから。

 胸が切なく疼く。こんなにも幸せな事があっていいのだろうか。


「あの時からずっと、俺はお前に恋をしている」


 金の瞳が色を濃くしてわたしを捉えている。そのあまりの美しさに鼓動が跳ねて、心の奥が締め付けられていく。甘い痺れを呼び起こすその言葉は、眩暈がしそうな程に幸せな響きだった。


「……わたしも、お慕いしています」

「知ってる」


 美貌を笑み崩したリアム様は、またわたしの体をぎゅっときつく抱き締めた。耳元に響く笑い声が擽ったい。

 つられたように笑みが零れてしまうけれど、涙は止まる事を知らずに溢れていくばかりだ。リアム様のガウンを濡らしてしまった。


「お前がグラナティスに居てもいい。俺は転移には自信があってね、いつだって会いに行ける。寂しい思いをする必要なんてない」


 リアム様の力強い言葉に、何度救われてきただろう。

 救われて、慰められて、恐れる事はないと全てで伝えてくれている。


「わたしの【願い事】はいつもリアム様が叶えてくれるのですね」

「ペンタスに誓うか。これからもずっと、お前の願いを叶え続けると」

「それではわたしが我儘になってしまいそうですもの。リアム様はお願い事は無いのですか?」

「無いわけではないが……」

「わたしも……いつかリアム様の願いを叶えられるようになりますから、待っていて下さいね」

「俺の願いか……そうだな、いつか叶えて貰うか」


 低く笑ったリアム様はゆっくりと体を離し、わたしへと真っ直ぐな眼差しを向けてくる。その色を濃くした瞳があまりにも愛おしくて──わたしは体を寄せて、そっと口付けをしていた。


 大それた事をしたと気付いたのは、唇が離れてからで。羞恥に顔が赤くなる事を自覚して、今すぐにでも逃げ出したい。就寝の挨拶をしようと口を開いた瞬間に、噛みつかれるように唇が塞がれてしまう。


 両の手首をしっかりと掴まれて逃げ場もない。

 吐息の欠片さえも飲み込まれるような激しい口付けに、わたしは翻弄されるばかりだった。


 いつの間にか風がやんでいたのだろうか。

 葉擦れの音も聞こえないのは、水音が響いているからだろうか。


 何も考えられなくなる頃にやっと解放される。肩で息をしたわたしがリアム様へと崩れ落ちる様を見て、恋しい人は嬉しそうに笑っていた。

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