32.蝶の色

 皇都の中心には大きな泉が印象的な広場がある。

 そこから小路が放射状に広がっていて、お店の種類ごとに区画分けがされているらしい。


 それを教えてくれたのは、わたしの隣を歩くリアム様だ。

 軍服の襟元を少し崩し、わたしと歩調を合わせながら歩いてくれている。


「魔法陣は?」

「大丈夫です、光っていません」


 リアム様に言われて、わたしは日傘をさしている。呪いが弱まっているとはいえども、注意をするに越したことはないという言葉に、わたしもその通りだと頷いた。

 泉の水は澄んでいて、太陽の光を映してきらきらと輝いている。あまりの眩さに目を細めてしまうけれど、その美しさに笑みが零れた。


 近くのベンチで休む人、広場を駆け回る子ども達、露天の店主が客寄せをする声。賑やかで平和な光景が広がっていた。


 攻め入られる事がない、強い国だからこんなにも平和なのだろうか。グラナティスも皇国のような武力を持っていれば、滅びる事などなかったのだろうか。

 胸の奥が軋むようにひどく痛む。グラナティスが滅びてしまった直接的な原因は、ルダ=レンツィオ王国が攻めてきた事だけれど……移り変わる時代に取り残されていた、わたし達王族の責任でもあるのだ。


「何を考えている?」

「……平和な国なのだなと、そう思っておりました」

「そうか」


 リアム様はそれ以上は何も言葉を紡がなかった。ただ、わたしの手をそっと取ると指先を絡めるようにして繋いでくれる。その温もりが心地よくて、その気遣いが有難くて。

 わたしはその手をぎゅっと強く握り締めた。


「色々見せてやりたいが、行きたいところがあるんだ。まずはそこに付き合ってくれるか」

「はい、もちろん」


 日傘のシャフトを肩に掛けながら頷くと、リアム様はゆっくりと歩き出した。寄り添うわたし達の影が、石畳に伸びていた。



 リアム様と共に小路を進む。

 陽射しの中を、恐れを感じる事なく歩く事が出来るだなんて。それがリアム様と一緒なのだから、鼓動は弾むばかりだ。

 ちらりと視線を向ければ、どうかしたかとリアム様も微笑んでくれる。それがなんだかとても嬉しい。


 進んだ先はドレスや宝飾品を取り扱うお店が並ぶ一角だった。

 ショーウィンドウに飾られた商品はどれも華やかで目が眩んでしまいそうな程に美しい。


「ここだ」


 リアム様が扉を開いたのは宝石店。扉を押さえたリアム様に促されたわたしは、日傘を畳んでお店の中へと足を踏み入れる。店内は静かで、照明が抑えられているのか少し薄暗い。その分、ショーケースの宝石周りに明かりが集められているようだ。


 毛足の長い絨毯に足を取られないよう気を付けながら、失礼にならない程度に店内に視線を巡らせる。ショーケースの向こうに居る店員がにこやかな笑みを浮かべていた。


「いらっしゃいませ、フェルザー様。素敵なお嬢様とご一緒ですね」


 奥から現れたのは白髪を短く整えた、老齢の男性だった。前合わせの衣装を幅広の布で留めた皇国特有の服装は、長身によく似合っていた。その衣装は濃紺で落ち着いているけれど、袖口や裾に金糸で刺繡が入っていて、上質なものだというのが伝わってくる。


「こちらの令嬢はシェリルだ。シェリル、彼はこの店のオーナーでマルセルという」

「はじめまして、シェリルと申します」

「ご丁寧にありがとうございます。どうぞシェリル様も当店をご贔屓にして下さい。いやぁ、それにしてもフェルザー様がご令嬢と連れ立ってくるなんて、初めて──」

「マルセル、頼んでいたものは出来たか」

「はいはい、ご用意出来ておりますよ」


 言葉を遮られてもマルセルさんはにこにこと笑ったままだ。

 こちらへどうぞと促されて、わたしとリアム様はお店の奥へと足を進める。……マルセルさんの言葉は遮られてしまったけれど、きっと『初めて』と言おうとしていたのではないだろうか。それを嬉しく思ってしまうのは……やっぱり、リアム様の事が好きだからなのだと思う。伝えられないくせに、こんな時だけ欲張りだ。そんな自分に内心で溜息をつきながら、わたしは足を進めていた。


 奥の部屋は応接室になっていた。

 革張りのソファーにリアム様と並んで腰を下ろすと、マルセルさんがお茶を持ってきてくれた。氷の入った背の高いグラスの中は冷たい紅茶のようだった。


「さて、フェルザー様のご依頼品はこちらになります。どうぞご確認下さい」


 差し出されたのは手の平サイズの小さな箱。

 ビロードの貼られた濃紺の箱には金糸で蝶が刺繍されている。


 グラスを手にして紅茶を半分ほど飲んでから、リアム様はその箱へと手を伸ばした。

 わたしも紅茶を頂く事にしてグラスを取る。ひんやりとしたガラスが指先から冷やしてくれて気持ちがいい。一口飲むと、すうっとミントの爽やかさが喉を駆け抜けていく。苦みの少ない美味しい紅茶だった。


「……いい出来だ」

「そう言って頂けると、うちの職人も喜びましょう」


 箱の中身を確認したリアム様は満足そうに頷いている。嬉しそうにも見えるその様子に、わたしまで笑みを浮かべてしまうほどだ。


「さて、私はお茶のお代わりを用意してきましょうか」


 そう言って立ち上がったマルセルさんは、足音も立てずに部屋を出て行ってしまう。まだグラスには紅茶が満たされているのに。それを不思議に思うけれど、声を掛けるのも憚られた。


 マルセルさんの気配が遠ざかっていくと、リアム様がわたしへと体を向けた。わたしもリアム様へ向き直ると、その金瞳が和らげられる。


「シェリル、これをお前に」


 リアム様が箱の中から取り出したのは、金細工で出来た蝶だった。

 ステンドグラスのような色鮮やかな羽は宝石で作られている。その色は──濃淡様々な美しい赤。


「……わたしに?」

「言っただろう、蝶の髪飾りを贈ると」


 その言葉に、幻華蝶を見た夜の事が思い起こされる。

 美しい蝶も、優しい夜気も、囁かれる甘い声色までも。


「後ろを向いてくれるか。飾ろう」


 その声が、あの夜のように甘やかで。ずくんと胸の奥が疼くのは、きっと切なさ。

 言われるままに背を向けると、花の形に結って貰った髪へと蝶が飾られるのが分かった。髪に触れる優しい仕草に、リアム様はどんな顔をしているのだろうと思った。


「ああ、思った通りだ。お前にはやっぱり赤が似合う」


 満足そうに笑ったリアム様は、テーブルに用意されていた手鏡をわたしへと持たせてくれる。もう一つあった大きな鏡を手にして、合わせ鏡で映してくれるようだ。

 角度を調整して蝶の飾られた髪を見る。……リアム様の言う通りに、わたしの白銀の髪に赤い蝶はよく映えた。結った髪が花のように見える事もあいまって、余計にそう見えるのかもしれない。


「リアム様、この宝石は……アメジストですよね?」

「よく分かったな。お前が宝石の選別に長けているのは知っていたが、これも分かるのか」


 アメジストなら紫色が一般的なのに。

 この蝶は赤や赤紫で仕上げられている。わざわざアメジストを選ばなくても、赤い石なら他にも……。そこまで考えて、はっとした。アメジストは紫色──リアム様の髪と同じ色だ。


「……リアム様の、アメジスト?」


 リアム様の方を向いてそれを口にした瞬間、わたしの唇は塞がれていた。噛みつくような口付けに吐息も何もかもが奪われてしまう。

 苦しいのに離れたくない。軍服の胸元に両手を添えると、リアム様の手がわたしの後頭部へと回って、更に引き寄せられてしまった。


「……分かっているなら言わなくていい」


 唇が解放されたと思ったら、ぐいと胸元に抱き寄せられる。伝わってくる鼓動がいつもよりも早いのは、気のせいではないと……それはわたしが、そうであってほしいと願っているからだろうか。


 リアム様がどんな気持ちで、わたしにアメジストの蝶を贈って下さったのか。

 その気持ちが……わたしと重なっていたらいいのに。そんな事を願ってしまった。


 それくらいに、この温もりが愛おしかった。

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