33.腕檻は優しく

「ありがとうございました。またどうぞ、ご贔屓に」


 にこやかに笑うマルセルさんに見送られたわたしとリアム様は、小路を進んで広場の方へと戻っている。触れ合った手は自然と握られて、それが嬉しくてわたしからもきつく手を握り返した。

 わたしの髪には相変わらず蝶々が飾られたままで、嬉しいのに少し胸の奥がむずむずする。

 あの夜に、泉の畔で幻華蝶を見た時も、これ以上に美しいものはないと思ったけれど。リアム様がわたしに与えてくれるものは、その気持ちを簡単に飛び越えていってしまう。


 浮かぶ笑みを隠す事も出来ずに歩いていると、リアム様が低く笑うのが分かった。視線を上げるとたれ目がちな金瞳が優しく細められている。


「機嫌がいいな」

「素敵なものを頂きましたから」

「そうか。まぁ……気に入ったなら着ければいい」

「毎日着けても?」

「お前の自由にすればいいだろう」


 ぶっきらぼうに聞こえる物言いも、照れているだけだというのは分かる。その声はひどく柔らかいし、繋いだ手が離される事もない。

 強い日差しの中、世界が眩いほどに輝いて見えるのは、きっとリアム様と一緒だから。胸の鼓動が落ち着く気配は全く無かった。



 ドレスや装飾品を見る事も勧められたけれど、お屋敷にはたくさんのものが用意されている。既製品だとリアム様は言うけれど、イルゼさんが選んでくれたそれらはとてもわたしに似合っていると思うから。


 もう充分過ぎるくらいに、わたしはリアム様に与えられている。

 それは身に着けるものだけでなくて、毎日解呪の為に魔力を注いでくださっているとか、お日様の下を恐れずに歩けることだとか。

 それを告げるとリアム様は納得していないように眉を寄せるから、何だかおかしくなってわたしは笑ってしまった。


 一番は、リアム様を想うこの気持ち。

 リアム様はわたしに恋心を下さった。これから何があっても、もし……わたしが隠している事で責め立てられることがあっても。

 この気持ちが、この想いがあれば……わたしは生きていけるだろう。



 次の小路を進んだ先は大きな市場に繋がっていた。

 小路に大きな屋根が据え付けられて、そこが市場のメイン通りになっているらしい。小路から更に枝分かれするように道が広がって、色んなお店が並んでいるのだという。

 生鮮品だけでなく、お菓子やパンも売られているらしく、近付くだけで活気に満ち溢れているのが分かる。それを見るだけでわたしの頬は綻んでいた。


「こういう場所が楽しいのか?」

「市場は暮らしに繋がりますもの。賑やかで楽しいです」

「珍しい果物でも買っていくか。酸味の強いものが好きだろう?」


 リアム様とはぐれないように繋ぐ手を揺らしていると、不意に掛けられた言葉に目を瞬いた。

 

「そうですが……よくご存知でしたね」

「朝晩と一緒に食事をとっていれば、好みもわかるさ」


 確かにそうかもしれないけれど。わたしの事を知っていてくれるのが嬉しくて、笑みは深まるばかりだ。

 浮かれ気分のわたしを宥めるように、リアム様が繋いでいた手を引き寄せる。わたしの頭がリアム様の肩に触れる程に距離が近付いて、届くパルファムの香りに鼓動が跳ねた。


 それを誤魔化すように周囲に視線を巡らせていると、行き交う人々からの視線を強く感じた。リアム様の頭にちらりと目を向けては苦々しい顔をする人もいれば、その美貌に顔を赤らめている人もいる。リアム様を知っているのか、将軍様だと喜ぶ子ども。

 様々な視線を浴びながらも、リアム様は何も変わらなかった。ただ堂々と道を歩くばかりだ。


「果物は確かあちら側に……」

「リアム様!?」


 リアム様が指で店を示そうとした時、何だか聞き覚えのある声がした。

 足を止めたわたし達がそちらへ目を向けると、食材でたっぷり満たされた籠を持つ──バルトさんの姿があった。


「な、っ……その角、は……」

「落とした」

「おと、っ……!? まさかまたその女が……」

「バルト」


 キッとわたしを睨んだバルトさんを咎めて、リアム様の声が低くなる。

 ただでさえリアム様は衆目を浴びていた。道の真ん中である事もあって、周りで足を止める人も出始めてしまっている。


「移動するか。お前も来い、バルト」

「はい……」


 細い路地裏に足を進めるリアム様に、わたしとバルトさんはついていく以外に出来なかった。



 人気のない裏路地で、わたしとバルトさんは向き合っている。近くの壁に寄り掛かったリアム様は、バルトさんの持つ籠に目を向けながら問いかけた。


「店の手伝いか」

「はい。……シェリル、さん。あの……すみませんでした」


 店の手伝い。そういえばバルトさんの実家は食堂を営んでいると聞いた……そんなことよりも。バルトさんが謝罪をした?

 驚きに言葉を返せないでいると、バルトさんは気まずそうに足元へと視線を落とした。


「リアム様のお客様だというのは分かっているのですが、それでも……僕はあなたを好きにはなれない。それはあなたが何かをしたとかではなくて、僕の問題です」


 バルトさんの声は、以前に会った時よりも落ち着いているように思えた。


「……ですが、だからといってあなたを傷付けてはならなかった。あなたにどうしてあんな事をしてしまったのか。あの時は……胸の奥にどす黒い何かが渦巻くようで、あなたを傷付けたくて仕方がなかった。でもそれは……決してやっていい事ではなかったと分かっています。申し訳ありませんでした」


 好かれていないのは分かっている。先程のリアム様の角を見た、あの時の反応からもそれは伝わってくる。

 それでも、今わたしの前で口にしたのは……バルトさんの本当の言葉だと思った。


「謝罪を受け入れます。どうぞこれ以上はお気になさらずに」

「……ありがとうございます」


 籠を両腕で抱え直すようにして、バルトさんはまた頭を下げた。リアム様は壁から離れると、またわたしの隣に立つ。バルトさんへ向ける視線はまだ厳しいままだった。


「バルト、お前の姉は結婚をするそうだな?」

「……はい。ご存知だったんですね」

「リンに聞いた。姉とその相手は相思相愛だというだろう」


 リアム様の言葉に、バルトさんの顔が歪んだ。

 そうだ、バルトさんは……お姉さんとリアム様が結ばれる事を願っていたのだった。リアム様は否定をしていたし、お姉さんも想う人と結婚をする。それなのに……胸の奥に棘が刺さったようにちくりと痛んだ。


「姉の幸せを願ってやれ」

「……はい」


 バルトさんは俯いたまま、それ以上は何も言わなかった。

 きっと彼も分かっているのだ。お姉さんが、想い人と結ばれて幸せになる事が。それでも思い浮かんでしまった夢を諦める事が出来なかったのだろう。


「行くぞ」


 リアム様がわたしの手を取る。そのまま歩き出してしまうから、わたしも足を踏みだすしかなかった。肩越しに振り返ったバルトさんは、意外にも少しすっきりとした顔をしていたのは見間違えではなかったと思う。そんな彼に会釈をして、わたしはリアム様と共に大通りへと戻ったのだった。



 果物を買ったり、露天を色々見て回ったり、途中で飲み物を買って泉の広場で休んだり。

 ヒールの低い靴で来てよかったと思うくらいに歩き回った。もしかしたらイルゼさんは、これも読んでいたんだろうか。有能なメイドである彼女ならあながち間違ってもいなさそうで、少し笑みが漏れた。


「どうした?」

「いえ……今日があまりにも楽しくて」

「そうか、それならいい」


 本当に楽しかったのだ。

 日傘はさしていても、太陽に怯える事はない。隣には好きな人がいて、手を繋いで歩いてくれる。珍しいもの、美しいものを見たり触れたり……もう手に入らないと思っていた幸せな時間に胸が苦しくなる程だった。


 わたしとリアム様は街を見下ろす高台にいた。落下防止か黒い柵が設置されていて、わたしは片手をそれに添えた。

 茜色に染まっていた夕陽が地平を照らしながら沈んでいく。金と赤、紺色が入り混じる美しい時間だった。


 もう日が沈む。

 あと僅かな時間ならばと、わたしはさしていた日傘を畳んだ。リアム様もわたしの気持ちを読んで下さったように、咎める事はしないでくれた。


 夕陽を浴びても肌が焼かれる事はない。手の甲に薄く魔法陣が浮かんだけれど、光り輝く前には太陽の方が沈むだろう。


 リアム様がわたしの後ろに立って、両腕で黒柵を掴む。腕の中に収まったわたしの背に、リアム様の温もりが当たった。


「バルトの事はいいのか。された事を思えば、謝罪を受け入れなくても仕方がないと思うが」

「わたしの呪いのせいでもありますから。リアム様もどうぞご慈悲を」

「しかし……」

「それにきっと、辛い思いをされたのでしょう。呪いに引き摺られて悪意が増幅する。自分の心のくらい感情と向き合わなければならないのは、わたしが想像するよりもずっと残酷だったと思うのです」

「……そうかもしれんな」


 リアム様の吐息が耳に掛かる。

 腕の中に囚われて身動きさえ出来ないけれど、この距離さえも愛おしかった。


「今日はありがとうございました。きっとこの日の事は忘れられないでしょう」

「おかしな事を言う。またいつでも一緒に来ればいい」

「また連れてきて下さいます?」

「もちろん。お前が望めばいつだって」

「これ以上甘やかされてしまったら、我儘になってしまいそうです」

「我儘な姿も見てみたいものだな」


 優しい言葉に笑みが漏れる。鼓動が騒がしいけれど、それに気持ちを押されるように、わたしは背後のリアム様に体を預けた。柵を掴んでいたリアム様の腕がわたしに回り、両腕でしっかりと抱き締められる。

 その腕に手を添えながら、沈んでいく夕陽をずっと見ていた。沈む間際に輝く赤は髪飾りの蝶によく似ていた。

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