31.まるで舞っているかのように

 挑発するようなリアム様の様子に、周りを取り囲む人々が殺気立つのが分かる。

 全員が思い思いの武器を手にし、一斉に示し合わせたように地を蹴った。


「リアム様……っ」


 あっという間にリアム様は人の波に飲み込まれてしまって、それを見ていたわたしは悲鳴を押し殺した。両手で口元を押さえるけれど、震える息が漏れてしまう。

 隣に立つグレンさんは温和な笑みを浮かべるばかりで、わたしはどうしていいのか分からなかった。


「ぐっ!」

「がは……っ!」


 呻き声が積み重なっていく。

 修練場の地に倒れ伏していくのは──リアム様ではなく、囲んでいた周りの人々だった。


 合間を縫うように、まるで舞っているかの如く、リアム様が剣を振るっている。

 魔法を使っているのか金の瞳は輝きを増し、紫の髪は風に揺れ、その口元には笑みが浮かんでいる。


 あっという間にリアム様以外の人達は倒れてしまった。皆が苦しそうに呻いていたり、肩で息をしているにも関わらず、リアム様は呼吸一つ乱していないようだった。


「大丈夫だと申しましたでしょう?」

「そう、ですね……」


 グレンさんが機嫌よく言葉を掛けてくるけれど、わたしは小さく頷く事しか出来なかった。剣を振るうリアム様の姿が目に焼き付いて離れない。戦っているにも関わらず、剣を持っているにも関わらず、何よりも美しく見えたのだ。


「たとえ角が両方落ちようとも、俺の強さは変わらん。誇りだ何だとやかましい。いいから黙って俺についてこい」

「……はっ!」


 力強いリアム様の言葉に、倒れていた人たちが勢いよく立ち上がると一糸の乱れもなく敬礼をする。その眼差しにリアム様を侮るような色は無い。

 リアム様は満足そうに頷くと剣を鞘に戻した。


「では旦那様の元に参りましょうか」

「近くまで行っても大丈夫ですか?」

「もちろん。差し入れも用意してございます」


 そう言いながらグレンさんは手にしていたバスケットを掲げて見せた。中にはグレンさんとイルゼさんが作った焼き菓子が入っている。

 先導してくれるグレンさんの後を追いかけ、わたしは日傘の柄を持ち直して歩みを進めた。凛々しいあの姿を忘れないように、胸の奥にしまっておこうと思いながら。



 わたし達が修練場の広場に下りると、先程の怒号が嘘のように穏やかな雰囲気が広がっていた。剣を打ち合う人、外周を走る人、魔法を使って炎を生み出す人、明確な区切りはないけれど、それぞれが集まって鍛錬を始めているらしい。


 現れたわたし達に気付いている人達も多く、ちらちらと様子を伺うような視線が向けられる。


「旦那様」

「グレン。……シェリル」


 声を掛けられたリアム様が驚いたように目を瞬く。すぐに眉を寄せて険しい顔をされると、足早にわたし達の元へと近付いてきた。

 お屋敷から出ないよう言いつけられていたのに、それを破った事を咎められるだろうか。そう思ったわたしはリアム様が口を開くよりも早く、手首で煌めく腕輪を掲げて見せた。


「レイチェル様が魔護具アミュレットを作って下さったのです」

「……そうか、それならいい。出掛けるならもっと別の場所の方が楽しいだろうに、何だってここに?」

「シェリル様が旦那様を案じておられましたので、僭越せんえつながら差し入れがてらご一緒させて頂きました」


 グレンさんがにこにことバスケットを差し出すと、リアム様は眉を寄せた表情のままで肩越しに振り返った。控えていた一人が進み出て、グレンさんからバスケットを受け取ってくれる。


「……別に心配されるような事はないんだが」


 そう、確かにわたしが心配するような事はなかったのだ。

 リアム様は角を落としてしまった事で向けられた不信を、全て自分で跳ねのける事が出来るのだから。


「それでも色々考えてしまうのです。でも先程のリアム様を見て、杞憂だと実感しています。とても素敵でした」


 小さな声で思うままに言葉を紡ぐと、リアム様の表情が和らいだ。可笑しそうにくつくつと肩を揺らしては、わたしの頭にぽんと優しく手を乗せてくれる。髪を撫でた指先は流れるように滑り落ちていった。


「折角だ、グレンに皇都を案内して貰うといい。そういった・・・・・ドレスも好きなものを選んでいいぞ」


 気付いて下さっていた。

 今のわたしはいつもお屋敷で着ているものよりも、華やかな淡黄色のドレスを着ている。デイドレスには変わりがないから露出が多いわけではないが、それでもいつもより着飾っているのは明らかだ。

 髪も上半分を花の形に結ってもらい、お化粧も少ししっかりめに。ネックレスとイヤリングも揃いのもので、わたしの瞳と同じガーネットがあしらわれていた。


「閣下、この後は私共だけでも構いません。ご令嬢をエスコートして差し上げては……」


 バスケットを受け取った人が、にこやかに言葉を紡ぎだす。

 薄緑の長い髪をうなじでひとつにまとめ、その頭には白い三角の耳がある。先程の騒動の際は壁際に控えていた人だった。


「ウィル。……しかし今日はこいつらを鍛え直してやらねばならん。人を腑抜けただの軟派者だの言ってくれた代償は払って貰わないとな」

「閣下は結構根に持つタイプですね。閣下が為さらなくとも……ねぇ、グレン殿?」


 ウィルと呼ばれたその人は楽しそうに笑っている。グレンさんもにやりと笑って大きく頷くと、こちらを伺うような周りの人々が顔色を悪くしながら小さな悲鳴をあげた。


「僭越ながらこのグレン、そのお役目を承りましょう」

「ふふ、鬼教官・・・が居れば彼らの性根も少しは真っ直ぐになるでしょう。ですから閣下、今日はどうぞご令嬢のエスコートを」


 リアム様は思案するように、わたしとグレンさん、それから周囲へと視線を向けた。ふぅと小さく息を吐くと、その口元に笑みを浮かべて見せた。


「そうさせて貰うか。シェリル、少し待っていてくれ」

「はい」


 リアム様が皇都を案内してくれる。

 それを思うだけで胸が弾んでしまうのは、仕方がない事だろう。諦めていた陽射しの中を、好きな人と歩けるだなんて。


 しかしグレンさんや皆さんは構わないのだろうか。

 また迷惑を掛けているのではないかと不安もよぎる。そんなわたしの考えを呼んだようにリアム様が首を横に振る。


「大丈夫だから心配するな。グレン、支度をしてくるからシェリルの側にいてくれ」

「かしこまりました」


 そう言ってこの場を離れるリアム様を見送って、わたしは改めて修練場へと視線を巡らせた。こちらを気にしている人もいれば、それだけの余裕もなく青ざめている人もいる。

 先程、ウィルさんはグレンさんの事を鬼教官と呼んでいた。周りの方の反応を見るに、それもあながち間違いではないのだろうと思う。


「シェリル様、お久し振りでございます。といっても……あの王城占拠の際に少しお見かけしただけですから、覚えてはいらっしゃらないと思いますが。私は紫龍軍副官に就いております、ウィル・ザイツと申します」

「その節は皆様に大変お世話になりました。あの時は皆様の顔をよく拝見する余裕もなく、お礼が遅くなり申し訳ございません。ありがとうございました」


 わたしはスカートの布地を摘んで頭を下げた。

 あの時は目まぐるしく状況が変わっていって、その後に控えていた皇帝陛下との謁見の事でも頭がいっぱいだった。わたしをこの国に運んでくれたのは、紫龍軍の皆様だったのに。


 非礼を詫びるもウィルさんは気にしないとばかりに、微笑みながら頷いている。

 

「先程は驚かれたことでしょう。血の気が多い者ばかりで、お見苦しいものをお見せしました」

「いえ、そんな事は……」

「まぁちょっと言葉が過ぎる者も居りましたのでね、グレン殿がご一緒して下さるなら心強い限りです」


 ウィルさんの微笑は変わらずに、声だって優しいはずなのに。纏う空気が一気に冷え込んだ気がする。

 わたしの隣にいるグレンさんも同じように笑っているのに、モノクルの奥の瞳が凍てついているようだった。モノクルを外したグレンさんはそれを執事服の胸ポケットにしまってから上着を脱ぐ。


「旦那様は懐が広すぎますな。それに甘えた輩に、少しばかり灸を据えてやりましょう」


 ……グレンさんもウィルさんも、怒っている。

 その気迫に思わず後ずさりながら周囲に目を配ると、気の毒なくらいに顔色を悪くしている人達が見えた。


「シェリル様、イルゼには伝えておきますので旦那様とごゆっくり過ごしてきて下さいませ。自分は今日……何時に戻れるかは分かりません故に」

「は、はい」


 怒りを向けられたわけではないのに背筋が伸びる。持っていた傘の柄をぎゅっと強く握り締めながら、この先に何があるかは見ない方がよさそうだと思った。

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