30.凛然とした角落ち
わたしがお庭で倒れた次の日の事。
イルゼさんもグレンさんも、わたしを一人にしないようについていてくれた。お仕事の邪魔をしてしまって申し訳なかったのだけど、二人は本当に気にしていないとばかりに笑うものだから、その厚意を有難く受け取る事にした。
思えばこのお屋敷に来てからというもの、厚意を素直に受け取る事が出来るようになった気がする。自分を卑下してしまう癖は時折顔を覗かせるけれど、それもこれから直していけたらと思っている。
皆がわたしを大事にしてくれるのに、わたしが自分を大事にしないだなんておかしいもの。
「シェリル様、こちらは数え終わりました。数も全て合っております」
「ありがとうございます。今回は魔石が多かったですね。レイチェル様が喜んで下さるといいんですけれど」
わたしはグレンさんに手伝ってもらって、選別を終えた魔石の納品準備を行っていた。これと入れ替わりに、また新しい裸石が運び込まれるだろう。
テーブルの上を片付けながら、わたしは小さく息をついた。少し体が強張っているかもしれない。同じ姿勢で居続けたからだと、わたしは両腕を天井に上げて、背を伸ばした。
「お疲れ様でございました。お茶にしましょうか」
「ではグレンさんとイルゼさんもぜひご一緒に」
「ご相伴させて頂きましょう」
モノクルの向こうで柔和に瞳が細められる。
短く整えられた灰色の髪から見えるのは鬼人族の角が二本。
グレンさんはリアム様の角をどう思っているんだろう。それが頭に浮かんだ時、わたしは口を開いていた。
「あの……グレンさんから見て、リアム様の角は……」
わたしの言いたい事が分かったのか、グレンさんは小さく頷いた。その表情は変わらずに、穏やかな笑みを浮かべているばかり。
「鬼人族としては驚きが隠せなかったというのが正直なところです。ですがあの方ほどに気高い鬼人を私は存じ上げず、角の有無で主人の本質も変わりはしません」
「……そう伺えて、なんだかほっとしました」
グレンさんはリアムさんの角を見ても、変わらないようだ。それに安堵の息をつくけれど……他の人はどうなのだろう。
リアム様は将軍の位にあり、軍に属する部下の方々を率いていく方だ。角が片方落ちた事で何か問題はないのだろうか。
わたしの不安を読み取ったようにグレンさんが眉を下げる。微笑みをたたえた唇が言葉を紡ぎだそうとした時に、軽やかなノックの音が響いた。
扉を開けて入ってきたのはイルゼさんで、両手で銀製のトレイを持っている。トレイには艶のある白布が掛けられて、その上には細い金の腕輪が載せられていた。
「シェリル様、レイチェル様よりお届けものです。旦那様が依頼されていた
「ありがとうございます」
差し出されたトレイから腕輪を取る。赤い魔石が煌めくそれを手首に嵌めると淡い光が体を包み、吸い込まれるように消えていった。
「……シェリル様、少しお出かけをしてみましょうか」
掛けられた声にグレンさんを見ると、片目を悪戯に閉じている。わたしが驚きに返事が出来ないでいる間にイルゼさんは大きく頷いて、「シェリル様のお仕度の準備をしてきます」と部屋を出て行ってしまった。
「お出掛けですか?」
「旦那様の元に行ってみましょう。見てみたくはありませんか?」
「え、それは……見てみたいですが、部外者のわたしが行ってもいいのでしょうか」
「シェリル様は旦那様の客人です、問題はありませんよ。私も所属していた軍ですし勝手知ったるものです。差し入れでも持っていきましょう」
それが建前だという事は分かっている。
リアム様の周囲の人々が、リアム様をどう見ているのか気になっているわたしの事を考えてくれたのだろう。この目で見た方が、安心できるだろうと。
「……ありがとうございます」
「きっと主人もお喜びになるでしょう。ついでに魔石も納品していきましょうか。準備は私が致しますので、シェリル様はどうぞお仕度を」
グレンさんの言葉に甘えて、わたしは自室に下がらせて貰った。支度といっても着飾る必要はない。お化粧と髪を少し直して……と思っていたのに、それは甘い考えだった。
グレンさんの描いてくれた魔法陣を使って転移をする。
景色が変わって、わたしとグレンさんはお屋敷から皇城のそばまで移動していた。
「シェリル様、大丈夫ですか」
「はい。……すごい、肌が焼かれないです」
わたしはさしていた日傘から、陽光の下へと手を伸ばす。手の甲にうっすらと魔法陣が浮かぶけれど、いままでのように肌が爛れる事はない。レイチェル様が呪いを和らげて下さったおかげだ。久しぶりに感じる温もりに心が弾む。今までは恐怖しかなかったこの陽射しが、こんなにも気持ちのいいものだったと思い出した。
「旦那様は修練場にいるようです。行ってみましょう」
「はい」
グレンさんと話をしていた門番らしき人が会釈をしてくれる。わたしも笑みを浮かべて頭を下げつつ、グレンさんの後を追いかけた。
きっとあの人もグレンさんの事を知っているのだろう。教官をやっていたというお話だったから。
修練場はすぐ近くにあるらしい。
壁で囲まれた円形の建物が見えてくる。屋根はないのか、怒声にも似た声が聞こえてくるけれど、その内容までは分からない。
修練場の外に立つ兵士の方が、グレンさんを見て姿勢を正す。勢いよく敬礼をするその顔は緊張しているようだった。
「入っても?」
「はっ! グレン教官でしたらいつでも……ですが、そちらの女性は……」
「私はもう教官ではないよ。こちらのお方はリアム様のお客様だ。入っても構わないね」
「かしこまりました。……ですが今は、少し……お嬢様には刺激が強いかと……」
言葉を濁す兵士の様子に、グレンさんは何度か頷いている。グレンさんには分かっているようだけれど、わたしにはさっぱりだ。迷惑を掛けたいわけではないから遠慮した方がいいのかと、そう告げようとした時だった。
「参りましょう、シェリル様」
グレンさんはいつもの笑みを浮かべたまま、先へ進むよう促してくる。
「よろしいのでしょうか。リアム様や皆様のご迷惑になるようでしたら……」
「問題ありませんよ」
わたしはさしていた日傘を畳むと、兵士の方にまた頭を下げてからグレンさんと共に歩き出した。
入口から通路を進む度に怒号が近付いてくる。
緊張からか鼓動が騒がしくなる中で、わたしは手にする日傘の柄をぎゅっと握り締めていた。
通路を抜けた先は、まるで観客席となっているかのように高い場所だった。
厚い壁に囲まれた円形の広場が見下ろせて、そこには数十人の軍人の方々が輪を成している。頭に角がある人、背中に羽がある人、獣の耳がついている人。様々な人達に囲まれているのはリアム様だった。
他にも軍人らしき人達は居るけれど輪には入らず、壁際からその一団を眺めているようだった。
「誇りを無くしたあんたについてはいけねぇ!」
「女の為に誇りを捨てたときいたぞ。俺達の上に立つ将軍がそんな軟派者でいいのか」
「無敗の将軍が随分と腑抜けてしまったみたいだな!」
飛び交う怒声に息が詰まった。
リアム様が……責められている。
体が氷となったかのように、すうっと冷えていくのを感じた。傘の柄を掴んでいた指先が白くなっていくけれど、どうやって力を抜いたらいいのか分からない。
「シェリル様、大丈夫ですよ」
わたしの肩に片手を乗せながらグレンさんがそう言ってくれるけれど、責め立てられるリアム様を見て、大丈夫だなんて思えなかった。
「では試してみるか」
凛とした声だった。
その一声だけで、騒がしかった場が静まり返る。
「全員まとめてかかってこい。好き勝手言ってくれたが、俺が腑抜けているかどうか……実際に確かめてみればいい」
リアム様が腰に下げていた剣を抜く。
罵声によって高まっていた熱気が急激に冷えていくようだった。リアム様を囲う人達が息を飲んでいるのが伝わってくる。
「来い」
剣を構える事も無く、空いた左手を天に向け、挑発するように手招くリアム様の唇は愉悦に弧を描いていた。
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