24.連れ去られた、心(リアム)
シェリルが襲われた。
その報せに急いで屋敷へ戻ると、俺を出迎えたのは険しい顔をしたグレンだった。その表情からも状況が芳しくないのは伝わってくる。
「シェリルは」
「お部屋に運んでおります。いまはイルゼがついておりますが……意識が戻る様子はございません。治癒魔法も一切受け付けず、恐らく呪術の類かと」
「リンを呼んでくれ」
「かしこまりました」
呪術ならばリンを頼らざるを得ない。
足早にシェリルの部屋に向かい、勢い任せにドアを開くと寝台横の床に膝をついてシェリルを看ていたイルゼが振り返った。その目は赤く、泣き腫らしていたのが分かるほどだった。
足早に寝台へと近付き、横たわるシェリルの頬に触れる。顔色は悪いが温かい。規則正しく胸が上下に動いているが……何か違和感が拭えなかった。
──ここに、シェリルはいない。自分でも可笑しな事を考えていると分かっている。だがその考えが頭から離れない。
「旦那様……私がついていながら、申し訳ございません」
「何があった」
ぐいと目元の涙を拭ったイルゼは一度深呼吸をしてから立ち上がり、いつものように背筋を伸ばした。
俺は寝台の端に腰を下ろし、シェリルの手を握る。いつもなら恥ずかし気に握り返されるはずの手は、だらりと脱力したままだ。
「シェリル様と裏庭で花を切っていた時でした。薔薇の一輪から茨が伸びて、シェリル様の手を傷付けたのです」
「茨が伸びた?」
「切り口から、茨が」
そんな事があるわけがない……が、そう言い切れないのはシェリルに掛けられたろくでもない呪いがあるからだ。グレンに管理されている庭に、呪術を帯びた植物が入り込めるわけがない。そうなると、シェリルに掛けられている呪いが何かの原因で作用したと考えるべきだろう。
「シェリル様の血が地面に落ちると、おぞましい程の黒い茨がそこから現れて……シェリル様を拘束してしまいました。非常に硬度が高く、ナイフで切る事も出来ず……」
「お前の力でもか」
イルゼは獣人族なだけあって、力が強い。単純な力比べだけでは、俺も負けてしまうだろう程だ。そのイルゼの力を使っても切り裂けないとすれば……呪術の精度が高い以外に考えられない。そしてそれを出来るのが、ルダ=レンツィオの第一王女だった。
人形めいた美貌を持つ、あの王女。数度見た事はあるが瞳の奥に隠し切れない嗜虐の闇が広がっていた。
「茨がわたしへとその切っ先を向けて……それに気付いたシェリル様が、私を助けて下さいました。茨が今度はシェリル様に向かい……拘束されたシェリル様が意識を失うのと同時に、茨も全て消えてしまいました」
思い出してかイルゼの声に涙が混じる。
誰がイルゼを責められようか。俺は首を横に振ると、またシェリルへと目を向けた。
「お前のせいではない。いまリンを呼ぶように言ってある。あいつが来れば解決の糸口も掴めるだろう」
「はい……」
シェリルの長い睫毛が白い頬に影を落としている。眠っているように穏やかな顔をしているのに、喪失感に襲われる。
手の平に治癒魔法を展開させる。それをシェリルに掛けても何も起こらない。反発されるわけではないが、治癒すべき箇所がない為に流れ落ちていく状態だった。
ああ、こんな事になるのなら……俺と一緒に閉じ込めておくべきだったのだろうか。
呪術の干渉が起きないように陣を張った部屋に閉じ込めて、朝も夜も関係なく、解呪の魔力を注ぎ続けるべきだったのかもしれない。
そんな
小さな溜息は、自分でも呆れるくらいに負の感情に塗れていた。
───コンコンコン
強いノックに肩が跳ねた。
……俺は何を考えていたんだ。閉じ込められるならとっくにそうしている。
今だって実際は屋敷に閉じ込めている状況なのに、文句も言わず笑みを浮かべているシェリルを外に出してやりたいと、そう思っていたはずなのに。
「お邪魔するよー……って、何だいフェルザー君。何か悪い事でも考えていたかな?」
「……何も考えていないが」
「本当かなぁ。まぁいいや。で、シェリルちゃんが襲われたって?」
軽い調子でリンが部屋に入ってくる。
内面を覗かれたような指摘に素知らぬ顔をしてみるが、誤魔化せたかは怪しいところだ。
リンは真っ直ぐに寝台へと向かい、両手をシェリルの頭上に翳す。流れるような文言に呼応するよう溢れた光達がシェリルを包み、そして波が引くようにさっと消えていった。
「うーん……中々厄介だねぇ」
「何がだ」
「シェリルちゃんの心が連れ去られてる」
俺が感じた違和感はそれだったのか。
シェリルがいない。当たっては欲しくなかったが、やはりそうだった。
「これが眠っているだけとかだったらさ、御伽噺みたいに君にキスの一つや二つでもちょちょいとかまして貰うんだけどねぇ」
茶化すような物言いながら、リンの眉間には皺が寄っている。何かを考え込みながらでも軽口を言えるほど、相変わらず口が回る。
「シェリルちゃんの呪いが影響しているのは間違いないんだけど……いや、参ったな」
「連れ戻す方法は?」
「無くはないだろうけど……間に合うかどうか」
「間に合う?」
「心が離れているわけだからね、このままだと……」
リンが白衣のポケットからメモとペンを取り出して、何かを書き出している。一枚を破いたその瞬間、控えていたイルゼが息を飲んだ。その視線はシェリルへと向けられている。
シェリルに顔を向けた俺が見たものは、美しい顔が焼け爛れていく様子だった。炎に浸食された白い肌が赤黒く爛れていく。
「……何だ、これは」
あまりにも痛々しい様子に、思わず治癒魔法を展開させる。それをシェリルに掛けるよりも先に、幻だったかと思うくらいの速さで傷が癒えていった。シェリルは痛みを感じる心がない為か、規則正しい呼吸を唇から漏らすくらいで何も反応しない。
「今のは?」
「……心が甚振られているんだ。連れ去られたシェリルちゃんの
リンの顔色も悪くなっていく。
俺は抑えられない苛立ちを深い溜息に逃がした。
「もし心が死を迎えたら、この体も死んでしまう。こうして無理に連れていかれた心は身を守る術を持っていないだろうから、きっと……今まで以上に辛い思いをしているんじゃないだろうか。諦めてしまったら、そこで心は死んでしまうかもしれない」
「どうやって連れ戻せばいい」
「連れ去られた先、別空間って言ったらいいかな。その空間がどこなのかは、心と体を繋ぐ糸を辿れば分かる。でもその空間は閉ざされていて、開ける為の鍵を作るには膨大な魔力が必要になるんだ。魔術師団にある魔石をかき集めるし、それでも足りなかったら陛下にお願いして城の魔導具も使わせて貰う」
「それはすぐに出来るのか」
「……時間が欲しい」
時間なんてない。
いまこうしている間にも、あのクソ王女にシェリルは囚われている。囚われて甚振られて、恐怖を感じている事だろう。
柔い心がどれだけ悲しみに暮れているのか、考えただけで気が狂いそうだった。
窓を叩く雨が勢いを増していく。
雨音がやけに耳に残って、吐き気がするほどに苛立たしかった。
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