23.茨

 黒雲が空を覆っている。昼間だというのにひどく暗い日で、既に灯された裏庭の明かりが花や道を優しく照らしている。

 今にも雨が落ちそうな程に厚く暗い空の下で、わたしはイルゼさんとお屋敷に飾るお花を切り出していた。


 一応日傘はさしているけれど、この分だと陽射しを遮る為というよりかは、雨に濡れないように使う事になりそうだ。吹き抜ける風が雨の気配を纏っていて、わたしは急ぎ足で薔薇の元へと足を進めた。


 オレンジ色の鮮やかな、大輪の薔薇が咲いている。茨が絡む美しいアーチをくぐると、芳しい花香がわたしを包み込むようだった。

 イルゼさんは向こうでかすみ草を切っている。かすみ草にはどの色の薔薇でも似合うけれど、このオレンジ色を飾ったら、お屋敷の中がぱっと華やぐかもしれない。


 少し先の区画にある向日葵は、顔を向けるべき太陽が隠れているからか俯いている。その隣には凛とした紫色のグラジオラス。少し離れた区画にはジニア、ルドベキア、ポーチュラカ。このお庭に出るようになって、ずいぶんと花にも詳しくなれたかもしれない。


「シェリル様、かすみ草はこれくらいでいいですか?」


 白くて可憐な花を胸に抱えたイルゼさんが声を掛けてくれる。わたしはさしていた傘を畳んで、近くの柵に立てかけた。空を見上げても晴れる気配はない。日傘がなくても大丈夫だろう。


「はい、ありがとうございます。薔薇を切ろうと思うのですが、この辺りは切っても大丈夫でしょうか」

「大丈夫ですよ。他にも必要な花があれば切りますが、この薔薇だけでも充分に華やかになりそうですね」


 腰に下げたポーチを開いたイルゼさんは、片手で布を取り出そうとしている。片手では難しそうだと思ったわたしは、かすみ草を両手に受け取った。両手を自由にしたイルゼさんは大判の布を取り出して、それを地面に広げてくれる。そこにかすみ草を置いてから、わたしも腰のポーチを開いて、剪定鋏を手に取った。


 革の手袋をしているとはいっても、棘には気を付けなければならない。一輪ずつ薔薇を切る度に響く、パチンという高い音が心地良かった。


「シェリル様はオレンジ色の薔薇の花言葉はご存じですか?」

「いえ……色によって違うのだとは、グレンさんに伺いましたが。オレンジ色はどういう意味なんですか?」


 わたしと同じように薔薇を切るイルゼさんが、丸い耳を動かしながら悪戯に笑う。


「情熱、熱望、絆……などですね。オレンジ色を選んだのは、そういった気持ちの表れでしょうか」


 意味ありげな言葉に、わたしの頬が赤くなっていくのが分かる。確かにオレンジ色の華やかさは、そう言った言葉が似合うけれど……。


「ち、違います。ただオレンジ色が綺麗で、目を奪われてしまったからで……!」

「ふふ、旦那様のお部屋にも飾りましょうね」

「飾りますけど、そういう意味ではなくてですね……」

「はいはい、承知しておりますよ」


 楽し気に笑うイルゼさんに、わたしの弁解はちゃんと届いているのだろうか。わたしは鋏を持つのとは逆手で顔を仰ぎながら、また薔薇へと目を落とした。


 熱望。……リアム様もこの花言葉をご存じなのだろうか。これを選んだのがわたしだと知ったら、花言葉の意味を考えて下さるだろうか。

 直接は伝えられないこの想いだけど、花に託すくらいは許されるかもしれない。そんな事を思いながら、薔薇を切っていく。


「シェリル様、私は棘を落としていきますね」

「はい、お願いします」


 返事をしてから空を見上げると、雲が更に黒く厚くなってきた気がする。雨の気配も強まって、冷たい風がわたしの髪を乱していった。


 また一輪の薔薇を摘む。パチン、と高い音がする。その瞬間──ぞわりと背筋が震えた。切った先から茨が伸びた……のは、見間違いだったようだ。他の薔薇と何も変わらない。

 それを布に置きながら、また別の薔薇へと手を伸ばした。


 昨日は魔石の選別に力を入れてしまったから、少し疲れが残っているのかもしれない。天気が悪いのも影響しているのだろうか。お花を飾り終えたら、少し休ませてもらおう。


 心の中でそんな事を考えていると、イルゼさんがわたしの事を心配そうに見ている事に気付いた。その瞳が翳っている。


「大丈夫ですか? お加減が優れないようですが……」

「すみません、少し疲れているみたいで……戻ったら少しお部屋で休ませて頂こうかと」

「あとは私がやりますから、どうぞお戻りになって下さい」

「いえ、もう少しですし……」


 もう少し切れば充分な数になるだろう。飾る場所も決まっていて、そんなに多くもない。飾り終えるまではやりたいと思った。

 しかしイルゼさんは首を横に振る。


「いけません。シェリル様が倒れてしまっては、私が旦那様に叱られてしまいますもの」


 大袈裟なまでに肩を竦めて見せるけれど、その声も表情も優しくて。これ以上はただ意地を張っているだけになってしまうし、迷惑をかけたいわけでもなかった。


「では、これだけ」


 触れたままの薔薇に鋏を入れる。高い音が響いた、その時だった。


「痛っ……!」


 持ったままの薔薇から茨が伸びる。それはわたしの手の平を簡単に傷付けて、滴る血が地面を濡らした。持っていた薔薇も鋏も落としてしまって、拾わなければと思っても体が上手く動かない。


「シェリル様!」

「イルゼさん、離れて下さい。何だか嫌な気配が……」


 顔色を変えたイルゼさんが、ハンカチをわたしの手の平に押し当ててくれる。瞬く間に赤く染まるその布を上から押さえてくれるけれど、滴る血は落ち着かない。


「歩けますか?」

「はい、大丈夫で──っ!」


 血に濡れた地面から、黒い茨が現れる。蠢くそれは何かを探すように揺らめいたあと、わたしへとその先端を向ける。勢いよく伸びた茨は、あっという間にわたしの足に絡みついてしまった。


「なに、これ……! シェリル様、すぐに外しますから!」


 絡みつく茨は次第にその太さを、その本数を増していく。締め付けられる痛みに顔が歪む。

 ポーチからナイフを出したイルゼさんが茨に刃を突き立てるけれど、ひどく硬いのか浅い傷がつくばかりだ。わたしの腰まで伸びた茨はその意識をイルゼさんに向けたのか、狙いを定めるように先端を彼女に向かって揺らしている。


「だめっ!」


 まだ腕が拘束されていなかったのは幸いだった。

 わたしがイルゼさんを突き飛ばすのと、鋭い茨の先端が伸びるのとは、ほぼ同時だったと思う。イルゼさんを貫くはずだった茨が標的を失い、ぐらりと傾ぐ。そして今度はわたしへと真っ直ぐに向かってきた。

 

 腕も、胸も、首も、茨に締め付けられる。

 呼吸さえままならないわたしの頬に、ぽつりと雨の粒が当たった。 


 降り始めた雨はその勢いを強めていく。体が冷えていく事を感じながらわたしの意識は遠のいて──そして、闇へと沈んでいった。

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