20.心の在処

 リアム様は何かを考え込んでいるようで、レイチェル様は二つ目のタルトを食べて頬を綻ばせている。

 

 わたしがバルトさんに嫌われる理由を聞いても、やっぱりわたしにはどうにも出来ない事だったのだと、そんな事を考えていた。わたしでなくても、リアム様のお側に誰かがいる事が許せなかったのだろう。あそこまで暴力的にならなかったとしても、きっと仲良くは出来なかった。


 しかしわたしがこのままお屋敷に居る事で、リアム様が色々と誤解をされてしまうのではないだろうか。もし、リアム様に想い人が居たら……。

 そんな事を考えてしまって、胸の奥が鈍く痛む。軋む心を落ち着かせようと、胸元を押さえてゆっくりと息を吐いた。


「……シェリルちゃん、呪いの様子を見ようか」

「はい。宜しくお願いします」

「という事だから、フェルザー君は席を外してくれるかい?」

「何でだよ」

「いいから早く」


 リアム様に鋭く睨まれても、レイチェル様は気にした様子もなくにこにこと笑っている。リアム様はレイチェル様とわたしを交互に見てから、大きな溜息を一つ零した。


「シェリル、何かあればすぐに逃げろ」

「失礼な、私の事を信用していないのかい? 心配しなくても何もしないよ」


 まだ何か言いたそうなリアム様にわたしは頷いて見せる。大丈夫だと、笑みを浮かべて。

 リアム様は何度目かもわからない溜息を落としてから、応接室を後にした。



「さて、シェリルちゃん」

「はい」


 レイチェル様が口を開いたのは、リアム様の気配が遠くへ立ち去ってからだった。

 わたしへと向き直ったレイチェル様は、オレンジ色の瞳を八つ輝かせながらぐいと顔を寄せてくる。


「君、恋をしているね?」


 それは問いの形をしていながら、問いではなかった。それ以外の答えはないと知っているかのような、断定するような響き。

 だからわたしは、思わず頷いてしまっていた。


「相手はフェルザー君だろう?」

「えぇと、あの……そんなにわかりやすいでしょうか」


 もしわたしの気持ちが、リアム様に知られていたら。リアム様だけではない、グレンさんにイルゼさん、それから……バルトさん。知られていたら、どんな顔をしていいのか分からなくなってしまう。


「そんな事はないから心配しなくていいよ。私はね、他の人より目がいいんだ」


 だから気付いちゃうんだよね、とレイチェル様は宝石のような額の瞳を指で示した。


「どこを好きになったとか、いつからだとか、そういう野暮な事を聞いたりはしないけどさ」


 レイチェル様はフォークを乗せたタルトのお皿をわたしへと差し出してくる。わたしがそれを受け取ると、自分もまたお皿を手に取った。三つ目のタルトだけれど、お腹は大丈夫なのだろうか。

 わたしはフォークを手に取って、タルトを一口分に小さく乗せた。口に運ぶとレモンがふわりと香り立つ。それから口いっぱいに広がるのは爽やかなチーズクリーム。軽い生地も相俟ってとても美味しかった。


「聞いたりはしないけど……私はフェルザー君とそれなりに付き合いが長いだろう? 君の不安を少しでも解消してあげられるんじゃないかと、そう思ってね。女性関係で何か聞きたい事とかがあるんじゃないかな」


 リアム様のお心の在処をレイチェル様に聞くのも違うと思うけれど、確認しておきたい事はあった。ご迷惑をお掛けしていたら申し訳ないから。

 

「あ、あの……リアム様は婚約されている方など、いらっしゃらないのでしょうか。その、わたしがお屋敷にお世話になっている事で、誤解などされたりしたら申し訳なくて……」

「婚約はしていないよ。彼だって大事な存在がいる中で、女性を屋敷に招いたりはしない。……私の言いたい事が分かるかな?」


 婚約者がいないと聞いてほっとしてしまうのは、きっと……誤解する人がいないから、だけではなくて。

 しかしわたしはレイチェル様の言っている事が、言葉以上にはわからなかった。首を傾げて考えるけれど、婚約者がいないという事しか分からない。


「彼が心に決めた人って言うのは今までいなかったし、君を屋敷に招く事で……誰かに何かを言われたとしても構わないって事だよ」


 レイチェル様の言葉を心の中で反芻する。リアム様は全てを分かったうえで、わたしをお屋敷に置いてくれていたのだ。


「だから彼に迷惑を掛ける、だなんて事は考えなくてもいいんだ」


 紅茶にジャムをたっぷりと落としてから、レイチェル様は紅茶を飲んだ。一気に飲んだカップの底には、溶け切らなかったジャムが塊となって沈んでいる。レイチェル様は構わずにポットを手にすると、そのカップにお代わりを注いだ。


「……お世話になってこんなにも良くして頂いて、更に解呪まで手伝って頂いて……それなのに心まで寄せてしまって。そんな自分が浅ましいと思ってしまうのです。リアム様のお心に寄り添いたいとまでは望まないのですが、こんな気持ちを持ってしまう事自体がもう……」

「好きになる事に、浅ましいも何もないだろう。好きですって、どーんと告げちゃえばいいじゃないか」

「いえ、それは……」


 すべてを明かしていないわたしが、どうして気持ちだけを告げられるだろう。

 それを今、口にする事も出来ずに、わたしはただ曖昧に笑うしかなかった。


「あの男はあんな顔をしていながら純情で真っ直ぐだからね。君の気持ちを適当に扱う事はしないだろうさ」

「そうですね、ですが……」

「……告げられない理由があるならそれでもいいんだけど。ただ、君のその気持ちを、君だけは否定しちゃいけないよ」


 レイチェル様の言葉に、鼓動が跳ねた。

 そうだ、この気持ちはわたしだけのものだと、そう理解していたじゃないか。気持ちが揺らいでしまうのは、不安になってしまうのは、もう仕方ない事なのかもしれない。

 でもそれならば、その度に……わたしの気持ちだけは曲げないようにしよう。


「まぁあれだけ大事にされて、惚れない方が無理ってものだよね」

「大事に……」

「ああ、いいんだ。ちょっと喋りすぎたね。さて……呪いの様子も見ようか。フェルザー君に話の中身を追及されたくはないからねぇ」


 可笑しそうに笑ったレイチェル様は立ち上がる。わたしは膝に置いていたタルトのお皿をテーブルに戻して、背筋を伸ばした。

 レイチェル様がわたしの頭上に片手を翳す。柔らかな響きの詠唱が紡がれて、たなごころから降り注ぐ光の粒が弾けて泡と消えていく。


「うんうん、だいぶ糸は緩まってきているね。これなら少しずつでも解いていく事ができそうだ。もう酔っぱらったりはしていないかい?」

「はい、リアム様が調整して下さっているので」

「さすがはフェルザー君だねぇ。魔力量とその扱いの上手さなら魔術師団うちでもやっていけるくらいだからね」

「リアム様は魔術師としても優秀なのですか?」

「そうだよ。でも戦バカだから前線に出る事を好むんだ。武勲を重ねてあっという間に紫龍軍の将軍様になっちゃってね。詳しい事は本人に直接聞いたら、教えてくれると思うけど」


 レイチェル様の瞳の輝きが落ち着いていく。

 口元に笑みを浮かべたまま、またわたしの隣に腰を下ろした。


「……ねぇ、シェリルちゃん」

「はい」


 タルトの続きを頂こうと、またお皿を両手に持ったわたしに、レイチェル様が声を掛ける。その眉を一瞬だけ下げたように見えるけれど、またいつものような明るい笑みに戻っていた。


「彼はきっと……君が思っているよりもずっと重い男だよ」


 重いとは。

 それを問うよりも早く、応接室の扉が開いた。開けたのは不機嫌そうなリアム様で、眉間に深い皺が寄っている。


「遅い」

「女の子には色んな話があるんだって。そうそう、シェリルちゃんの解呪だけど、いい感じで進んでいるねぇ。糸を緩めながら解く式に変えていこうか」


 リアム様とレイチェル様のやり取りは軽快で、わたしはそれを耳にしながらも、先程のレイチェル様の言葉を思い返していた。

 リアム様が重いとは……? 考えても分からずに、小さく息をついたわたしは、またタルトを一口食べた。爽やかな酸味とイチゴの甘さが絡み合って溶けていった。


 

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