15.【願い事】
皇国に来てから、もうすぐ半月程になる。
緑の木々が夏の風に揺れて、波の音を奏でる頃。皇国の夏は暑いけれど、湿気が少ないのか過ごしやすく感じられる。イルゼさんが言うには、まだまだ暑くなるそうだけれど。
この半月間はずっとお屋敷の中に籠っているのに不思議と苦ではなかった。リアム様をはじめとした皆さんが優しいのもあるし、魔石を選別するお仕事が楽しいというのもあるかもしれない。
魔術師団にはこのような裸石が山のように溜め込まれていたようで、暫く仕事には困らなくても済みそうだ。呪いの状況を確認しに来て下さったレイチェル様も喜んでくれていた。無理はしないでね、なんてこの国の人はどこまでも優しい。
魔石を選び取った後に裸石を仕分ける作業も、服飾関係の方々に喜ばれているとリアム様が教えてくれた。
宝石を実らせる為の祈りも毎朝欠かさずに捧げているけれど、毎日健康的な生活を送って充実している今の祈りでは、きっと品質のいいものが沢山実っているだろう。それを見たピアニー様はきっと面白くないのだろうな……なんて不機嫌そうな様子が思い浮かんで苦笑いが漏れた。
そんな事を考えながら、わたしは日傘を手に廊下を歩んでいた。
今日もお仕事をしていたのだけど、午後からはお休みにするようにリアム様に言い付けられたのだ。そういうリアム様も今日はお休みで、一緒に裏庭を散歩しようと誘って下さった。植えられている花が見頃を迎えているからと。
裏庭に通じるドアの前ではリアム様が待っていてくれた。
濃紺の前合わせの衣服は腰辺りを太い布で留められている。ゆったりとした黒のズボンが上衣の裾から覗き、それにガウンを羽織るのがいつものリアム様の服装だった。出仕なさる時は軍服をお召しになっているけれど、リアム様はこちらの服の方がお好みらしい。
この衣服は皇国では一般的な衣装だと聞いた。種族によって好む衣装が変わるそうだけれど、獣人族であるイルゼさんは、もう少し布地が少ない動きやすい服が好きだと言っていた。
「良し、日傘を持ってきたな」
「お日様は出ていないようですが……」
窓から見上げた空は厚い灰色の雲に覆われている。雨の気配はしないけれど、晴れる様子も無さそうだ。
「皇都の天気は変わりやすいんだ。陛下の機嫌でいきなり晴れる事もある」
中庭のドアを開けながら、リアム様がそんな事を口にする。この国に来た時にお目にかかった皇帝陛下。天気を操る力を持っているのだろうか。
わたしが驚きに目を丸くしていると、リアム様は可笑しそうに肩を揺らした。
「陛下は龍神族だからな。あの方が怒れば空も割れる」
「今までにも割れた事が?」
「俺が物心ついてからも何度か。中々に壮観だぞ」
「見ないで済む事を祈ります」
空を割るだなんて、皇帝陛下はどれだけ強大な力を持っているのだろう。その逆鱗に触れたくはないけれど……王女だと明かしていないわたしは、いつかその怒りに触れるのかもしれない。
体の奥が恐怖に冷える事を感じながらも、意識してその事を頭から追い出したわたしは、日傘を開いてから外に出る。傘の中棒を肩に掛けながら、歩み出すリアム様に続いて足を踏み出した。
裏庭は花香で溢れていた。
大振りな向日葵、彩り豊かなインパチェンス、濃い紫が美しいトレニア、それから満開のブーゲンビリア。わたしが名前を知らない花も沢山で、見ているだけで心が浮き足立つようだ。
美しく剪定された薔薇のアーチをくぐりながら、わたしは小さく息をついた。
「とても綺麗ですね」
「グレンに言ってやれ。喜ぶぞ」
「……グレンさんがお世話を?」
「ああ。うちの事は全部グレンとイルゼがやっているのは知っているだろう」
「存じていますが、お庭もだとは思いませんでした」
確かにこのお屋敷に、他の使用人はいない。
料理もあの二人が作るので料理人もいない程だ。二人は忙しいはずなのに、いつもそんな素振りは見せずに穏やかに仕事をしている。……お手伝い出来る事は率先してやろうと改めて思った。
「グレンは花を育てるのが趣味なんだ。秋になって寒くなると、屋敷の中で花を育て始めるぞ。好きな花があれば今から言っておくといい」
「ふふ、それも楽しみです」
返事をしてから気付いた。
きっと秋までは、このお屋敷には居られないのに。
「グレンさんとイルゼさんは、もう勤めて長いのですか?」
「俺がこの屋敷を買った時からだ。元々グレンは軍で剣術の指南役をしていたんだ。隠居したいなんて言うから誘ったら、今じゃすっかり執事が板についてるな。イルゼは里を出てきて仕事を探していたそうだが中々見つからなかったらしい。職業斡旋所の前でしょぼくれていたからメイドとして雇ったんだ」
「お二人とも、最初から執事やメイドの訓練を受けていたのかと思いました」
「そういう学校もあるけどな、あの二人は違う」
どこから見ても優秀な執事とメイドだ。二人の才能もあるのだろうが、きっと努力を重ねた結果なのだろう。
わたしが感嘆に耽っているとリアム様がひとつの花の前で足を止めた。
星形の赤い花びらが寄せ集まって咲いている可愛らしい花だった。
「このお花は……?」
「ペンタスという」
「グラナティスでもルダ=レンツィオでも見た事のないお花です。リアム様はお花にも詳しいのですね」
「グレンに教えられているからな」
リアム様は手を伸ばすと、星形の花を一つ取る。まるでラッパのような長い花筒を持ったリアム様は、わたしと手元のペンタスを見比べている。その優しい眼差しに心がざわつくのは何故だろう。
どうされたのかと問うよりも早く、赤い花がわたしの耳上へと差し込まれた。
「お前の瞳の方が赤いな」
花を飾られるなんて、思ってもいなかった。
あまりにも予想外の事でわたしが固まってしまうと、リアム様は可笑しそうに低く笑った。
「驚きすぎだろ」
「花を飾って頂くなんて、経験がないものでして……」
「それじゃあ毎日飾ってやろうか」
「ま、毎日? いえ、それは……」
羞恥で頭が働かない。
顔が赤くなっているのは分かっているけれど、それを隠す扇は持ってきていない。こういう時にどう返すのがマナーなのか、先生は何て言っていたっけ? いや、髪に花を飾って貰った時の返し方なんて、先生は教えてくれなかったと思う。
「ペンタスの花言葉は【願い事】だ。お前の願いが叶うといいな」
「……ありがとうございます」
動揺しているわたしに掛けられた言葉は、ひどく優しい響きをしていた。リアム様を見ればその金色の瞳は穏やかに細められている。
だからわたしも笑って、気持ちのままに感謝の言葉を口にした。
満足そうに一つ頷いたリアム様は、また足を進め始める。付いて歩きながら、わたしは傘を持つのとは逆手で耳上の花弁に触れてみた。柔らかな花弁からは甘い香りが漂ってくるようだ。
部屋に戻ったら、このお花を押し花にしよう。
今日のこの優しい日を、ずっと忘れないように。
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