16.自覚する、想い
裏庭をリアム様と歩む。時折足を止め、花を愛でる。
それはとても穏やかで、心の落ち着く時間だった。
曇り空で日傘も必要になってはいるけれど、ゆっくりと外を散策できる。風を感じて、何かに怯える事もなく思うままに歩ける。……自分でも感じていた以上に、わたしは自由を欲していたらしい。
裏庭の奥まで歩くと敷地を囲う背の高い生け垣の側に、白い東屋が見えてくる。その傍らには磨かれた銀色のカートと一緒に佇むイルゼさんの姿があった。
「シェリル様、お庭はいかがでしたか?」
「とっても素敵でした! 初めて見るお花も沢山あって、どれだけ居ても飽きないお庭ですね」
「それは良かったです。お茶の用意が……あら?」
東屋に入るようにイルゼさんが手で示すけれど、視線をわたしの髪にやるとにこにこと笑みを深くしている。それがどうしてなのか、何を見ているのかなんて、聞かなくても分かってしまう。
「ふふ、これは旦那様が?」
「別に変な意味じゃない」
「まだ何も言っておりませんよ」
くすくすと笑うイルゼさんに促され、わたしは東屋へと足を踏み入れた。持っていた日傘はリアム様の手に渡り、畳んでから壁端に立て掛けてくれている。
東屋の中には壁に沿うように半円状のベンチが
「ペンタスですか。旦那様もまた素敵なお花を選びましたねぇ」
「目に付いただけだ」
「シェリル様、花言葉はご存じですか?」
「はい、リアム様が──」
「シェリル、イルゼの話は聞かなくていい」
話を遮られたのに不快感はない。イルゼさんと顔を見合わせて笑うと、垂れがちなリアム様の瞳が険しくなっていく。それでも怒っているわけじゃないのは分かっている。
「野暮な事を申すのはやめておきましょうか。冷たいお茶をご用意しましたので、どうぞ」
まだくすくすと笑っているイルゼさんだけれど、その手際の良さはいつもと変わらない。
イルゼさんが持っているガラスポットには果物が沈んでいて、どれも色鮮やかで可愛らしい。注がれるカップもガラス製で、持ち手には小さな鳥が休んでいる。
テーブルの上にお茶菓子を用意してから、綺麗な一礼を残してイルゼさんはお屋敷へと戻っていってしまった。
「疲れていないか?」
「はい、大丈夫です。……こうしてゆっくりお散歩出来る時が来るなんて、思っていませんでした」
「曇り空の下だけどな。呪いが解ければ太陽の下も好きに歩ける。もう少しの辛抱だ」
太陽の下を走り回っていた日々が、遠い昔のような気がする。国が滅びたあの夜の事は、昨日の事のように思い出せるのに。
感傷に引きずられるのを意識して留め、わたしはカップを手に取った。ふわりと香る果物の芳しさ。一口飲むと仄かに甘いのは、シロップが落とされているのかもしれない。
「先日、グラナティスへ先遣隊が向かったんだが」
リアム様の言葉に、ソーサーにカップを戻そうとしていた手が揺れた。グラナティスという言葉だけで鼓動が早まる。
いま、あの国はどうなっているのか。ルダ=レンツィオの王族はやはりそこに居るのか。聞きたい事は山ほどあるのに、震えた唇からは何も声が出なかった。
リアム様は紅茶を一口飲んでから、静かにカップをソーサーに置く。東屋の壁に背を預けながら、また口を開いた。
「相変わらず黒い濃霧に覆われていて近付く事も、中に入ることも出来なかったそうだ。だがこれでルダ=レンツィオの王族共……少なくとも呪術師である第一王女が生存している事は間違いないだろう。お前に掛けられた呪いと違って、グラナティスの黒霧は現在進行形で掛け続けられているものらしいからな」
「ではやはり王族の方々は、グラナティスに……?」
「ほぼ間違いない。このままずっとあの国に籠っているわけにもいかないだろうが、そうなると他国が協力をしている事も考えられる。何にせよ近い内、お前の呪いが解け次第に進軍する事になるだろうな」
「黒霧を晴らす事は可能なのでしょうか」
「リンの頑張り次第だ。あれでも国一番の魔術師だ、任せておけば問題ない」
リアム様の声に迷いはない。確実にそうなるであろうという力強さに、わたしは頷いていた。
「グラナティスを解放してからはお前の出番だ。忙しくなるぞ」
「ええ、承知しています。まずは王女殿下に経緯を……」
紡ぎ出そうとした言葉は、震える声で途切れてしまう。
グラナティスに王女が残っている。
「……シェリル?」
掛けられる声に宿るのは、わたし気遣うような優しさだけ。
こんなにも優しい人に、わたしは嘘をついている。
王女だと明かせば、もしかしたらグラナティスは解放されないかもしれない。わたしの血筋だけが尊ばれ、グラナティスは放置されてしまうかもしれない。
そんな事はきっとないのだろうけれど、【王女】だというのはわたしの切り札で、明かす事が出来なくて。
でも結局それはこの人を裏切って、利用しているだけにすぎないのではないだろうか。
「何を考えているかは知らんが、苦しいのなら吐き出してしまえ。それが叶わないなら、見ない振りくらいはしてやるが」
ぐいと手首が強く引かれて、いつの間にか俯いていたわたしは顔を上げた。そのまま引き寄せられ、わたしの体はリアム様の腕の中におさまっていた。
「抱えているものが大きいのか、それとも苦しくて痛いのか。いまは無理でもいつかは吐き出した方が、お前の為だ。俺はそれを受け止めてやれる」
その声が余りにも優しくて。
目の奥が熱くなって今にも涙が溢れそうになるけれど、細く息を吐いてその心をそっと逃がした。
伝わる鼓動も、温もりも、力強さも。
卑怯なわたしに与えられていいものではないと、分かっているから。
でも──いまだけ。
わたしはリアム様のガウンをぎゅっと握り体を預けた。応えるように腕の力が強くなり、パルファムが香った。それだけでわたしの鼓動は早鐘を打つ。締め付けられるように胸の奥が切なくなる。
きっと、わたしはリアム様に惹かれている。
でもそれは決して口には出来ない想い。
わたしの髪を揺らす風が吹き抜けていく。ペンタスの甘い香りだけを残して。
未来がどうなっても、きっとわたしは──この時間を忘れない。
蔑まれても、罵られても、離れる事になっても。
この腕の温もりだけは忘れたくないと思った。
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