13.来客は嫌味と共に

「では、シェリル」

「はい」


 出仕されるリアム様を見送る為に、わたしとグレンさん、イルゼさんはエントランスに居る。磨きあげられた床は今日も輝いて、扉上の小窓からレース越しに差し込む光を受けて輝いていた。


 名を呼ばれたわたしは、リアム様の元へと歩み寄る。

 軍服姿のリアム様は白い手袋を両手に嵌めてから、わたしの後頭部に手を回した。逆手は肩に置いて身を屈める。わたしは腹部に揃えていた手をぎゅっと握り締めて、そして──唇が重なった。

 

 目を閉じているわたしは、リアム様がどんな顔をしているか見る事が出来ない。きっとお顔を見てしまったら、こうして魔力を注いで頂くのにじっとしている事も出来ないから。


 間近にパルファムの香りを感じながら、わたしは注がれる魔力を受け入れていた。やっぱり熱くて焼けてしまいそう。それでも心地よく思うのは、リアム様とわたしの魔力が反発していないからなのかもしれない。


 吐息だけを残して唇が離れていく。

 昨日のような浮遊感も眠気もなく、ただ胸の奥から溢れた熱が体の隅々まで行き渡っているのが分かる。きっと加減して下さったのだろうと思うけれど、昨日の今日でもう調整出来ている事に、わたしは感嘆に息をついた。


「大丈夫か?」

「はい、今日はこのまま動く事が出来そうです」

「この後に体調を崩すかもしれない。無理はしないように」

「ありがとうございます」


 わたしの肩にぽんと片手を乗せたリアム様は、わたしの後方へと目を遣った。

 つられるようにそちらを振り返ると、そこには当然だけれどグレンさんとイルゼさんが居て。いつものように穏和な笑みを浮かべているけれど、わたしは羞恥でどうにかなってしまいそうだった。

 リアム様は解呪をして下さっているのだから、恥ずかしがる事はないのだけれど。それは分かっていても、落ち着かないのはどうしようもないと思う。


「行ってくる。シェリルを頼む」

「勿論でございます。行ってらっしゃいませ、旦那様」

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 グレンさんとイルゼさんの言葉に頷いたリアム様が、わたしに視線を向ける。わたしも笑みを浮かべながら口を開いた。


「リアム様、行ってらっしゃいませ」


 目元を少し和らげたリアム様が、また頷いた。

 リアム様が踵をひとつ床に打ち付けると、それを合図としたように足元に紫色の光が走り出す。魔術を展開していると気付いて、少し後ずさって距離を取った。


 光は円を描いて踊るように弾み、リアム様の事を覆い隠す。一気に魔力が高まった瞬間──その姿は消えてなくなっていた。



「シェリル様、私の仕事をお手伝いして下さいますか?」


 リアム様の魔力が余韻を残して消える頃、イルゼさんが声を掛けてくれた。

 昨夜、わたしにも裸石を仕分ける仕事を下さると言っていたけれど、それがいつ始まるか分からない。手持ち無沙汰になってしまうと思っていたから、有り難いお話だった。


「是非お手伝いさせて下さい。色々と教えて頂けると嬉しいです」

「ありがとうございます。でも調子が優れないようでしたら、すぐに仰って下さいね」


 そうしてわたしはイルゼさんと一緒に、お屋敷をお掃除する仕事をする事になった。

 デイドレスの上に、イルゼさんがお仕着せの上に着けているのと同じフリルのついた白いエプロンをして。


 ルダ=レンツィオ王国でもメイドと同じ仕事をしていたけれど、その時は辛くて苦しくて仕方なかった。でも今は、こうしてお屋敷の為に働ける事がとても嬉しくて楽しい。


 イルゼさんの仕事は丁寧なのに手際が良くて、わたしが一部屋を掃除している間に二部屋分のお掃除を済ませてしまう。それなのにわたしを責める事はなく、寧ろ褒めてくれるほどだった。もっと頑張ろうと素直に思えて、箒を握る手にも力が入った。



 わたしに来客だとグレンさんがやって来たのは、お部屋のお掃除を済ませて次は洗濯……という時だった。

 この皇国に知り合いもいないわたしに来客? と不思議に思ったのも束の間で、リアム様の部下の方が裸石を持ってきて下さったという事だった。


 こちらはいいからと言ってくれるイルゼさんに甘え、エプロンを外しながらグレンさんと一緒にエントランスへ向かう。

 そこに居たのは不機嫌さを隠しもしない、バルトさんの姿があった。


「バルトさん、裸石を運んで下さって──」

「随分馴染んでいるみたいだな。その顔があれば取り入るのも容易いってわけか」


 わたしの挨拶を遮るように、棘のある声でバルトさんが言葉を紡ぐ。取り入ったわけではないけれど、ここで言い争いをするのは憚られる。


 バルトさんは片手に大きな麻袋を持っている。袋を結ぶ紐を持って軽く揺らしているけれど、中の石が傷付いてしまうのではないかと気が気ではなかった。


「……裸石はそれですか」


 わたしの問いかけにも彼は返事をしない。ただ意地悪そうに口端を歪めると、あろう事か麻袋を床に放り投げてしまった。


「な、っ……!」


 驚きに声が出る。

 結ばれた紐は緩かったのか、床に投げ出された衝撃で口が開き、裸石が散らばってしまった。


 様々な裸石は磨かれたエントランスの床に、美しい色の光を落とす。きらきらと光が反射するその様子はとても綺麗だけれど、やっていい事ではない。


「バルト殿、お戯れが過ぎますぞ」

「手が滑っただけだよ」


 グレンさんの声が固い。しかしバルトさんは気にする事もなく、肩を竦めている。


「おい、這いつくばってお前が拾えよ」


 言われずとも拾うつもりだったけれど、その言い方は中々に酷いのではないか。

 わたしは貼り付けていた笑みを消すと膝をついて麻袋を手に取った。


 ひとつひとつ拾っていく。傷がついていないかは確認しなければならないけれど……魔石選別が主な目的なら、この宝石は価値の低いものばかりが集められているのかもしれない。

 それにしても酷い。宝石の国で生まれ育ったわたしは、石達が手荒に扱われる事に悲しみと苛立ちを感じていた。でもそれをこの人に言ったって、響く事はないだろう。


「バルト殿、シェリル様は主人のお客様です。お口には重々気を付けた方が宜しいかと」

「客人ってのがふざけた話だろ。グラナティス出身だろうがルダ=レンツィオ出身だろうが、リアム様に取り入っている事には変わりがない。僕を注意するよりも、この女を部屋に閉じ込めた方が余程建設的だと思うね」


 グレンさんも膝をついて、一緒に裸石を拾ってくれる。

 その顔はひどく険しく、纏う空気は怒りを孕んでいた。


「貴重な宝石をこんな素性の知れない女に任すのもどうかしてる。懐に入れられないように見張っておいた方がいいんじゃないか」

「この作業は我が主人と魔術師長様がシェリル様に任せると決められた事です。あなたは主人の決定に異を唱えるというのですね」


 全てを拾い終えたわたしは立ち上がり、麻袋を両腕に抱えた。

 口を開こうとしたバルト様を手で制して、にっこりと笑みを浮かべて見せる。


「宝石を懐に入れるだなんて、考えた事もありませんでしたわ。……グレンさん、この後に少しお時間を頂けます? 数を確認して記しておきたいのです。その証人になって頂ければと」

「勿論でございます。このグレン、見届けた後に嘘偽りがない事を誓いましょう」

「ありがとうございます。バルトさん、お返しする時にもしっかりと数を確認致しますからご安心下さい。まさかバルトさんがその後に宝石を抜き出すなんて真似も、されないでしょうし……」

「僕がそんな事をするわけないだろう!」

「わたしはまだバルトさんの事を存じませんので、信用するというのも中々……。それはバルトさんも同じでしょうし、間違いのないように数を確認してやりとりをした方が宜しいでしょう。わたしの為にも、バルトさんの為にも」


 片手を頬にあて、溜息混じりに言葉を紡ぐ。バルトさんの顔が怒りに赤くなっていくけれど、先にわたしを貶したのは彼の方だ。


「用件は済みましたな。バルト殿、お引き取り下さい。後はこちらで確認致しますので」


 怒りの雰囲気はそのままに、怖いくらいに笑みを浮かべたグレンさんがバルトさんの肩を掴んで扉を向かせる。そのまま背中を押して扉の向こうに追い出してしまった。

 扉越しに何やら怒鳴り声が聞こえてくるけれど、グレンさんは涼しい顔をしている。


「……ふふ、ありがとうございます」


 それが何だか可笑しくて、わたしは思わず笑ってしまった。


「ご気分を害されてしまいましたな。……彼は主人の事を崇拝しておりまして、行き過ぎた言動をする事が度々あるのです。同じ鬼人族という事で主人も目を掛けていたのですが、それが却って調子づかせる事になってしまったのでしょう」

「気にしていないとは言えませんし、仲良くなれるかはまだ分かりませんが……お仕事を誠実にこなす事で、少しでも認めて頂ければとは思っています」

「では早速。数を控えた預り証を作成しましょう」

「はい、宜しくお願いします」


 全ての人に受け入れられるわけじゃない。勿論分かっている。

 それでも直接悪意をぶつけられるのは、気持ちが良いものではなくて。わたしは大きく深呼吸をしてから、重い麻袋を抱え直した。


 あの鋭い視線を思い出すと、焼けるような痛みが肌を走る。幻痛だと分かっていても。

 ルダ=レンツィオで向けられていた悪意が、いまもわたしの心に残っているのかもしれなかった。

 

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