11.唇に残る熱
紅茶をゆっくり飲み終わって、ソーサーへと戻す。いつの間にか側に来ていたイルゼさんがティーポットを掲げておかわりを問うてくれるけれど、わたしは首を横に振った。
イルゼさんはにっこり笑って、また壁側へと戻っていく。背筋をピンと伸ばしたその姿は、ルダ=レンツィオにいた侍女やメイドよりも気品があって美しい。
「うん、解呪の式はばっちりだね。じゃあシェリルちゃんの両手を繋いで、その魔力を流し込んでみて」
レイチェル様は立ち上がり、入れ替わるようにわたしの隣にリアム様が腰を下ろす。
「シェリル、手を」
「はい。よろしくお願いします」
言われるままに両手を伸ばす。
リアム様も両手を出してわたしと手を繋ぐと、リアム様の指先から光が広がっていくのが見えた。
ぽかぽかと暖かい魔力が伝わってくる。穏やかで優しい、陽溜まりのような魔力。その心地よさに吐息が漏れるも、リアム様は苦い顔をしていた。
「やっぱり効果はないみたいだねぇ」
「魔力が流れていないわけじゃないが、効率は悪いな」
レイチェル様は拳を口元に寄せて、何度か頷いている。
確かに魔力に包まれているのは分かるけれど、それがわたしの内側まで伝わっているかというと……リアム様の言う通りに効率は悪いのかもしれない。
「やっぱり直接流し込むしかないかぁ」
「直接?」
「うん、経口摂取」
経口摂取。
レイチェル様はさらりと言葉を紡いだけれど、わたしとリアム様は固まってしまった。
「……は?」
リアム様の垂れ目がちの瞳が険しくなっていく。それでもレイチェル様は気にした様子もなく笑っているばかり。
「解呪式を練った魔力を口移すんだよ」
「待て、それはいくら何でも……」
「それが無理なら、朝晩と君がシェリルちゃんを寝室に連れ込んでもいいんだけど」
「おい」
「経口摂取も色んな方法があるから、口移しじゃなくて君の精──」
「この馬鹿女!」
わたしと繋いだままだった手を勢い良く離して立ち上がったリアム様は、軽やかに動くレイチェル様の口を手で塞いでしまう。それでもレイチェル様は構わずに、何やらもがもがと話を続けているようだった。
伝わらなくても最後まで話して満足したのか、レイチェル様の声が消える。それを待ってリアム様はゆっくりと手を下ろしていった。
「ね、口移す方がまだいいだろう?」
「他に方法はないのか」
「効率を考えないなら、いくらでも。でもそれだといつ解呪出来るか分からない」
ふざけているわけではないようで、レイチェル様は真剣な顔で話をしている。リアム様は何かを考え込むように黙ってしまい、わたしも考えを巡らせていた。
解呪式を練った魔力を口移す。
キスをするという事に抵抗がないわけじゃない。わたしだって恥ずかしさはある。でもそれ以上に、そんな事をリアム様にお願いするわけにはいかない。
呪いは解きたい。
でも、それが他の人の負担になるのなら……このまま呪いと共に生きていく方がいいのではないだろうか。
幸い、この呪いは命を削るものではない。太陽に焼かれ続ければ死んでしまう事もあるだろうけれど、逆に言えば……太陽の下にさえ出なければいいだけなのだ。
日傘だってある。素肌を覆い隠せば焼ける事もないだろう。進軍の邪魔をする事もきっとない。
そう思ったわたしが、解呪を諦めようとした時に──リアム様と目が合った。
金色の瞳は強い意思の元に輝いて、わたしの事を真っ直ぐに見つめている。見惚れてしまう程に美しく、力強い輝きだった。
「シェリル、覚悟を決めろ」
「え?」
「不本意なのは分かるが、呪いを解く為だ」
「いえ、不本意というか……リアム様にそこまでして頂くわけには」
「俺の魔力はお前のものと反発しない。俺の魔力は多いからお前に注いでも問題ない。俺は顔がいい。他の誰かに任すよりかは俺にしておけ」
指を三本折りながらリアム様が溜息混じりに口にする。その隣ではレイチェル様がお腹を抱えて大笑いをしていて、わたしは何を言っていいのか分からなかった。
「あっはっは、顔がいいって自分で言うかい?」
「事実だが。どこの誰とも知らん奴に魔力を注がれるなら、俺の方がいいだろうよ」
「君ってそんな顔をしていながら、中々に純情なところがあるよねぇ」
「少し黙ってろ、蜘蛛女」
蜘蛛女?
わたしの疑問に気付いたのか、レイチェル様が自分の事を指差している。正確にはレイチェル様の額にある、六つの宝石のようなもの。もしかしてあれは瞳なのだろうか。
「どうする、シェリル。お前がどうしても嫌だと言うなら他に適任者を探す。俺に申し訳ない、迷惑だとか考えているなら、今すぐその考えは捨てる事だ」
リアム様の金の瞳は真っ直ぐにわたしを捉えている。わたしの事を思い、考えてくれているのが伝わってくる。それなのにわたしが怖気づいているわけにもいかない。
「……リアム様、よろしくお願いします」
「良し」
鷹揚に頷いたリアム様はちらりとレイチェル様へと目線を向ける。レイチェル様はにこにことわたし達を見つめるばかりで、距離は近いままだ。
「席を外すという気遣いは?」
「治療みたいなものだろう。恥ずかしがる事はないよ、ちゅちゅっとほら」
「趣味が悪い」
大袈裟に溜息をついたリアム様は羽織っていたガウンを取ると、ばさりと自分の頭に掛けた。その端を掴んでわたしの頭も同じガウンで隠してしまうけれど、薄暗い中でわたし達の距離は今までにない程に近付いていた。
これからキスをするのだから、距離が近いのも当然なのだけれど。
こんなにも異性が近くにいるだなんて、今まで経験した事がないわたしの心臓は、今にもおかしくなってしまいそうなくらいに早鐘を打っている。リアム様にも聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいに大きくて、何もかもが恥ずかしくて顔が一気に熱くなった。
「……真っ赤」
くく、と低く笑うリアム様が顔を近付けてくる。
その美しい顔を見ている事も出来なくて、わたしはぎゅっと固く目を閉じた。
リアム様の片手がわたしの後頭部に回る。逆の手が頬に添えられる。
吐息が唇に触れたと思った瞬間、わたし達の唇は重なっていた。
ゆっくりと魔力が注ぎ込まれるのが分かる。
手を通じて流して貰っていた時には、ぽかぽかと暖かくて気持ちがいい程だったのに。
注がれるこの魔力は──まるで炎。熱くて、息が出来ないくらいに苦しくて。それなのに、嫌じゃない。炎が胸に宿ったように体全てが熱くなる。
幼い時に兄と一緒に、悪戯でお酒を舐めた時みたい。
唇がゆっくり離れていく。
少しざらついた親指がわたしの唇をなぞっていった。
「……おい、大丈夫か」
リアム様がガウンを落とすと一気に世界が明るくなって、わたしはゆっくりと瞬きを繰り返した。
じっと座っていたいのに上半身がふらふらと揺れてしまう。気遣う言葉に返事も出来ず、ぼんやりとした自分がどうなっているのかも分からなかった。
「ありゃ、注ぎすぎだねぇ」
「加減が分からん」
「酩酊状態になってるじゃないか。朝はもう少し控えめの方がいいね。おやすみのキスはこれくらいでもいいかもしれないけどさ」
ソファーの背凭れに体を深く預けながら、わたしは二人のやり取りを聞いているしか出来なかった。
漏れる吐息さえも熱い。
レイチェル様はわたしの頭上に手を翳し、また何やら文言を紡ぐ。光が弾ける様子が、先程よりもきらきらと輝いて見えるようだった。
「うん、解呪式は発動してる。この綻びはほんの些細なものだけど、繰り返せば必ず糸が解けていくよ。完全に解けなくても印さえ見えたら、呪いを和らげる事だって出来る。フェルザー君と私が必ず解いてあげるからね」
「……ありがとう、ございます」
体に残る熱を逃がしたくて、浅く短い呼吸を繰り返す。途切れながらも何とか言葉を紡ぎ出すとレイチェル様はにっこりと笑ってくれた。
何だかひどく瞼が重い。気を抜けば今にも体を崩して寝てしまいそう。
それに気付いたリアム様が、壁側に控えていたイルゼさんに手招きをしている。
「イルゼ、シェリルを部屋に運んでくれるか」
「かしこまりました」
自分で歩けると言うよりも早く、わたしはイルゼさんに抱き上げられていた。あまりにも簡単に抱えられて驚きに目を丸くしていると、イルゼさんは悪戯に笑っている。
「私はシェリル様が思うよりも力持ちなんですよ。さ、目を閉じて眠ってしまって下さいな」
イルゼさんが歩き出すと、その揺れが心地よくて堪えきれずに目を閉じる。
視界が黒に染まる中、胸の奥や唇の熱さを強く意識してしまって、わたしは唇を指でなぞっていた。
唇に熱が残っている。
これはきっと、魔力に触れたから。ただ、それだけ。
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