6.エムデアルグ皇国

 エムデアルグ皇国に到着したのは、真っ赤に燃えていた夕日が遠くの山に沈んだ頃。濃紺と金色、それから紅がグラデーションを織り成す美しい空に、細い月が浮かび始めていた。


 皇城の敷地内に飛行艦が着陸する。

 ばたばたと慌ただしく艦を降りる準備をする軍人達。フェルザー将軍の部下の方々に向けていた視線を、わたしは乗降口に据え付けられた丸い小窓へと向けた。


 窓からも見える、大きくそびえる優美な城。様々な方向から光を当てられている城は、まるで城自身が輝きを放っているのかと錯覚してしまうようだった。黒褐色の城壁に白い屋根が映える尖塔からは空へと強い光が伸びていて、周囲を警戒するように不規則に照らす場所を変えている。空に浮かぶ細い月も一瞬隠してしまう程の、強い光だった。


「準備はいいか」

「はい」


 乗降口が独特の空気音を立ててゆっくりと開く。そこに設置された鉄階段を前にして、フェルザー将軍がわたしに手を差し出してくれた。白手袋のはめられたその手に、自分の手を重ねながらわたしは小さく頷いて見せた。


 グラナティスを解放する為には、この国の力を借りなければならない。それだけの価値がグラナティスにあるのだと、皇国に示さなければならないのだ。

 わたしは深呼吸を繰り返してから、一歩を踏み出した。周囲からの様々な視線を受け流しながら。



 フェルザー将軍の後をついて、美しい城の中を歩く。

 大理石の床には濃紺の絨毯が敷かれていて足音が響かない。等間隔に設置されたアーチ状の窓には絵画のようなステンドグラスがはめられていて、きっと朝には陽の光を美しく透かすのだろう。

 人と行き合う事はないが、遠くで賑やかな気配も感じ取れる。穏やかなその雰囲気に、グラナティスの事を思い出しそうになったわたしは、意識して深く息を吐いた。

 感傷に浸っているわけにはいかないのだ。



 幾度も角を曲がるのは、この先が貴人の待つ場所だからなのだろう。道を覚えていたつもりだけれど、ふと振り返ると不思議なくらいに違う場所な気もするから、何か幻覚でも掛けられているのかもしれない。

 一人で脱出する事は不可能だし、そんな事をする必要もない。そう思ったわたしは、道順を覚える事を諦める事にした。顔に落ちる白銀の髪を耳に掛け、また腹部に手を揃えてまっすぐに前を向いた。


 行き当たったのは大きな石造りの扉だった。

 扉には細やかな装飾がされているが、あれはきっと龍だろう。長い体と鋭い爪は、幼い頃に兄が読んでくれた絵本に出てきた龍そのものだ。


 そこを守るように槍を持った兵士が二人立っている。一人の頭からはピンと立った茶色の耳が、もう一人の頭からは黒い角が生えている。

 エムデアルグ皇国には様々な種族のひと達が居るというのは本当だったらしい。皇帝陛下は確か……龍神族ではなかったか。昔、他国について学んだ時のことを思い出す。厳しくも明るかった教師の笑顔も思い浮かんでは泡のように弾けて消えてしまった。


 フェルザー将軍と兵士の間にやり取りはない。しかしゆっくりと扉が開いていく。擦れるような音も無く、分厚い扉にも関わらず途中で止まる事もない。

 兵士から向けられる怪訝な視線には気付かない振りをして、わたしは薄く笑みを張り付けながらフェルザー将軍の後を歩いた。



 足を踏み入れた先は謁見の間だった。

 磨かれた大理石の床が、シャンデリアの煌びやかな光を映している。柱の間に掛けられる濃紺のドレープカーテン。端には小さな宝石が縫い付けられているようで、それもまた光を受けて輝いていた。


 玉座に真っ直ぐ伸びる、濃紺の絨毯。

 数段上がった先に設えられた玉座が背にする壁は一面が濃紺に染められて、天を駆ける一頭の龍が描かれていた。両手には光珠を持ち、大きく口を開いた顔がこちらを向いている。


 その玉座に座る皇帝陛下は前合わせの独特な衣装を纏っていた。様々な色を使って織られた布地は息を飲む程に美しく、肩から落ちる夕焼けのような赤い髪にも良く似合っている。頭には変わった形の角が二本生えていて、それは背後の壁に描かれた龍のものと全く同じ形をしていた。


「紫龍軍リアム・フェルザー。帰還致しました」


 フェルザー将軍が膝をつき、その後ろでわたしも同じように膝をついた。ドレスを両手の指で摘まみ、頭を下げる。


「ご苦労であった。して、その娘がグラナティスの生き残りだな? 娘よ、面を上げよ」

「はい。シェリルと申します。お目に掛かれて光栄です」


 緊張に鼓動が早まる。

 低い声に促されて顔を上げたわたしは、真っ直ぐに皇帝陛下を見つめながら名前を名乗った。濃紺色の瞳は眠たげに細められながらも、向けられる視線はわたしの本質を探るかのように鋭いものだった。


「リアム、その娘がグラナティス出身というのはまことか?」

「ルダ=レンツィオ王国の者からも確認しております。グラナティスより捕虜となった娘が、ピアニー王女に献上されたと」


 いつの間に確認をしていたのだろう。

 しかしそれも当然の事か。わたしの言葉だけを鵜呑みにするわけにはいかないだろうし、わたしの身元を保証するものなど何もないのだから。


「リアムより報告を受けてはおるが、そなたに改めて問おう。グラナティスが滅ぼされた後にルダ=レンツィオ王国に連行された者はそなただけか?」

「わたくしだけでございます。他に生き残った者達はグラナティスに留め置かれ、宝石を採取し加工する務めを言い渡されました」

いまも宝石は採れている・・・・・・・・・・・のだな?」

「左様にございます」


 ──いまも宝石は採れている。

 それは即ち、グラナティスの女王、もしくは王女が存在しているという事に他ならない。その次に何を問われるかは、もう分かっていた。


「女王は生きておるのか」


 隠し事は許されない。

 そんな響きを声に潜ませた短い問い。


 わたしに向けられる濃紺の瞳から、感情を読み取る事はできなかった。


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