5.空進む艦

 【フェルザー将軍】という名は聞いた事がある。


 王太子が出陣する前に、ピアニー様と交わしていた会話の中で出てきていた。あの時、王太子はフェルザー将軍を捕虜として連れてくると言っていた。

 ピアニー様に対して「お前の好きなフェルザー将軍」とも。そうだ、美しいものを好む王女が欲しがりそうな美貌である。


 そんな事をぼんやりと考えながら、わたしはほどよくクッションのきいた豪華なソファーに座っていた。

 青い布地に銀糸で描かれた蔦模様。わたしが座っているソファーも、フェルザー将軍が腰を下ろしている一人掛の椅子も同じ模様で揃えられている。目の前にある真白のテーブルには紅茶が用意され、わたしは居心地の悪さを感じつつもそれを頂いていた。



 わたしは空を飛ぶ艦で、エムデアルグ皇国へと向かっている。

 戦が不得手なグラナティスには無かったし、ルダ=レンツィオ王国にもここまで大きいものは無かったはずだ。

 浮かび上がる時に少し揺れたくらいで、あとは快適なものだった。かなりの速度が出るらしく、あと数時間──日が暮れる頃には到着するらしい。


「おい、バルト。彼女が美しいからと、そこまで見つめるのは不躾じゃないか」

「見つめているんじゃないです。見張っているんです」


 わたしの向かいに座っているバルトと呼ばれた人は、ずっとわたしを睨んできている。棘のある視線を真っ直ぐに向けられて、非常に居心地が悪いのだけれど、それも致し方ないのかもしれない。


 バルトさんは十八のわたしよりかは少し幼いくらいだろう少年で、薄茶の癖毛の頭からはフェルザー様と同じような黒い角が二本生えている。濃紺の瞳は鋭く細められ、わたしに対する敵意をこれでもかと露にしていた。聞けば将軍の部下であり、本人が言うには副官らしいが……フェルザー将軍はまだ見習いだと否定していた。


 これだけ敵意を向けられるのも当然だと思うし、わたしはそれを受け入れていた。それがまた面白くないらしく、わたしへの敵意は増すばかりだ。


「バルト、彼女は客人だ。失礼な態度を取らないように」

「ルダ=レンツィオからの間者かもしれないじゃないですか。僕は警戒をしているだけです」

「バルト」

「大体、リアム様は甘すぎるんですよ。多少見目がいいからって、それを武器にしているだけの女じゃないですか。執務室に通さなくたって地下の牢に──」

「バルト」


 バルトさんの言葉を遮ったのは、地を這うような低音だった。

 その声に宿るのは怒りと失望。わたしまで恐ろしさを感じる程の凄みに、バルトは息を詰まらせて顔色を悪くしていた。


「彼女は客人だ。誠意を持って接するように。いいな?」

「……かしこまりました」

「分かったら出ていけ」

「な、っ……!」


 バルトさんの瞳が戸惑いに揺れた。それでも反論をするつもりはないようで、静かに立ち上がると重い足取りで部屋を出ていった。代わりに廊下に居たらしい軍人の一人が入室し、扉の横に控えた。


「すまなかった」

「いえ、バルトさんが不審に思うのも当然の事です。どうぞお気になさらずに」


 そっとカップをソーサーに戻すと、震える指先のせいで微かにカチャリと音が立ってしまった。ソーサーをテーブルに置いてから震える指を逆手で握ったけれど、隠せてはいないかもしれない。

 わたしも先程の怒りにあてられてしまったようだ。


「怯えさせるつもりはなかったんだが」

「分かっております。それに……バルトさんの気持ちもよく分かるのです。わたしはグラナティス出身とはいえ、ルダ=レンツィオに居たのも事実。わたしの身元を保証出来るものもありませんし、疑われても仕方がない事です。どうしてフェルザー様はわたしを疑わないのでしょうか」

「言っただろう? お前にはまだやる事があると。グラナティスの情報、それからルダ=レンツィオの情報。お前が持つそれには価値がある。それに……」


 一度言葉を切ったフェルザー将軍は、口端に笑みを浮かべた。椅子の背凭れに深く体を預けながら優雅に足を組む。


「お前が敵だとしても俺は負けん」


 あまりにも自信たっぷりに紡がれた言葉に、わたしは瞬きさえ忘れてしまった。その言葉は決して傲りではなくて、本当にそうなるであるという確実さ。


「ルダ=レンツィオの王太子を討ち取ったのは、フェルザー将軍なのですか?」

「そうだ。意気揚々と向かってきたが大した事は無かったな」

「……ありがとうございます」

「何がだ」


 怪訝そうに眉を寄せるフェルザー将軍に、わたしはゆっくりと頭を下げた。

 グラナティスが滅びたあの夜の事を、わたしは忘れていない。悲痛な声も、血の臭いも、全てがわたしの心に焼き付いている。


「あの王太子がグラナティスを攻め滅ぼしたのです。それが王の意思の元であれ、実際に刃を振るい、国に攻め込む軍を率いていたのは王太子。あの男はわたし達のかたきでありました」


 ルダ=レンツィオに連行され、呪いをこの身に刻まれてからも。あの王太子はわたしを外に連れ出して、わたしが呪いに焼かれる様を見て楽しんでいた。

 憎かった。国を滅ぼす刃となったあの男が。


「ありがとうございます」


 下げていた頭を戻すと、フェルザー将軍は肩を竦めた。カップに手を伸ばし、まだ湯気の立つ紅茶を吹き冷ましている。


「別にお前に礼を言われる筋合いはない。戦を仕掛けたルダ=レンツィオが自滅をした、それだけだ。それにグラナティスの復興はお前の情報に掛かっている。陛下と上手く取引をする事だな」

「……陛下と、取引?」


 わたしはグラナティスとルダ=レンツィオで知り得た事を、お話するのではなかったか。その相手はフェルザー将軍だと思っていたけれど、この口ぶりだと違うらしい。

 怪訝そうなわたしの声に、フェルザー将軍も首を傾げている。


「言っただろう。宝石や技術に関しての取引が出来る、と。現状のグラナティスは封鎖されていて、中に残っている者は不詳。それならばお前と取引する以外にあるまい」


 確かにそうなのだけれど。

 いや、確かにわたしが取引をするつもりではあったけれど……陛下と、直接?


「陛下にグラナティス出身のお前の事を報告したら、直接会って話が聞きたいとの事だ。グラナティス解放に心が傾くだけの説得材料を用意しておけよ」

「な、そんな急に……!」

「それもそうか。陛下が気にしている事の一つを教えておいてやる。それは……女王の行方だ」

「女王陛下の……」


 美しかった母の姿が脳裏に浮かぶ。

 朗らかで強くて、時々厳しい時もあったけれど……国を、民を、わたし達を愛していた母の姿。しかし思い浮かぶその姿は一瞬で血溜まりの中へ沈んでいく。


「……大丈夫か? 顔色が悪い」

「ええ、大丈夫です。女王陛下の行方、それは……宝石を森に実らせる事が出来るのが陛下だけだからですね」

「そうだ。森に宝石が実らないのならグラナティスの価値は下がる。女王が不在なら人道的支援としてグラナティスを解放させる方向に持っていくしかない。それもお前次第だ」


 フェルザー将軍の助言を受け、わたしは小さく頷いた。

 静かに席を立ったフェルザー将軍は執務机に向かい、通信装置らしき機械を口元にあてている。


「着陸準備だ」


 雑音の向こうに返事をする声が聞こえた。

 そろそろ到着するのだろう。ふと窓から外を見ると、真っ赤な夕日がすぐ近くに見える。その熱を帯びた光は力強くも美しく、執務室を赤く染めようとしていた。


 その熱量がわたしのところに届くよりも早く、窓に近付いたフェルザー将軍が厚いカーテンを閉めてしまう。暗くなった部屋に反応するように、天井に据え付けられた照明が灯された。

 きっと、わたしを慮ってくれたのだろう。

 あの熱でわたしが焼けてしまわないように。


 その気遣いに感謝をしながら、わたしは考えを巡らせていた。


 何を、どこまで話すかを。

 王女の存在を口にするべきか、否かを。

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