4.願いは、グラナティスの解放
「ここの王族が自分の命と引き換えに、民の助命を願うわけがないだろう」
嘲るような声に、納得してしまったのも事実で。わたしは眉を下げつつも苦笑いを零してしまった。カーテシーを崩して立ち上がり、姿勢を正す。
窓の向こうで立ち上っていた黒煙は気付けば消えている。薄く焦げた臭いが漂ってはくるけれど、怒号や悲鳴も次第に落ち着いているようだった。
この城は制圧されたのだろう。
王族は逃げ、重臣達も逃げ、使用人も逃げ出した城を制圧するのは容易い事だったかもしれない。その中では確かに、民の助命の為に命を差し出そうとしたわたしは異質だろう。
しかしそうなると男の言う通り、わたしの首に価値はない。これではグラナティスの民を解放して欲しいという願いも聞き入れては貰えない。
わたしが内心で考えを巡らせている間、男はじっとわたしの顔を見つめていた。その余りにも真剣な眼差しに、わたしも金の瞳を見つめ返していた。
「
不意の言葉にはっと息を飲んだ。
何と答えていいか分からずに口ごもると、男は返事を待たずに、片手をわたしの頭上に翳した。小さな声で何か文言を紡いでいるが、わたしには意味のある言葉には聞こえなかった。ただ、囁くようなその低音がひどく心地良い。
光が粒子となって降り注ぐと、涼やかな風が一陣、わたしを包んで消えていった。春の夜気のような芳しさを残して。
男の背後に立つ軍人達が、驚いたように息を飲むのが分かった。
もしやと思って、髪を結い上げる為に使っていた髪留めを片手で外すと、
「
「全員、国を離れました」
「行き先は?」
「存じ上げません。わたしを含む身代わりにされた者は、ここで死ぬように命じられておりましたので」
男は肩越しに振り返り、人壁を作る軍人達に向かって顎をくいと動かした。指示を受けた彼らはばっと勢いよく敬礼をして、慌ただしく広間から走り去っていく。この広間に残ったのは数人で、あとは皆、出ていってしまった。
「他の身代わり達は?」
「逃げるように進言しましたので、もう城を離れているかと」
「お前はどうして逃げなかった?」
「……先程申しました通り、お願いしたい事があった為でございます」
男は眉を寄せたまま何かを思案しているようだった。
向けられる不躾な視線も当然で、わたしは気にしない振りをしながらそれを受け止めるしかない。
「それで、お前は何者だ?」
「……シェリルと申します。ピアニー様の侍女をしておりました」
咄嗟に偽名を名乗る事が出来るほど、わたしは冷静ではなかった。
しかし宝石の国グラナティスの王女の存在は秘匿されているから、シェリルという名が王女に繋がる事はないだろう。
ロズと名乗る選択肢もあったけれど、ピアニー様の声が思い浮かんで名乗る事は出来なかった。
「家名は?」
「ございません」
「随分とグラナティスを気に掛けていたが、出身か?」
「……左様にございます。わたしはグラナティスが滅ぼされた後、ピアニー様に召し上げられる為に連行されました。どうかお願いです、グラナティスにご慈悲を」
再度の願いを口にして、わたしは膝をついた。
これはひとつのチャンスなのだ。グラナティスが解放される、ただひとつの機会。今度は皇国に支配されるかもしれないが、今よりはきっとましだろう。いや、そう願うしかない。
「グラナティスが一方的に蹂躙された件は我が国でも承知している。我が国の王は狭量ではない。彼の国の惨状は理解しているし、宝石やその技術で取引をすることも可能だろう」
「ありがとうございます……!」
確定ではないのは分かっている。信じるだけ、裏切られた時が苦しいのも分かっている。
それでも、男の言葉はわたしの心を震わせるのに充分過ぎた。安堵に深い息を漏らすと、溢れた涙が頬を濡らした。
「礼を言われる事ではない。グラナティスにそれだけの気概が残っていれば、の話だ。それにお前にはまだやる事が残っている」
わたしに、やる事。
身寄りも地位もない。国が滅びてすべてを失ったわたしに出来る事があるのだろうか。内心の疑問に首を傾げながら、その言葉を反芻すると一つの可能性が思い当たった。
「わたしの体がお望みでしょうか。娼館に売られるでも、何かの研究に使うでも、どうぞなんなりと」
「違ぇよ、馬鹿」
不意に崩れた言葉に目を瞬くと、男は呆れたような視線を向けてきている。わたしの腕を引いて立ち上がらせると、大袈裟な程に溜息をついて見せた。
パルファムなのかベルガモットの香りが鼻を擽る距離で、金色の瞳には怪訝そうな顔をしているわたしが映る。
「第一王女の侍女であったお前には、もう少し話を聞く必要がある。それからグラナティスに関しての情報も欲しい」
「そうでしたか。勘違いをしておりました、申し訳ございません」
「グラナティスに帰りたいのだろう。悪いがしばらく協力してもらうぞ」
「わたしでお役に立てるのならば」
早とちりしてしまった自分を恥じながら、わたしは大きく頷いて見せた。
男はわたしの腕から手を離すと、その手を再度わたしの頭に掲げてくる。見上げればわたしの頭上に小さな魔方陣が浮かび上がっていた。夏の夜気にも似た風が髪を掬って遊んでいく。
「……本当に厄介な呪いを掛けられているな。これも王女が?」
「はい。この呪いを掛けられたのは、わたしがこの国に連れて来られてすぐの事でした」
「太陽の神に厭われる呪いか。侍女として仕えさせるには不便な呪いだろうに」
「ピアニー様や王太子殿下は、わたしが爛れる姿を見てお喜びに──」
「クソが」
言葉を遮るように低い声で悪態がつかれる。驚きに肩を跳ねさせると、男は小さく息をついてからわたしの頭に手をぽんとのせた。
「皇国では魔術、呪術の研究も進められている。きっと解呪出来るだろう」
「……ありがとうございます」
思いもよらない言葉に胸が詰まる。
国が滅びて、ルダ=レンツィオに連れられて、優しくされたのなんてこれが初めてかもしれない。乾いた砂に水が吸い込まれていくかのように、それは一瞬でわたしの心を満たしていった。
「ずいぶんと泣き虫だな。まぁいい、行くぞ。お前にはしばらく皇国に滞在してもらう」
「かしこまりました」
この国を離れられる日が来るだなんて。
浮かんでいた涙を指で拭うと、解放感に表情が綻んだ。自分でも口端が上がっているのが分かる。
「俺は紫龍軍を率いるリアム・フェルザーという。それでは行くぞ、シェリル」
名前を呼ばれた。
ただそれだけなのに、心が弾む。この国でわたしの名前を知る人なんていなかったから。
久し振りに紡がれる自分の名前。それがひどく嬉しくて、胸が苦しい。
それを隠して、わたしはフェルザー様の後をついて歩き出した。この国を、離れる為に。
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