3.美貌の軍人

「俺達が何をしたと言うんだ……」


 悲痛な声は、国王の替え玉となった文官のものだった。

 それを皮切りに、他の面々も涙に暮れてその場に崩れ膝を突く。滅びを迎える国の王族らしいといえば、そう見えるかもしれない。


「……逃げましょう」


 静まり返った広間に、わたしの言葉はやけに大きく響いた。

 全員の視線がわたしへ集まり、居心地の悪さを誤魔化すようにわたしは空咳をひとつ落とした。


「豪華な衣装を着て、髪や瞳の色を変えているとはいえ、顔を見れば王族でない事など一目瞭然です。城内も逃亡する人達で混乱しているでしょうし、逃げる事に問題もないでしょう」

「しかし、それが知られたら殺されてしまうかもしれない……!」


 第二王子の身代わりとされた、まだ年若い兵士が戸惑いの声を上げた。しかしその声に咎めるような色はない。


「そんな余裕がある人なんて、この城内にいませんよ。金品を持って逃げるのに忙しいでしょう」

「でも、どこに逃げたらいいのか……」

「どこでもいいわ。このままここに居ても結局は殺されるだけだもの。少しでも生き延びられる可能性があるなら、逃げるべきよ」


 わたしの言葉に、他の人たちも追従し始める。

 そうだ、誰も死にたくはないのだから。王が国を捨てたその時点で、この国はもう死んだのだ。


「わたしがこの場に残ります。王族の身代わりは一人でいいでしょう」

「い、いいのか……?」

「わたしに行き場所が無いのは、皆さんご存じでしょう。構わず、どうぞお逃げ下さい」


 わたしがグラナティスの王女だと知る者はほとんどいないが、身寄りのない娘だという事は城中に知れ渡っている。逃げるあてもないのだと言えば、皆の顔から緊張が消えたように見えた。自分が犠牲にならなかった事に安堵しているのだ。


「じゃあ、お先に。あなたも逃げられるなら逃げたらいいわ!」


 どこまで本気かは分からないけれど、そんな言葉を残して王妃の身代わりとなっていた侍女が走り出した。それを合図としたように、皆が一斉に広間から走り去っていく。

 開け放たれたままの扉からは怒号や悲鳴、人々が慌ただしく走り回る音、それから馬の嘶きまでが聞こえてくる。


 耳を澄ませても、逃げ出した彼らを咎めるような声は聞こえてこない。

 それもそうだろう。城中の人間は自分が逃げ延びる為に忙しいのだから。


 わたしは扉をしっかりと閉めてから、広間の中央に立って周囲を見回した。

 玉座の後ろに飾られた王家の紋章が刺繍された美しいタペストリー。磨かれた大理石の床はシャンデリアが受ける陽光を反射させている。

 滅びを間近に迎えた城の美しさは変わりなく、それがなんだか無性に可笑しくて少し笑った。


 皇国軍はいつ到着するのだろう。

 わたしがこの場に残ったのは、身代わりになった彼らを救う為ではない。王女・・として、グラナティスの皆を救う為だ。


 それでも、やっぱり少し怖い。

 味方も居らず、自分一人でやりきらなければならない。


「ちゃんとやるの。グラナティスの皆を救えるのはわたしだけ。皆きっと、わたしの事を信じているはず。……しっかりしなさい」


 自分に言い聞かせる声も震えている。

 怖くても、それでも……目の前で皆が死んでいくあの時よりかは全然ましだ。目を閉じれば今でも浮かぶ、あの光景。血に塗れたあの記憶に視界が滲んで、涙が零れた。



 遠くで門が破れる衝撃に、城が揺れた錯覚さえ覚える。いや、もしかしたら本当に揺れていたのかもしれない。

 怒号、悲鳴。四角い窓からは黒煙がいくつもの線となって空に上っていくのが見える。皇国軍が到着したのだ。

 王族はとうに逃げ、きっと王都に暮らす貴族も逃げ出して、指揮系統だって混乱している事だろう。皇国軍が制圧するのも容易い事だ。


 わたしは広間の中央に立ったまま、皇国軍がこの場に到着するのを待っていた。

 それがわたしを解放してくれると、そう信じて。



 無数の足音。軍靴のような固い足音が近付いてくる。

 そして──勢いよく扉が開いた。


 手に武器をもった軍人が一斉に流れ込んできて、わたしを囲う壁を作る。全員の手には剣や槍など武器が握られていて、その切っ先はわたしへと向けられている。

 警戒と敵意が広間を支配する中で、人壁の中から一歩を踏み出したのは一人の軍人だった。


 濃紫の髪に、金色の瞳が映える美しい男だった。頭には漆黒の角が二本見える。不機嫌そうに寄せられた眉も形良いが、少し垂れた瞳に宿るのは明確な敵意。

 金の飾緒や胸に光る勲章。この人が軍を率いていたのだろう。


 そう思ったわたしは、男の前でドレスを摘まんで膝を折る。

 王女・・らしく、背を伸ばして。


「わたくしはルダ=レンツィオの第一王女、ピアニー・フィルネス・ルダ=レンツィオでございます」

「国王は?」

「国を離れました。皆が王に追随し、残っているのはわたくしだけでございます」


 男の視線が広間を巡る。大きな溜息をついた男は、手に持った長剣の切っ先をわたしに向けた。


「王族が無責任にも逃げたというのに、貴様はなぜ残っている?」

「身勝手だとは承知しておりますが、お願いしたい事がございます」

「ふん、命が惜しいか」


 嘲るような低い笑い声を聞いたわたしは、ゆっくりと顔を上げた。

 有無を言わずに斬り殺される事はないようだ。


「惜しいのはわたくしの命ではなく、罪無き民のものでございます」

「……ほう?」


 わたしは向けられる剣先から、その男へと視線を向ける。意思の強そうな金の瞳を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。


「戦を起こした責任を取るのはわたくし達、それから貴族達。市井で暮らす民にこの戦の責任はありません。どうぞご慈悲を頂きたいのです。それから先の戦で捕虜としたグラナティスの者は、グラナティスの跡地にて労働についております。どうかその者達の解放もお願い出来ないでしょうか」

「中々厚かましい願いだな」

「承知しております。しかしグラナティスは宝石の国。エムデアルグ皇国にとっても貴重な財源となるのでは? それに捕虜となっている者達は宝石の加工に長けております。ルダ=レンツィオ王国から解放されると知れば、彼らはその技術を皇国の為にふるうでしょう」

「確かにグラナティスの宝石は貴重だな。その件については皇帝陛下に進言しよう」

「ありがとうございます」


 わたしは内心で安堵の息をついた。

 約束が果たされる確約なんてないけれど、実っているグラナティスの宝石、それからあの素晴らしい加工技術があれば、グラナティスに残る民達は今よりかは救われる。


 ピアニー様の身代わりとなって死ぬ身だとしても、何もしないで死を選ぶ事は出来なかった。それもこれで終わりだ。


 わたしは頭を下げ、首を差し出した。わたしが死ねばグラナティスに宝石が実る事は無くなるけれど、毎日欠かさずに祈りを捧げてきたのだから、残された皆の命を守るくらいのものはあるだろう。


「どうぞわたくしの首を戦果にお持ち下さい」


 死ぬのは怖い。それでも、最後に民の為に何か出来たのなら上出来だ。

 わたしは深く息を吐いてから、今度はゆっくり息を吸い、そして止めた。刃が振り下ろされるのを、ただ待つために。


「その気概は評価に値するが……偽物の首に価値などないな」


 男の声に、心臓が跳ねた。

 偽物だと知られている。まさかピアニー様の顔を知っていた? 


 鼓動が騒ぎ出し、冷たい汗が背中を伝った。

 すぐ側まで近付いてきた男は、その手でわたしの顎を掴んで顔を上げさせた。その美貌に美しすぎる程の酷薄な笑みを浮かばせて。

 

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