2.滅びゆく国

 遠くの山の稜線が仄かに色付き始める頃。

 太陽の気配に空が白み、星や月がゆっくりと眠りに落ちていく。


 人の気配もまだまばらな静かな時間。既に身支度も整えたわたしは固い床にひざまずき、毎日の日課である祈りを捧げていた。


 どうか、グラナティスにいる民達が辛い思いをしていませんように。

 どうか、死した人々の魂が安寧の中にありますように。


 心を込めて祈るわたしの体から、魔力がすうっと抜けていくのを感じた。きっと遠く離れたグラナティスの森では、この魔力を糧にした宝石が実っている事だろう。



 国が滅んで、わたしは捕虜としてルダ=レンツィオ王国に連れて来られた。他に生き残った民達は、グラナティスにて宝石を加工し続ける事を命じられた。


 ルダ=レンツィオ王国の為だけに、わたしは宝石を実らせ続け、民はそれを美しく加工し続ける。宝石の扱いにおいて、グラナティスの民以上に優れた技術を持っている者はいない。

 この国の王もそれを知っているから、これ以上グラナティスの民達が傷つけられる事はないはずだ。だからわたしは国に残っている民の為に、毎朝祈りを捧げていた。


 立ち上がったわたしは、自分に与えられた粗末な部屋のカーテンを閉めた。

 太陽の姿を見てしまえば、わたしの体は焼けてしまうからだ。お日様の下を走り回っていたあの頃が懐かしくて、思い出すだけで胸が苦しくなる。だからその思い出は、心の奥にそっとしまった。


 纏めて結い上げた白銀の髪に綻びがない事を鏡で確認してから、わたしは部屋を出た。

 ピアニー様が目覚めるまでは、他のメイドと同じような仕事がある。それに励まなければならない。



 箒で床を掃きながら、ふと視線が自分の手にいった。先日の火傷は綺麗に治っている。わたしが火傷を負う度に、城仕えの回復術師が癒してくれるのだ。

 痛みが後に引かないのは有り難いのだが、それもまた傷をつける為のものだと思うと、いっそ醜い傷を残してくれたらいいのにとも思う。そうしたらピアニー様もわたしに飽きて下さるかもしれないから。


 今日も良い天気だ。また陽射しの下に出されるのだろうと小さく溜息をつきながら、エントランス近くの通路を数人で掃除していた時だった。


 地鳴りのような音が響いた。体の奥を震わせるような不気味な感覚に顔を上げると、周囲のメイド達も不安そうに顔を見合わせていた。徐々にその音が近付いてきて、床が揺れているのではないかと思うくらいだ。


 その正体がエントランスに飛び込んでくる。

 それは騎乗したままの、鎧を血で汚した兵士だった。その勢いに周囲から人が集まってくるも、その兵士は構うことなく馬を乗り捨てて城の奥へと駆け込んでいった。


「今のって……王太子様直属の……」

「何があったのかしら」


 メイド達がひそひそと話す声は、興奮状態の馬のいななきにかき消される。

 そういえば、王太子が出陣してから今日で五日程になる。戦で何かあったのだろうか。


 そんな事を考えながらわたしはまた箒を動かし始めたのだが、いつもは厳しい侍女長が通路を走ってきたものだから、また掃除の手が止まってしまった。通路を走るだなんて品のない事は絶対に許さないのに。

 侍女長は箒を握ったままのわたしの手を掴んで、また走り始めた。

 城全体が不穏な気配に包まれて、やけに慌ただしい。


 まるでわたしの国が滅びた時に、よく似ていた。



 侍女長に連れて来られたのはピアニー様の私室だった。

 ばたばたと走り回る侍女達を視界の端に捉えながら、わたしはドレスに着替えさせられ、髪を結われ、化粧をされている。


 そんなわたしを椅子に座って見つめるピアニー様は、町娘が好むようなワンピース姿だった。艶やかな金髪はうなじでひとつに纏められ、歩きやすそうな編み上げブーツを履いている。


「お前を連れていけないのは残念だわ。でも他に適任がいないのだから仕方ないわね」


 一体何の事だろうと首を傾げると、顔色の悪い侍女の手によって頭を真っ直ぐにさせられる。


「お兄様がしくじったんですって」


 溜息をつきながら優雅に足を組み替えるピアニー様の向こうでは、侍女長が慌ただしくドレスや装飾品を纏めている。その顔色もひどく悪い。


「この国はエムデアルグ皇国に戦争を仕掛けた。そして返り討ちにあった。お兄様ったら、フェルザー将軍を連れて来て下さるなんて言っていたのに、まさか討たれてしまうだなんてね」


 ルダ=レンツィオ王国が、負けた……?

 前線に向かった王太子は討ち死にしたのか。


 あの男はグラナティスを滅ぼした当人だ。ルダ=レンツィオが負けて王太子が死んで、溜飲が下がると思ったのに……頭に浮かぶのはグラナティスの民の事ばかりだ。この国が支配しているグラナティス跡地はどうなってしまうのだろう。皇国に事情を理解してくれる人はいるのだろうか。それとも今度は皇国に支配されてしまうのだろうか。 


「フェルザー将軍はそのままこの国への侵攻を開始。防衛線も全て突破され、この王都に皇国軍が到達するのも間近。だからね……わたくし達は不本意ながら脱出しなければならないのよ」


 不本意と言いながらもピアニー様の表情は歪まない。いつもと同じく美しい、余裕の笑みを浮かべている。

 脱出する為にその姿を偽るのか。合点のいったわたしは、改めて自分の姿を見下ろした。

 わたしが王女であるピアニー様の替え玉なのだ。


 支度の終わったわたしに近付いたピアニー様は、細くて白い指をくるりと回す。呪いを掛けられた時と同じ優美な手付きに、思わずわたしの体が固まった。

 しかし今度の魔法は呪いではなかった。鏡を見ると白銀だったわたしの髪が金色に染まり、紅だった瞳がサファイアブルーに変わっている。ピアニー様と同じ色彩だ。

 そして頭頂部から水が流れていくように、ピアニー様の色彩も変わっていく。髪はわたしと同じ白銀に。瞳は真っ赤なガーネットに。

 顔は違えど色彩が入れ替わっているのは、奇妙な感覚がして気持ちが悪い。


「さすがに顔まで変えるのは、この短時間では難しいけれど。髪と瞳だけでも充分でしょう」


 ピアニー様は満足そうに笑うと、わたしの頬を両手で包んだ。

 わたしよりも背の低いピアニー様は、少し背伸びをしている。


「あなたはわたくしの代わりに死ぬのかしら。それとも野蛮なエムデアルグ皇国の捕虜となって虐げられる? ふふ、どちらにしてもぞくぞくしてしまうわ。その姿を見られないのは残念だけれど」


 頬を染めたピアニー様は、熱い吐息をほぅと漏らした。いつもわたしを甚振る時と同じ、熱を持った眼差しだ。

 わたしは内心の歓喜を押し殺しながら、ただピアニー様を見つめていた。


 わたしの国を滅ぼしたこの国が、今度は別の国によって滅ぶのだ。

 この王女達は逃げて再興を目指すのだろうが、それはきっと辛酸を舐めるようなものだろう。いや、そうであればいいと思わざるを得ない。


 それに……この王女の為に死ぬのはごめんだが、王女の肩書き・・・で出来る事があるかもしれない。


「ピアニー様、お支度が出来ました」

「あら、もう? 残念、それでは行きましょうか」


 くすくす笑うピアニー様は、わたしと侍女長だけを連れて部屋を後にした。閉じた扉の向こうでは、侍女が慌ただしく逃げる準備をする気配がする。ピアニー様も侍女長もそれに気付いていながらも、何も言わなかった。



 向かった先は謁見の広間。

 豪奢な玉座には、ひどく顔色の悪い国王が座っている。いや、あれは国王ではなく、城に出仕している文官だ。ふくよかな体躯は確かに国王に似ているかもしれない。

 その隣に立つのは王妃。宝石が大好きな彼女は今日も装飾品をたっぷりと身に着けているが……あれは模造品だ。替え玉に本物の宝石を与えるのは勿体ないという事か。


 国王や王妃の他には、王子が一人、わたしを含む王女が三人。豪華な衣装を身に纏った替え玉のわたし達を見つめるのは、商人や町人の格好をした王族の面々だ。それから侍女長をはじめとする腹心の臣下達。


「貴様らにはこれより、エムデアルグ皇国の穢らわしい犬共を出迎えて貰う。奴等の刃に貫かれるか自刃するか、それを選ぶだけの権利はやろう」


 ピアニー様の呪術によって色彩を変えた国王が顎髭を擦りながら笑う。それを聞いた身代わり達は息を詰まらせ、体を震わせた。


「ルダ=レンツィオの王族としての死を迎えられるのだ。これほど光栄な死も他にないであろう」


 国王はわたし達が身を強張らせるのを見て、満足そうに笑った。その傍らでは王妃が、レースも優美なハンカチで涙を拭っている。何か小さく呟いているのに気付いて耳を澄ませると、王太子の名を呼んでいるようだった。


 母親に寄り添う事もなく、ピアニー様はわたしへと歩み寄ってくる。口元にはいつもと同じ美しい笑みを浮かべて、わたしの頬を指先で撫でた。

 

「さよなら、紅玉の姫。お前の顔を見られなくなるのは悲しいけれど……その美貌なら、死なずに慰み者として生き延びる事が出来るでしょう。……ぼろぼろになったお前がわたくしの元に戻ってくるのを楽しみにしているわ」


 背伸びをしてわたしの耳元に唇を寄せたピアニー様は、わたしにだけ聞こえるような声でそっとささやいた。いつもわたしを虐げる時と同じように、その白磁の頬をうっすらと朱に染めながら。

 ひんやりとした手の感覚に怖気を感じながら、わたしは口を開かなかった。伝えたい言葉も何も無かった。



 国を捨てる王族は腹心だけを連れて広間から出ていった。彼らは誰も不安そうな顔をしていない。余裕を崩さず、王太子の死を悲しんでいるのも王妃だけ。そんな王妃のすすり泣く声も、扉が閉まると聞こえなくなった。


 残されたのは豪華な衣装に身を包んだ、身代わりとなったわたし達。

 死を待つだけの、わたし達だけだった。

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