唇は恋に染まる~亡国の王女は呪いを解く為、朝も夜もキスをする
花散ここ
1.宝石の国グラナティス
見上げれば雲ひとつない美しい紺碧。
木々の隙間から零れ降る陽光を受けながら、わたしは芳しい森の中を駆け回っていた。
森の木々に実るのは、色とりどりの宝石たち。
サファイア、ダイヤモンド、エメラルド、それからわたしの瞳の色にそっくりなガーネット。
拳大の大きさにまで育った宝石を、優しい手つきで採っていく人達。大きさや種類ごとに選別されてから加工された宝石は、国で消費される他に輸出もされる。この宝石の国グラナティスは、そうやって国を栄えさせてきた。そしてきっと、これからも。
「姫様、走り回ると転びますよ」
「大丈夫よ、子どもじゃないんだから」
「十七歳にもなって走り回っている事を、注意しているんですよ」
溜息混じりのおばさんの声に、周りで宝石を採っていた皆が声を上げて笑う。
わたしが
「走っていたのにも理由があるのよ。宝石の様子はどう? ここ数日はわたしも祈りを捧げているのよ」
「ええ、ええ。きっとそうだと思っていましたよ。輝きの強い宝石が実っていましたもの。この辺りが姫様の魔力で実ったものでしょうねぇ」
おばさんが指し示す木には、まだ小振りながらも力強い輝きを放つ宝石が実っていた。わたしの大好きなガーネットが一番多くて、嬉しさを隠す事なんて出来ずにわたしは笑った。
この宝石の国グラナティスは、ある乙女と精霊が結ばれて出来た国だという。
自身に宿る強大な魔力に身を滅ぼされそうになっていた乙女は、この森で救いを求めて祈りを捧げていた。乙女を憐れに思ったこの森に宿る精霊は、強大な魔力を吸い取って森へと放出してやったそうだ。
魔力は森の養分となり、いつしか森の木々には宝石が実るようになったという。
心を通わせた乙女と精霊は結ばれて、この国を興して幸せに暮らした……というのは、グラナティスで生まれた子ども達が寝物語で聞くお話だ。
それがどこまで本当なのか、どれだけ脚色されているかは分からないけれど。精霊と乙女の血を引くという王家には、確かに宝石を実らせる力を持つ女児が生まれるのだから、あながち間違いでもないと思っている。
その女児は生まれながらに次代の女王となる事が決まっていて、即位するまでその存在を他国へ秘匿される──わたしもそうして生まれた王女だった。
次代の女王であるわたしには、国を守っていく義務がある。
小国故に武力が心許ないグラナティスは、隣国のルダ=レンツィオ王国と同盟を結んでいた。武力援助をして貰う代わりに、グラナティスは高品質の宝石を献上する。感謝と誠意の上に成り立つ同盟は、何代も前の王同士で取り決めを交わしたものだ。
しかしわたしは、いつかルダ=レンツィオ王国に頼らずとも国を守れるようになりたいと考えていた。それには様々な手段があるけれど、何を選ぶかによって未来が変わる。だから様々な事を調べて学ばなければならない。
大変な事もあるけれど、民を守る為だ。努力は苦で無かったし、いつかは報われると信じていた。
それは穏やかで美しい、愛しい日常。
──ずっとそれが続くと思っていたのに。
見上げれば空は赤く燃えている。
空を染める炎、それから黒煙。瓦礫となって家屋が崩れる。
嘲笑うような笑い声。悲鳴。血肉を切り裂く音。
燃える。炎が全てを奪っていく。
わたしの愛した国を、民を、慈悲もない炎が飲み込んでいった。
大広間に折り重なるように倒れているのは女王の母と王配の父。二人の周りには
わたしを庇っていた兄に突き刺さるのは、無数の槍先。兄は槍に貫かれて倒れる事さえ出来ずに事切れてしまった。
呆然とするわたしの腕を掴んだのは、隣国ルダ=レンツィオ王国の王太子だった。下卑た笑みを隠そうともしていない。
グラナティスが狙われた時には、助けてくれるはずの国。
国の平和の為に同盟を結んでいたのに。
それなのに。
ルダ=レンツィオ王国がグラナティスに攻め入ってくるだなんて。
皆が殺され全てが奪われていく中で、生き残ったのはわずかな民と……王女であったわたし、シェリル・レティ・グラナティスだけだった。
* * *
「
「はい、ピアニー様」
ルダ=レンツィオの第一王女であられるピアニー様に呼ばれたわたしは、お側に寄って
国を滅ぼされ、捕虜となったわたしはルダ=レンツィオ王国に連行された。ピアニー様にお仕えする事になったわたしはロズという名を与えられた。他の侍女と同じようにお仕着せ姿のわたしだけれど、ピアニー様のお世話をする為だけに仕えているわけではなくて──
「もっとよ。もっとこちらへ」
美しい羽を重ねた扇を揺らしながら、ピアニー様は促してくる。
下ろした金の髪が、陽光を映してきらきらと眩しい。サファイアのような瞳も
ピアニー様がいらっしゃるのは、窓のすぐ近く。
柔らかな春の陽射しが入り込む、温かな場所だった。ピアニー様に直接陽射しがあたらないように薄いカーテンが引かれているものの、わたしが呼ばれている場所に薄布はない。燦々と陽の光が注がれている。
わたしは細く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
招かれる場所へと足を進め、また
陽光の温もりを感じた瞬間──わたしの顔はジュッと独特の音を立てながら焼け爛れていった。熱い痛みが全身を駆け抜けて、頭の奥まで痺れてしまう。
「っ、あ……」
漏れそうになる悲鳴を吐息に逃がした。
わたしは太陽に忌み嫌われる呪いを掛けられている。わたしが太陽の元に出ると、その強い光で体が焼かれてしまうのだ。ピアニー様にお仕えする事になってすぐ、ロズの名前を与えられたと同時に掛けられた呪いだった。
「うふふ、あはははは! あんなに綺麗だったお前の顔が!」
何度繰り返しても慣れない痛みに歯を食いしばって、わたしは耐えるしかなかった。呪いを掛けた当人は嬉しそうに笑っている。
「手を出しなさい」
言われるままに手を差し出す。白かったわたしの手が、顔と同じように爛れていく。痛くて、熱くて、醜い。
赤黒く変色した手を覗き込んだピアニー様は、持っていた扇を火傷に向かって振り下ろした。
「ううっ……!」
傷に風が当たるだけでも痛いのに、扇で叩かれる痛みはひどく鋭いものだった。手を隠して逃げ出してしまいたいのに、わたしにそれは許されていない。
「お前の顔が歪むのって、とっても素敵ね。その顔を絵画にして残しておきたいくらいに」
くすくすと笑うピアニー様は血で汚れた扇で、今度はわたしの頬を打った。衝撃と痛みに悲鳴を抑える事は出来なかった。ピアニー様はヒールの高い靴で、床に倒れたわたしの顔を踏みつける。ぐりぐりと爪先で顔の火傷をこねられて、あまりの痛みに目の前が霞む程だった。
「っ、ぐ……あっ……」
爛れた皮膚がぐちゅりと耳障りな音をたてる。堪えられない涙が流れて、それが火傷にあたってまた痛んだ。
ピアニー様は頬を紅潮させながら、わたしをじっと見つめている。
「お前は本当に綺麗ね。醜く顔が爛れたって、その瞳は宝石みたいに輝いているわ」
熱を帯びた吐息を漏らしたピアニー様が、またわたしの頬を踏みつけた時だった。
ノックも無く、扉が開いた。
「またやっているのか。悪趣味な妹だな」
「お兄様だってお天気のいい日に、この子とお散歩するのが好きなくせに」
入室してきたのはピアニー様の兄でもある、王太子だった。わたしの国を滅ぼす先陣を切っていた、あの男だ。今日も外に連れ出されるのかと身構えたけれど、よく見れば鎧を身に纏っている。
「それは否定しないが。そんなことより、いい報せだ。お前が好きなフェルザー将軍が前線に出てきたらしい。捕虜にして連れてきてやろう」
「まぁ、嬉しい! 絶対ですわよ、お兄様!」
「任せておけ。将軍を連れ帰ったら、代わりにロズを俺にくれないか?」
「いけません。この子には
まるで物のやり取りをしているかのようだ。
王太子は床に倒れたままのわたしを見て、相変わらずの下卑た笑みを浮かべている。国を滅ぼした時と同じ、歪んだ笑みだった。
「お前の美学は俺には分からん。まぁいい、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいまし。ご武運を」
気付けばピアニー様の足がわたしの顔から離れていた。ピアニー様は胸の前で両手の指先を合わせて可愛らしく微笑んでいる。
このルダ=レンツィオ王国が宝石の国グラナティスを滅ぼしただけでは飽きたらず、たった半年程度で他の国に攻め入っているというのは本当の事だったらしい。また戦争になるのよ、なんて侍女同士のお喋りを遠くで聞いていただけだから、よく事情は分からないけれど。
焼け爛れた手をぼんやりと見つめながら、この国が負ければいいのにと昏い炎が胸の奥で渦巻くのを感じていた。
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