08話.[勘弁してほしい]
寝られるわけがないと体感的に言えば一時間後ぐらいにそう思って一階に移動した。
床ではすやすやと楓が寝ていたけど、強いとしか言いようがない。
「んー……あ、千尋、楓ちゃんは……?」
「僕の部屋の床で寝てるよ」
「そっか……、じゃあ私も千尋の部屋で寝るね……」
え? と困惑している間にもとことこと上がっていく夏希。
……肉食系が多いのかもしれないと改めて思った。
夏希がそういう子であることは昔からよく知っている。
ただ、家に行ったりするのはある程度の仲じゃないとしないから彼氏さん的にはあんまり不安にならなくてよかったのかもしれないけど、流石にこれは……。
まあそれならそれで僕は客間で寝ればいい。
彼女が先程まで使っていた布団をかけると気恥ずかしいからなにもかけずに端っこの方で丸まって寝ることにした。
「くしゅっ……」
朝までぐっすりではなかったものの、なんとか普通に寝ることができた。
いまの僕にとって自分の部屋は魔境だから顔でも洗ってから朝食を作っておくことにした。
「……千尋」
「あ、おはよう、ご飯できてるよ」
「それよりどこで寝たんだ?」
「客間の隅の隅かな」
夏希を起こしに行くと怒られそうだから楓に任せることに。
こっちはソファに座ってのんびりと――はできなかった。
「千尋っ、なんで来なかったのっ」
「行けるわけがないでしょ、一緒に寝られるわけないじゃん」
「私とは何度も寝ているでしょっ」
「意味深な言い方をしないで……」
なんでって全ては自分を守るためだ。
そもそもあのままだったら徹夜になってしまっていた。
楓のせいと言っても過言ではないぐらい。
「うげっ」
「ん?」
「……いまどこにいるのかって連絡がきた」
「ほら、絶対にそうなると思っていたんだよ」
しかも彼女の言い方的に内緒でここに来ているみたいだ。
そうなったときに被害に遭うのはこちらだから勘弁してほしい。
そういう意味でも、仮に一緒にいるのだとしても適切な距離感というのを見極めなければならないわけで。
「か、帰るねっ」
「気をつけて」
「うんっ、楓ちゃんもまた会おうねっ」
「ああ、またな」
あれ? そういえば夏希から教えてもらったお店に行くとか言ってなかったっけ?
その夏希とまた一緒に行きたかっただろうに、……タイミングが悪いな。
「食べようか」
「そうだな、せっかく千尋が作ってくれたわけだし」
問題なのはご飯を食べたら空白ができてしまったことだ。
洗濯とか掃除とかをしてもとにかく余る時間をどうすればいいのか。
「初めて異性の家に泊まったんだ」
「先輩の家には?」
「泊まったことなんてない。誘われたこともないし、泊まろうとしたこともないぞ」
じゃあ今回はなんで? と聞こうとしてやめた。
そうしたい理由なんてどうでもいい、ちゃんとご両親に話してから来ているならだけど。
僕からすれば家で寂しくひとりじゃなくて済むしね。
「まるで自宅のようにゆっくりしてしまった」
「それでいいよ、落ち着ける場所だったということだし」
「千尋と夏希がいる、それだけで全く違うんだ」
そこに先輩も加わったらもっとよくなりそうだ。
なんて、言ったら怒られそうだから口にはしないけど。
「時間もあるから歩かないか?」
「いいよ、行こうか」
彼女と話すようになってからよく歩くようになった気がする。
何気に運動になるから地味にありがたかった。
この歳で部活をやっていないと学校生活だけじゃ足りなくなるのだ。
「さ、寒いな……」
「あ、手袋を持ってきたから貸してあげるよ」
「ありがとう」
制服のときと違ってズボンを履いてくれているから助かる。
視界に入るだけで寒そう……となるからだ。
冬は選択制でいいと思うけどね。
「夏希もここら辺りに住んでいたんだよな?」
「うん、保育園のときから一緒だったから」
数軒先などとすぐ近くではなかったけど距離はそんなに離れていなかった。
夏希のご両親とも話す機会は多かったし、優しかったから好きだった。
お金持ちなのかよく旅行に行ってお土産を買ってきてくれたことも何度もある。
が、いまは会うだけでも一苦労だからなにがあるのかなんて分からない感じだ。
「彼氏ができるまでは一緒にいたんだろ? 甘い雰囲気になることはなかったのか?」
「なかったな、一緒にいられた頃はとにかく毎日楽しむことにしか頭になかったから」
なんてことはないことが新鮮だった。
自分の足で少し遠くに行けたときなんかにはテンションが上がったぐらいで。
ただ、夏希がいたからだということを知ったのは高学年のときで遅かった。
堂々とではあったけど彼氏さんとも一緒にいたから自覚した頃には……ってやつだ。
「楓も先輩と一緒にいたんだよね? そういうのはなかったの?」
「先輩達の中で一番優しくしてくれたし、一番一緒にいたいと思ったのは栗田先輩だ。学校以外でも会って遊んだことは何度もある。でも、そういうのは一度も――あ」
「やっぱりあったの?」
「……もう終わった話だ」
それがよくも悪くもいまに繋がっているというわけか。
そのときにどちらかが積極的になっていれば、楓がちゃんと気づいていれば。
もしかしたら変わっていたかもしれないということになる。
「そういえばひとりで歩いたときにいいところを見つけたんだ、そこに行こう」
「うん、案内してもらおうかな」
上へ上へと移動していけば見下ろすことができるそんな場所がある。
そこに夜に行けばきらきらしていてかなりいいかもしれない。
冬だったら自分の口から出る白い息がまたいい雰囲気を醸し出してくれるかも。
でも、いまは朝だし、彼女がそこまで歩いているとは思えない。
さて、どんなところに案内してくれるのだろうか?
「ここだ」
「って、元々夏希の家だった場所か」
いまはもう空き地になってしまっているそんな寂しい場所だ。
どうしてここがいい場所なんだろう?
「この前ここで夏希が千尋の話をしてくれたんだ、昔はこんな感じだったってな」
「喧嘩してたときのことだよね? それでよく口にしようと思ったよね」
「それだけ千尋のことが大切だということだろ。彼氏はもちろん大切だが、それとこれとは別だと言いたかったんだろうな」
絶対に嫌だとまで言ってくれたか。
合わせるぐらいしかできないのに夏希はどこを気に入ってくれているんだろう。
それこそ僕といるぐらいなら彼氏さんと過ごして甘えてもらうか甘えればいいと思う。
「それなのに千尋ときたら……はぁ」
「そう言わないでよ、色々考えて行動しているんだからさ」
夏希と付き合えないということになったら次にしなければならないのは面倒くさいことに巻き込まれないようにすることだけ。
自分の彼女が昔から一緒にいる男とかなりの頻度で会っているということになったらそれはおかしくないか? と言いたくなるのが普通で。
下手をしたら夏希自身が怒られてしまう可能性だってあるんだからこちらが止めなければならなかったのだ。
それなのにあっさりと負けて、今回も泊まることを許してしまったことになる。
情けない、結局口先だけで終わってしまうことなんだからね。
「一応捨てたつもりでいるけど、元好きな子が無邪気に近づいてくるというのも気になることなんだよ」
「それはもう割り切るしかない、夏希が彼氏と別れない限りは千尋にチャンスなんかやってこないぞ」
「分かってるよ」
大丈夫、その点についてはもう片付けてある。
空き地の前で留まっていても怪しいから家に戻ることにした。
「楓はいつまでいられるの?」
「迷惑じゃなければ明日までだな」
「迷惑じゃないよ、いてくれるならありがたいよ」
両親は遅い時間に帰宅するからゆっくり話す時間もない、その点は朝も同じ。
だからこそ誰かが、楓がいてくれるのはありがたいわけで。
「夏希じゃないのにか?」
「もう、自分からいっぱい名前を出してるよ?」
「いいから答えてくれ」
「うん、昔と違って夏希と一緒にいると不安になってくるからね」
もう昔とは違うんだからこれでいい。
寂しいことなんてなにもない。
彼氏さんと楽しく仲良くできているのならそれで結構だ。
「ふぁ……」
「眠たいのか?」
「昨日、なにもかけずに寝たからね」
「馬鹿か、なにをやってるんだ」
「いや、楓のせいだからね? 一階に下りたら夏希も部屋で寝るとか言い出すしさ」
まあこちらは楓がいるからだと思うけど。
もう一組は楓が使用していたからあれしかなかったんだ。
流石にその後に堂々と寝転べるような強メンタルは持ち合わせてはいない。
……なんか変態みたいで嫌だったからそれなら風邪を引いた方がマシだった。
「眠たいなら寝ておけ、ちゃんと暖かくしてな」
「いや、別に大丈夫だ――」
「いいから寝ろ、側にいてやるから」
いや、ひとりだと怖いからじゃなくてですね……。
ああでも駄目だ、もう完全に寝かせる気が満々でいらっしゃる。
「さ、安心して寝ろ」
「はい……」
日曜日までいてくれるのならまあいいかと片付けて寝ることに集中したのだった。
「寝たか」
大体十分ぐらいが経過したタイミングで静かな寝息を立て始めた。
見ている趣味はないから部屋から出ていこうとしてやめる。
「可愛い寝顔だな」
元々格好いい見た目の人間ではないと思う。
容姿だけで言えば先輩の方が間違いなくいい。
余裕も伝わってくるから一緒にいて安心できる。
それに千尋みたいになにかに囚われているわけではないから。
でも、先輩のことをそういうつもりで意識したことはやはりない。
「もしもし?」
「あ、お店に行けなくなっちゃってごめんねっ」
「大丈夫だ、そっちこそ彼氏に怒られなかったのか?」
「千尋の家に行ってたって言ったらちょぴっと怒られちゃった」
千尋がああ言った気持ちも分かる。
彼氏がいるならもう少し気をつけるべきだ。
あと、夏希は大変なのにこっちに来すぎだと思う。
友達以上のなにかがあるんじゃないかと考えてしまうぐらいには怪しかった。
「夏希、本当は千尋のことが好きだったんじゃないのか?」
聞かれていると面倒くさいから一階に。
千尋の父母はいないからこうしていても気まずくはない。
それでも調子に乗ってはいけないから静かにソファに座らせてもらった。
「そんなことを聞いてどうするの?」
「気になっただけだ」
仮にそうでもそうでなくても影響は全くない。
「……気になっていたときはあったよ」
「そうか」
まあそりゃそうでもなければここまで来ないわな。
時間だってかかるのに毎週来ているんだから。
ここでずっと過ごしてきたからというのもあるのかもしれないが実際はそれだけではなかったということだ。
「千尋は?」
「いま寝てる、なんか布団をかけずに寝たみたいだからな」
「あー、私が部屋に行っちゃったからか、だけど面白いよね」
「なにが?」
「だって同じ部屋で寝たことぐらい何度もあるのに楓ちゃんとふたりきりはドキドキして寝られなかったってことなんだから」
それは単純に千尋が何度も言っているように仲がそれなりだからだ。
完璧に信用及び信頼をしたうえに大好きだった夏希に対するそれと同じにはできない。
「あ、自覚していなかったから千尋もそれができたのかー」
「そうだろ、自覚していたら好きな人間となんて寝られないだろ」
「じゃあ楓ちゃんは別に千尋のことが好きなわけじゃないんだね」
昨日は少しだけ意地になっているところがあった。
だって一緒にいるのに夏希のことばかり話し出すからだ。
それは前々からそうだとしてもいま一緒にいる自分を見てほしかった。
「とにかく教えてくれてありがとう」
「うん、千尋にごめんって言ってたって言っておいて」
「分かった、それじゃあな」
スマホをぽけっとにしまって部屋に戻ったら「こら」と怒られてしまった。
「全然いてくれてないじゃん、早々に出ていっちゃったよね」
「……起きていたのか」
「うん、楓の気配が消えた瞬間にね」
床に座ったら近くのところに千尋も座った。
それから「相手は夏希?」と聞いてくる。
そうだと認めたうえに先程のこともしっかり伝えておいた。
「ちょっとじゃなくてかなり怒られればよかったのにね、そうすれば気安くここに来られなくなるわけだし」
「おいおい、なんか酷くないか?」
「いまでも他のことで時間を使ってほしいって思っているからね」
私だったら元好きな人間であったとしても一緒にいたいと思うけど。
そう考えると意外と乙女なのかもしれなかった。
「それより今日は甘えてきてくれないの?」
「は、はあ? 私がいつ甘えたんだよっ」
「昨日、いい感じだったじゃん」
……昨日の私はどうかしていた。
ムキになってヤケになってあんなことを……恥ずかしい。
「じゃあ僕が甘えていい?」
「はっ? お、おいっ」
……って、それですることが手を握ることかよ。
夏希の言うように確かに千尋は情けないのかもしれない。
大胆なようで全くそうじゃない。
寧ろこちらとしては不安になるぐらいの存在だった。
「……夏希には抱きついたりしなかったのか?」
「してないよ、夏希が抱きしめてくれたことはよくあったけど」
「それって自覚していないときか?」
「うん、それより前の話だね」
ああ、千尋は弱くてわんわん泣いてそうだ。
中には女の方が強いということもあるからそういう優しさなんだと思う。
でも、気になっていたということは……。
「夏希を守っている千尋というのが想像できないな」
「はは、事実守られていたようなものだからね、それなのに好きになって……馬鹿としか言いようがないよね」
「別にそんなことはないだろ、どんな理由からであれ人を好きになれたというのはいいことだと思うけどな」
しかも迷惑をかけることなく捨てることができたんだ。
私だったら相手に彼女ができようと諦めきれずに恋したままでいそうだ。
そして雰囲気に出して嫌な感じにする。
「そっか、ありがとう」
「れ、礼なんか言うな」
「じゃあ」
ぐっ、どうしてここで抱きしめてくるんだ。
本当に大胆なのか情けないのかよく分からない人間だ。
でも、なんでかは分からないけど私はそんな千尋といたいと思っている。
「……これはかなりドキドキすることだね」
「……それなのによくできたな」
「なんでだろうね、でも、したくなったんだ」
最悪の場合は叩かれるどころか……いや、まあいいか。
私にとってこれは不快な行為ではないから。
寧ろ勝手に夏希をライバル扱いして嫉妬したこともあったぐらいだしな……。
「なんでか分からないけど私は千尋といたいんだ」
「そっか、ありがとう」
「そ、それだけか?」
外国でもあるまいしなにかがなければ抱きしめたいなんて思わない……よな?
自分でそう口にしておきながら言ってから不安になるという馬鹿なムーブを晒してしまっているわけだが……。
「正直に言うと夏希が無理だからっていうのはあると思う。でも、いまの僕は確かに楓といたいと思っているから信じてほしい。それが無理なら離れた方がいいよ、間違いなくいいことにはならないんだからね」
「私はいたいって言ってるんだ、それに夏希にまだまだ未練があるのは見ていれば分かる。それでもいまのこれだ、それなのに離れるわけがないだろ」
「うん、ありがとう」
ああもういちいち礼なんか言うな。
苛ついたから手を思い切り握っておいた。
「いたたっ、痛いよ楓っ」と言うときに涙目になっていて、それを見られただけでそのイライラもどこかに吹っ飛んでしまったのだった。
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