動物の気持ちなんて知りようもない、と私は思った。
「白猫……って、あの白猫か」
「かなあ」
噂話の様な、ごく近所で語られているその話題を私たちが知る事となったのは、我らがママがそれを会話の種として話してくれたから。食事の合間に、やや興奮気味に語っていたのを覚えている。確かママは猫好きだった。
話題とは、最近になって辺りで綺麗な白猫を見かけるようになったという物。
「むしろあの子以外に……」
少しの無言の後、やっぱりあの子しか居ないよなあ。と互いに頷く。
私たちもたまに窓越しに見かけていたし、先日の登下校にだって合った気がする。まるでお地蔵さんの様に、道端から私たちをじっと眺めていた。
見かける頻度は高い事から察するに、人慣れしている。誰かに餌でも貰っているかもしれない。
「母が言っていたが……最近と言っても、俺達は夏休み明けから見た……よな?」
「そうだ、確か見かけたかも」
最近になって頻繁に見かけるようになったのは確かだが、あの時に一度見かける事があった。多分、同じ白猫を。
「あの日の朝から……同じものを見たのか」
「ん」
恐らくこれから一生、今までで一番印象的な一日となるであろうあの日。その朝に、確か白猫を見た。
その朝の道の様子はよく覚えているから、間違いない。
互いに一人だった世界から、二人の世界へと移ったのは学校へ入ったその時より以前。遅くともあの道の途中からだったのかな。或いは互いの世界に同じ物が共通して存在していただけか……。
と話題から逸れた事を考えて、でもそこは論点ではないと考えを本筋に戻す。
「猫の生態なんか知らないけど、よくある事なのかな」
知らないとは言ったけど、縄張りとか、肉食動物とか、群れない生き物だとか、そういう事くらいは知っている。
……群れないのに猫の集会とかいう単語があるのは、何故だろう。それはつまり、群れずとも社会性がある……という解釈で良いのかな。
なんか、そういうのって妙に人間臭い気がする。勘違いかも。
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話題の猫は、通学路に居座っているから私たちも毎日顔を合わせる事になる。
最近建物のシルエットが整ってきた建築現場の近くだったり、近所の公園だったりと、出会う場所こそ違うが、出会わない日は無かった。
そして、何日か経ってから私たちは、ふと疑念を浮かべる。
「あの猫。ずっと私たちの事見てない?」
「見てるな」
ある日の朝に、普段通り猫を見つけた。やはりその白猫は私たちに目線を向けている。昨日も一昨日も、それ以前も私たちの事を見ていた気がする。
「お地蔵さんでもここまで見つめないし、するとしても少しは遠慮するよ」
「警戒されてるのか?」
「そうかなあ」
少し足を止めて、もっと近くで観察してみるけど……反応は無い。
試しに手のひらをそっと近づけても、反応は無い。
「……触るよ」
「いや、俺が。危ない」
「いやいやレディーファースト」
「ダメだ」
なんでよ。
不満気に睨んで、まあ仕方なしと手を……引かない。フェイントを掛けたその一瞬、制止が来ない隙にモフっと指先で触れてみた。
「あ」
「おっ」
意外と固い。猫は液体だって聞いてたけど、筋肉が結構しっかりしているのだろうか。
猫自体は、反応を返さない。それにホッとしてか、明一は何も言わず手を引いた。猫が私の手を受け入れているのなら、私を止める必要は無くなるから。
「怪我したらどうする……」
「どうせ嫁に貰ってもらう予定も望みも無いんだし」
「理由にならんだろ」
「あと、お互い様なんだから。互いに互いを止めてたら埒が明かない」
それも確かに道理かもしれないが。といった風に渋々と明一が納得する。
こういう会話をしている内にも、猫は相変わらず私の手を受け入れている。猫の撫で方という物は会得していないが、こういう感じが良いのだろうか。と顎の辺りを二本指で撫でてみる。
「大人しいなあ」
「他の人達が撫でたりしてたのかもしれない」
撫でられ慣れている、と言えばいいのかな。
なんて言っていたら、撫でられていた猫がフンと一息吐いて、その場から離れてしまった。
「……ニャンともミャーとも言わなかったな」
「うん」
遅刻寸前という程ギリギリに家を出てはいないから、しばらくは猫を撫でられたかもしれないけど、仕方ない。
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近所における最近の変化と言えば白猫だが、学校における最近の変化といえば、ちょっとしたハロウィンの飾りつけが廊下や教室に見られる様になった事か。
何時からあったんだろう。と周囲の様子をあまり気に掛けなかった私は思うけれど、無くなったら無くなったで直ぐに気付く事は無いかもしれない。
「それでさー」
と、教室の飾りを眺めている私の右耳から左耳へ、すうっと流れる世間話を底なしに供給し続けるのは塩原さん。以前から仕方なしと友達付き合いを続けているが、時折明一にも流れ弾が当たっている。
「うん……」
「女子バレーのとこに男子が混じってるなんて珍しいよねー」
「うん……」
「カレシなのかなぁ」
心底どうでも良い……。彼氏さんだったら勝手に二人で幸せになってくれと思う。
……そういえば、こういう状況を授業で聞いた。馬耳東風と言った筈。ああ、また国語力が向上した。
「あ、ねえ! あそこに居るのって猫じゃない?!」
と、私の耳を馬の耳にしていたら、そんな声を不意に拾った。
塩原さんも興味を惹かれたみたいで、話を切り上げて窓へ駆け寄った。
「えー! どこどこ?」
「ほら、校門の近く!」
ねこねこねこ……なんだか最近猫の話題ばかりを耳にしている気がする。
塩原さんから廊下へと避難していた明一が戻ってきた。何事だと窓際に集まる集団を見ている。
「猫が居るって」
「また?」
「また」
しばし無言。
お互いに頭を抱えて、またなのかと息を吐く。
「最近猫の話題が多いな」
「この辺りってそんな猫多かったっけ」
なんて問いかけるけど、明一から帰ってくる答えは分かり切っている。
確認の様な問いに頷くだけ頷いて、代わりの言葉がぼそりと零れる。
「ブームと言う奴か」
「猫ブーム?」
「猫ブーム」
猫は気紛れだから、直ぐに過ぎ去りそうだな。それ。
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「えー、お昼頃から正門に猫が居る様なので、見かけても変に刺激しないでください。先生からは以上です」
妙な事に、あの猫はずっとあそこにいた。一歩も動かないと言うより、正門脇の陽だまりで寛いでいた。
白猫は珍しい筈だ。親猫の遺伝で大量に白猫の子が居る、という事もあるかも知れないけど……。
「同じ奴?」
「遠目じゃ分からん」
帰宅部だし、バイトの時間には余裕がある。少しあの猫に構ってみようか。
先生にはああ言われたけど、あの猫と同じ子だったら……。
近くまで行ってみれば、予想通り。これは同じ猫だ! ……とまでは分からない。
人の顔も覚えられないのに、猫の顔を見分けられるわけがない。
ただ、私たちの事をじっと見ているっていうのは共通していた。
「……白いなあ」
「白いな」
秋の少し早い日没で、折角の日向は日陰に変わっていた。日向ぼっこする場所も見当たらないが、それでもここに居座っていたのは何故だろう。
「……私たちを追い掛けて、とか」
「知らない内にマタタビでも付けてたか?」
マタタビを服に付ける様な事はしていない筈だけど。
その可能性を抜きにするなら、やっぱり私たちが懐かれているとか。……懐かれるほどの事をした覚えはないけどさ。
「まあ、可愛いから良いか」
「ここで撫でてたら先生になにか言われそうだが」
それは嫌だな。
また撫でたいなあとか思ったりしたけど、私達のバイト先は飲食店であるというのを思い出す。
「いや、マスターに何か言われちゃうね」
「マスターが? ……ああ、なるほど」
猫の毛がこびり着いたまま働いては、不衛生だ。
撫でるのも程々に。何事も無かったかのようにバイト先へ向かった。
この日よりも後、毎朝猫と顔を合わせるようになり、それが日常となった。
日常、と言うと退屈に思えるかもしれないが、毎日猫と触れ合えるというのは結構嬉しいかもしれない。
学校まで追いかけてくる、妙な猫だけれど。
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