覚悟を決めるのなら一緒に、と俺は思った。


 しっかりせねばならぬと、俺は決意した。

 そう意気込んで二日目。俺の目から見ても分かる様に明の症状が変化した。


「おはよう」


「おは……」


 だるそうに起き上がる明だが、今朝は珍しく、明の腕から脱出する作業の必要が無かった。

 窮屈で悩ましい朝を毎日迎えるのは大変だが、無いのも無いで寂しい物である。


「ん、トイレ」


「わかった」


 無暗にあの部屋を独占する理由もない。

 我が家の便所には、母と明が使う生理用品が隠されもせず置いてある。具体的な使用方法は知らないが、用途に関しては大体察しが付く。

 女子の生理に関しては、ここ数ヶ月でよく理解できたつもりだ。



 すっかり二人分の自室として定着した部屋から出ると、すぐに美味しそうな香りが鼻に付いた。

 朝からキッチンの香りがするというのは、割と珍しい。普段は冷凍食品かレトルトで済ませている。


「おはよう。今日は……ああ。そういえばそうだったな」


「おはよー。今日はレバニラカレー炒めよ~」


 カレーとは言うが、実際にはレバニラ炒めにカレー風味の味付けをした物だ。

 妙なレシピに思えるが、明曰くこれがだという。俺が知らないというのであれば、つまりそういう事なのだろう。


「……」


「別の作る?」


「いや……大丈夫。ただ牛乳だけ貰う」


 香りは完全にカレーだから、食欲を刺激してしまう。

 最初にこれを食べた時、どれだけ驚いたか……。


「並べるのお願いねー」


「分かった。……う」


 鼻がツンとした。カレーの香りとは違う、ちょっとしたスパイスによる物だ。

 気が重い……。


「めいいちー」


「明……」


「へへー、呼んだだけ」


「まあ」


 明が戻って来た。トイレで色々済ませたのか、多少スッキリした顔……と思いきや。

 普段の明は何処に行った。とでも言いたくなるような表情だった。


 にこやかな母をよそに、何故か楽しそうに俺の名前を呼びつけた。まだ寝ぼけてるのか。

 まあ、飯でも食っている内に目も覚めるだろう。その為の味付けだ。


「それじゃ、頂きましょ」


「ああ」


「いただきまーす」



「……む」


 やはり辛い。手が震えるというほどじゃないが、舌がヒリヒリする。予めコップに満たしていた牛乳を飲み干す。


「もごもご……も?」


「辛い……」「からぁい!」


 かなり辛めのカレー風味。これから毎月に一度、食べることになる味である。



 ・

 ・

 ・



「うー、目が覚めた」


「朝に食う物では無いと思うのだが……」


「まあねえ……」


 一応、あの朝食にはちゃんとした理由がある。

 生理が重くなる日、明は寝起きが酷くなる。介護が必要なレベルではないが、トイレの部屋までフラフラと行く様子が少し心配になるくらいだ。


 そこで、目覚ましの辛口カレー風味の出番である。


「明一まで一緒のを食べる必要は無いと思うけど」


「仕事があるのに朝食を作ってくれてるんだ。苦労は掛けられない」


「ん」


 母は喜んで作ってくれているが、それでもだ。



「……それで、そろそろ寒くなってきたが」


 さっきの辛口レバニラ炒めで汗をかいてしまったが、体を冷やして体調を崩すとまずいから、タオルで拭いておいた。

 俺が心配をかけるのは、明のほうだ。


「厚着してるから大丈夫」


「んむ」


 この時期の女子は、身体を冷やすといけない……と聞いている。今までとは違って、重い時期に平日を迎えているのだから、俺も一層気に掛けてしまう。


 と、俺が幾ら心配を掛けようと、明だって16年以上は女の子をしている。自分一人でなんとでもなるのだろう。


 実際に、放っておいて大丈夫とも言われた。俺も最初の時は、明が言うのであれば、と思って特に大して気にしなかった。


「明日は我が身という話では無いけど、それでも心配だ」


「敢えていうなら昨日の我が身?」


 ついつい心配だと繰り返し言ってしまうが、この生理について調べる過程で、ある事が目に入ってしまい、明の言葉でさえ安心できなくなってしまったのだ。


 何処とは言わないが、その部位を全力で蹴られた時の苦痛よりも、女子の生理痛の方が上回るらしい。

 痛覚ではなく、苦痛である。想像するだけで悶絶するかと思った。


 つまり、ほぼ毎月蹴られるという運命を抱いているのである。何処とは言わないが。


「過激な対応だと思うけど、まあ、嬉しいよ。これ以上の心配をされると爆発するくらい」


「元同一人物にそう言われちゃ」


 俺も務めて安心しなければならない。


 ここまで心配した理由も、言ってしまった方が良いだろうか、と口が開く。

 1秒も悩む事もなく、言葉が出てきた。


「世の男が最も苦痛に感じるとされる事といえば、男の股を蹴り潰される時が一番に上がるが」


「うん?」


「生理痛の苦痛は、それを上回る……というのを知ったんだ」


「ああ」


 生理痛に対する薬は、コンビニに並んでいる程度には手に入れやすいものだが、明は必要な時にしか頼らないらしい。

 その基準とは、学校行事の有無だと聞いた。


「絶対キツい」


「そう?」


「キツい」


「そうなんだ」


 彼女は、“俺にしては”強いと思う。

 いや、思春期を迎える全世界女子と共通する運命であれば、案外簡単に受け入れられるのだろうか。


「本当によくやる……。すごいな」


「そう言ってくれるなら、耐え甲斐もあるよ」



 ・

 ・

 ・



「こういう日に限って体育なんだな……。見学するのか?」


「流石に。軽い日なら出るんだけどね」


「行けるのか……」


「ま、がんばれ。ボールに躓いてコケたら笑うからね」


 明が腹を抱えて笑った所は、実は見たことがない。

 もし本当にボールで転んで、その上顔に鼻眼鏡でも掛けてやれば、明も笑うだろうか。


 実際にそんなことをする意義は無いが。

 普通にバスケの授業をやって、それなりに汗をかいて、自販機のスポーツドリンク片手に教室へ戻るだけだ。


「それでは、今日は……」


 先生の話が始まる。今日は3対3の試合を何度かやって終わりとする様なのだが……。


「ま、やる事は前回の体育と同じ。じゃ早速遊ぶぞー!」


 先生が遊びだと称するのは如何なものか。


 日替わりで組まされるチームと合流して、左から横へと二人分の顔を確認する。

 普通なら、どちらも知らない顔だと確認さえしないのだが……。


「よろしく」


 ……知っている顔。体育祭ぐらいの頃から絡み始めた、塩原さんだ。

 何を思って俺達と関わっているのかは俺の知るところじゃないが、俺が覚えておくべき理由ではないのは確かである。


「よろしく……」


「残念だなぁ、双子と一緒のチームとか面白そうだったのにな」


 対して、覚えていない顔の男子が不満気にボールをドリブルする。……手慣れている。バスケ部だっただろうか? 


「ま、期待すんなよ」


 ボールを股に通しつつドリブルして言う事では無い。

 実際にこの男子が手練れだったとして、この試合の勝負に興味は持ってないから、期待する事は無いが。


 一定以上の点を取ったら試合終了、というルールでも無い。何をしようと五分毎の前後半で終了だ。


 ただ、勝敗に興味がないからってサボる訳にも行かない。



「パス」


 ボールを要求したり、送ったり。

 先生曰く、パスが重要らしいから、その言葉に準じて行動する。


 シュートだって、リングではなく板の模様を目掛けて投げた方が入るとも。


「うおー惜しい!」


「凄いじゃん!」


 暇があればゲームを遊ぶ様な双子だが、実は運動神経も凄い……という秘密を抱いているワケもなく。

 コツが分かってても敵チームの存在なんかがあれば上手くいかないのも当然だ。




「はあ……」


 疲れる。このコートを何往復したんだろう。

 息を整えているとコート内ではない何処かから、声が聞こえて来た。


「がんー」


 明からのやる気の無い声援だった。俺もやる気は無いし、ああも気が抜ける声が出てくるのも当然だが。

 せめて“ば”まで発音してくれないだろうか。


 ボールを取っては投げてを繰り返して、試合を終わらせる。これが終われば、次は審判役だ。



「ふぃー。お疲れメイちゃん」


「おっすお疲れ」


「おかえり」


 バスケのコートから離れ、ステージの上へ退避していた明と合流した。点数を捲る板が、ちょうどステージの目の前にあったのだ。


「ほい」


「ん」


 明に預けていたハンドタオルを貰う。


「どう?」


「絶不調とまでは」


「やっぱり強いな……」


 胡坐の方が楽な筈だが、体育座りでじっとしている。その体勢の方が楽なのか。



「……双子って言うけどさ、どっちが兄とか姉とかあるのか?」


「無いと思うよ?」


「そうなのか」


 二人で話していた俺達をよそに、ごそごそとチームの2人が話す。

 俺は別に気にしないが……。


「よし、次の試合始めるぞー。準備は良いか?」


 先生が合図を始める。

 審判役とは言え、ここで話し込む様な事は出来ない。審判、点数板、ボールを上げる担当も……。


「よし。スタート!」


「っしゃおらーぃ!」

「取ったぁー!」


 ……お。


「ちょ、何やってるの?!」


 どちらかのチームがつかみ取る筈だったボールが、何故か宙高く舞い上がった。

 どっちも取り損ねたみたいだ。最後に触れたのはこっちのチームだから、ボールスローは……。


「わー! あかりん?!」


 え? 


 何事かと後ろを振り向く。俺の後ろにはステージがあって、さっきもそこへボールが……。


 って、そこに明が! 




「っと」


 ……が、難なくキャッチしていた。


「……ナイスキャッチ。心配して損した」


「へへ、心配するだけ無駄だよ」


「良かった……」


 胸を撫でおろす。安心した。


「……ん」


 ん? 


「ズレたかも」


 ずれ……。え、何が?





「俺は何も聞かないぞ」


「これから長い付き合いだし、これくらい知っておいた方が良いと思うけど」


「……俺もそういう世話を手伝えと」


「いざと言う時はね」


 むう。反論できない。

 確かに、何かあれば俺が手を貸すべきなのは承知だが。しかし俺の感情が邪魔をする。


 これは自己中心的な葛藤だ。取り払おうと思えば、簡単だ。


「……俺もこれから月一で付き合う事になるからな」


「おばあちゃんになったら、もう手伝わなくても良いかな」


 この生理現象は、歳を取って行けば何時か終わりを迎えるが、それまで付き合わなければならない運命なのは変わりない。

 であれば、俺もその運命を背負うべきか。


 デリケートな問題だから、抵抗はあるが……。


「ん……そうだな。分かった、適当に改めて説明してくれ。思いつく限りな」


「頼りになるー」


 老いるまでだけじゃない、もしかしたら一生。或いはその半ばで不幸や病によって死別するかもしれないけれども。


「ああ、頼れ。これに関しては、今後何十年も続くんだから」

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