母と似ている所なんてない筈、と俺は思った。
「────ふぅっ」
……前方に見える二人の背中を追って、三位の位置でゴールラインを踏む。六レーンの百メートル走ならば、良くも悪くもと言った所だ。
走った後の待機列に連れていかれて、十何秒の運動を経た心臓を落ち着かせつつ、腰を下ろした。
「はーい皆さまお疲れ様です。カメラ撮りますよー。はいチーズ」
そこで待っていたのは、写真を撮って回っていた立山記者だった。
俺以外の数人がカメラに向かってポーズを取る。とても幸せそうな青春を送っている様で何よりだ。
……青春か。
明が興味を持っていると知ったならば、俺も何かやってみたくなるというものだ。
「よし、撮れましたー。ご協力ありがとうございま……まぁっ?!」
たった今までフレームに写されていた人達が、どうしたのと声を掛ける。
反応らしき反応といえば、信じられないものを視る様な目だった。目線の先は、間違いなく俺だ。
「……真顔ダブルピース」
真顔で悪かったな。
しばらく待って、種目が終わって自らも持ち場に戻って来た。
持ち場ではクラスが集まっているが、思い思いの位置を占有して、グループを形成していた。そしてその外れには、片割れが一人。
「真顔ダブルピース」
「見えていたのか」
「見逃すなんて事があると思う?」
「……まあ、無いが」
明も出るべき種目は出て、ここで退屈している状態だ。
俺の出ていた種目より前で行われたスリーポイント玉入れでは、左手で大量のボールを抱え上げて、右手で一個ずつ、近い方の籠に入れていくという、なんとも誠実な立ち回りだった。
「良い走りだったと思うよ」
「まだこれからだ。特に二百メートル」
そう言ってみると、やはり楽しくなさそうな表情をされる。
運動すると気が晴れやかになるとは言うが、生憎と俺達には当てはまらない。あの距離を全力で、ともなればよっぽどだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫。そうする為の昨日だったし」
「ん」
もうすぐ昼の休憩時間になる。俺達に関わる種目はそのあとになる。とはいえ、隣で騒ぐクラスメイトが大勢いるのでは、ゆっくりするにも落ち着かない。
寛ぐに寛げない状況と言うのは、どうも苦手だ。
しかし、しばらく経ってみれば退屈とも緊張とも取れない心境に慣れて、気晴らしに知った顔の人間を探してみたり、その様子を目で追ってみたりとしてみる。
その中でやはり目立ったのは、カメラを抱えて辺りを練り歩いている男の様子だ。旗やらボールやらの用意をやっている人々の中に交じっているのが、妙に目立つ。
「忙しそう……と言うべきか」
大人になれば、俺達はあんな風に働く……あるいはそれ以上の忙しさを受けつつ生きることになるのだろうか。
想像して、我らが母の事を思い出した。母が言う所の定時から、最速で六時半ごろに帰って来る事はあるが、稀だ。ネットでよく見かけるブラック、という程帰りが遅いわけでは無いが。
「……」
母の事を考えていたら、明が俺の顔を見ていた。
覗き込むというより、道端の街灯をぼうっと見上げる様な眼差しだったが、どちらにせよそれに気づいて少し驚いた。
「どうした」
「ずるい」
俺だけ走らない、という事に関してだろう。確かに不平を感じるのも無理はない。
双子だからって何でも同じじゃ無ければならない、という事にはならない。
「仕方ないとだけ言わせろ。……あと、その眼差しが妙に怖い」
「……向こうを眺めてるのも飽きたんだけど」
「俺ばかり見てるのも飽きるだろう」
「どうだろう。明一の顔は飽きないよ」
「む。確かに自分の顔を指さして飽きた、とは言わないか」
「うん? ……うん」
なんだか歯切れが悪いが。確かに明の言う事も最もな気がする。
ただ、飽きないと言っても限度がある。
「……何見てるの」
「え? あーいや」
ふと明が俺ではない誰かに向けた言葉を上げて、それは誰だと俺も首を回す。塩原さんが俺達を見ていた。
その他数人も見ていたのだが、俺達が目線を返すとすぐに目を逸らした。
「仲良いね、あかりん達」
「まあ、双子だし」
「いやそういう雰囲気にしては違和感がー……まいっか」
塩原さんは何かを考えるのを止めたかのように、肩を上げて諦める風な仕草で話を締めた。
「それよりもさ、メイちゃん」
「……?」
「……明一の事?」
「うん、明一だからメイちゃん」
え、俺?
「私もあかりんって呼ばれてるよ……」
はあ……。
「ぶっちゃけー、あかりんの事どう思ってるの?」
目を細めて、何処か怪し気に俺を見て来た。
冗談めかした言葉であるのは間違いないとして、一体どのような言葉を期待しているのだろう。
「明の事をどう感じているか。それを当て嵌める言葉は思いつかない。双子以外には特に」
「そう?」
「そうだ」
「ふうん」
実際にもそうだし、分かっていても教える気にはなれなかった。
しかし相手はまだ怪しいと思っている様で、探る様な目がどうにも鬱陶しい。
「まあ、良いけどね。あかりんが良いなら」
「私が?」
「うん」
何の話をしているのか、明も分かっていない様だ。
しかし塩原さんは構わず、手を振って離れてしまった。
昼の休憩を伝える放送が聞こえたからだ。
……やはり人の事は良く分からない。
・
・
・
普段飲み物を買う時でしか立ち寄らない食堂の方へ、俺達二人で一緒にやってきた。
随分な人数が使っているが、使える席が無いわけでもない。臨時で増設された長机があちらこちらに見える。
そこで見覚えのある姿を探して、そして見つける。大の大人が肩から手首までピッチリ伸ばして、広げた手を大きく振っている。
あれは我らが母だ。人前でああいう態度なのは恥ずかしい。
「まあ覚悟してたけど……」
そこへ更に覚悟を重ねて、対面する椅子に腰を落ち着かせる。
「見てたわ! 可愛いお友達ねえ!!」
叫ぶな母よ、耳に穴が開く。
机を挟んで約一メートルと言う距離でも、その声で十分な攻撃力を発揮できるのが、我らが母である。
「落ち着いてよママ、うるさい」
「そうだ」
横に居る母の友人、カフェのマスターさんも苦笑いしている。彼は母の友人だと聞くが……恐らく、強引に連れられてきたのだろう。そういう佇まいだ。
「マスターもお疲れ様です」
「ここでは立……じゃなくて、長也って呼んでくれるか? あと敬語も。今はママさんのお友達、だろ?」
ふむん、たしかに事情を知らない者が、マスターという呼び方を聞きつけたら大変なことになる。ご主人様とか言っていたらもっと大変だ。
「分かった」
「聞いてよー! 立山君ったら、一緒に行こうって提案しても頑なに断るのよ!」
「苦言を言うなら俺も……ってオイ! 苗字言っちまったらお終いじゃねーか!」
「?」
やはり母が彼をこの場に連れ込んだらしい。仲良しとはこういう事なのだろう、と参考にするべきではない。
我らが母は良い反面教師である。その成果は並の母親を超えるかもしれない。
ただ、それとは別に……。
「立山……さん、ですか」
「あー、しかもアイツの事知ってんのか。……なんも言うなよ。弟に俺が来てるって知られたら厄介だからな。本気で」
……っていう事は、この人は立山記者の兄、という事だろうか?
いや、そうしたら……うん? という事は、我らが母の友人と言うのは、彼の兄にあたる、近い世代なのか?
まあ、別にいいか。
「ね、ね、どうやって立山君と友達になったのか知りたい?」
「だから、ここでは長也って呼べ。聞かれたら面倒だからな」
「えー?」
気になっていたのに気付いたのか、キャッキャとそう尋ねて来た。別に俺達にその事を知る気は無いが、不思議には思う。
ママ友の子供だった、という事ならば成程と言えるのだが。
「……とりあえず、昼を貰いたいのだが」
「もっちろーん! はい、どーぞ」
「アンタと居ると滅茶苦茶疲れる……。今日は俺も持って来たぞ。ほい、この前のカボチャスープ」
「ありがとうございます」
「身体は疲れてるだろうし、あっさり目だぜ」
それは助かる。水分を求める身体でトロトロシチューは、美味しいかもしれないが、少し厳しい。
まず一口飲んでみると、確かに薄味で前よりサラサラとしていたが、甘味は据え置きだった。
「美味しいです」
「母より気が回るんですね」
「まあアイツよりかはな」
「ちょっとー!」
母に不満は無いが、それはそれとして料理のレパートリーは少ない。美味しければそれでよい、という食事への価値観が俺達双子にある中、マスター……長也の賄いは新鮮だ。
店に出している物というのもあるが、行きつけの外食先とも違う味付けが俺達の食生活を刺激する。
「お弁当も頂くね。これ?」
「あ、うん。ええと、中はミートボールとかシャケとか入れてるわよ。あと出汁巻き卵も!」
母が持って来た弁当に手が届く所に居た明が二つとも取って、片方を彼女から受け取る。
「何時もありがとう、ママ」
「うん、ありがとう」
「ええ! ……ええ?! 初めてお礼言われた?!」
「人の前だからな」
「外向けの顔だった?!」
「そうそう、今年は何かあっても飛び込まないでね。絶対とは言わないけどね? でも恥ずかしいから……」
「もう飛び込まないわよー!」
「本当か?」「本当に?」
「んもう!」
「親が面白いと子供も面白いんだな……」
騒ぎ立てる母を横目に、長也さんがそう独り言ちた。
彼からすると俺達は面白いらしい。納得いかない。
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