そういう所で心が通じるのは嫌だと、私は思った。
「はっ、はっ、はっ」
思考が過る余地も無く、足が回る。顔面に受ける風が妙に冷たい。顔に汗が滲んでいるからだろう。
「はっ。……く」
ゴールラインが目前に迫る。けれど距離は分からない、故に走り続ける。
例えメートルの数字で距離を示されたって、今の私には分からないだろうけど……。
「ゴール!」
「だあっ!」
「はい、お疲れ様。ほら」
「ん、んく……はあ。どうも」
既に蓋の空けられたペットボトルを受け取って、直ぐに中身を喉に流し込む。
甘いスポーツドリンクの味が舌にこびり付く前に、大分飲み込んでしまった。
「どうだ?」
「んあー。頭回んないや、特に後半。ペース考えるのやっとかも」
「普通はそれで十分だろうな。例え他の者が前に出ても、ペースを呑まれない様にするのが一番だが……」
「それは自信ない。引っ張られるかも」
「まあ、それで負けたら負けだな。それを解決させる時間は無い」
「んー……」
不満は残るが、確かにそうだ。二百メートルの感覚が分かればそれで良い。
さっきので三回目だ。もう十分だろう。筋肉痛になっても困る。
「じゃ、帰ろう。そうだ。マッサージしてよ」
「一人でストレッチ出来るんじゃないか? それに俺はマッサージの仕方なんて知らん」
「えー」
残念。という風に頬を膨らましてみた。
冗談めいた言葉は撤回しないまま、ペットボトルだけ返した。蓋は明一が持っているから私では閉じれない。
「覚えておいたら? 合法的に触れるチャンスだよ」
「触れるどころか、普段から覆い包まれているが。最近遠慮無くなってるだろ」
「何の事か知らんなあ」
「起きるたびに引き剥がす俺の身にもなれ……」
ぷいと横を向いて知らんふり。
それでも横目に明一の顔を見てみるが、私に刺さる目線が痛い痛い。
「そういえばさ」
「話題の先延ばしか。良いだろう」
「塩原と立山記者って、どんな関係なんだろう」
何か違う話題、と考えてまず出て来たのが、この二人の事だ。
あの後は慣れちゃったから、どんな顛末だったのかが分からない。知ろうという気が起きる程じゃないけど、放っておいたら、彼らの事情に私達が巻き込まれる気がする。
「……気になるのも仕方ないな。では聞いてみるか」
「ん、まあそれが一番早いか」
メッセージアプリを開く。塩原さんとの事情に私達は巻き込まれないかの確認だ。
明一が私達の懸念をそのまま文にして送る。数秒待ってみたら、既読が付いた。
『心配しなくとも貴方達の平穏を脅かすようなことはしませんよ。代走の事以外に頼むような事はありません』
それは良かった。塩原さんから代走の事も聞いていた様だが、まあ良いか。
『他人に興味が無いのは分かっていましたけど、実害を気にするのは流石に重症と言わざるを得ませんね』
『まあ良いでしょう。二百メートル走、応援していますよ。写真もバリバリ取るので』
『頼みます。俺達の母は特に欲しがると思いますので』
『どこの母も似たようなものですよ』
そういう物なのかなあ。……って、なんか寒いような。
「ん……うぉっ。ぶるって来た」
「どうした?」
「汗が冷えてきたかな。ジャージ返して」
「分かった」
後ろを向いて、伸ばした右手にジャージの袖を通してもらう。もう片方の袖は自分で通す。
……着替えを手伝わせて貰ったの、今回で初めてかもしれない。普段は明一が部屋を出ているから機会は無かったのだけど。
「ふう、あったか……」
「召使いだー!」
「はい?」
声変わり前の言葉が聞こえて来て、振り返る。子供が居た。小さい。私達に指さして何か言っていた。
「え、召使い?」
「あ、ちょ」
「めしつかいー」
「待ってー!」
何か反論する前に、子供は走り去っていった。その後から、数人の子供も追いかける様に通り過ぎた。
子供の無邪気だから、何か言う気は無いけど……。
「……まあ良いか」
追いかけて何かするわけでも無いし。
「じゃ、帰ろう」
「畏まりました、お嬢様」
「……」
明一が召使いねえ……。なんか、微妙に似合わない役回りだな。
「無言は止めないか」
・
・
・
「疲れた。揉んで」
やっぱり疲れたわ。家に帰るまでの道、足が重いのが気になった。
普段は体育の後は授業と言う時間があったから、少しはマシだったのかもしれない。
「という事で、揉んで」
「寝ていればいいだろう」
「明日に響いたらキツいし」
「……無理だ。方法も知らない。それと言い方を考えろ」
いくら私でも胸を揉めとは言わないのだけど。
それとも尻でも揉む気だろうか。確かに走ってれば、太ももの辺りとかが疲れてくるが。
「んー」
「諦めてゲームでもしてるんだな」
「……仕方ない」
ベッドに転がりながら、アプリを起動させる。
ログインボーナスとかイベントとか何やら煩いけれど、連打してさっさと試合開始のボタンを押す。
その間にイヤホンでも……。あ、上着の中だ。
「ねえ」
「イヤホンだろ」
「っと、あいがと」
雑に投げられたイヤホンを雑に側頭部で受け止めて、携帯に接続する。
「明一も分隊入ってよー」
「先にアンタが脱ぎ捨てた上着を洗濯機に入れてくる。その体操着もちゃんと着替えろよ」
「……うん」
確かに体操着のままベッドに潜るのは拙いかもしれない。砂埃はあまり無かったけど、汗もたっぷり付いてたし。外歩いてる内に乾いたとは言え。
……うん、やっぱ脱いでしまおう。
ベッドから立ち上がって、さっさと体操着を脱ぐ。うげ、下着の方は結構濡れてる。
下着も替えちゃうか。部屋用の方が楽だし。
で、パジャマはどこ行った?
そういえば朝、面倒になって適当な所に脱ぎ捨てた様な……。
確か……そうそう、朝着替えた時はベッドの上に──
「明、体操着の方は」
「ばっ」
「ば?」
あ……あっぶな! 下着見られるところだった!
咄嗟に毛布を被ってしまった。けど……大丈夫? バレてない?
「……どうした、明」
「な、なんでもない。体操着はそこに置いてる。二度手間で悪いけど」
「問題ない、これも洗濯機に入れよう」
「うん。よろしく」
そして、明一が扉を閉めるのを静かに待つ。
がちゃ、とドアノブが元の位置に戻る音が聞こえて、ふう、と息を吐いた。
念のため毛布に包まったまま振り返って、きちんと閉まっている事を目でも確認する。戸締りヨシ。
「……~~ふぅっ、危機一髪」
とにかく着替えないと。
パジャマは、ベッドと壁の間にある隙間に入りかけていた。あんまりにも適当な脱ぎ捨て方で、朝の私は一体どうしたのだと問いかけたくなった。
とにかく引っ張り出して、着る
ボタンを掛け間違える事も無く、無事にパジャマに着替え終わった。焦りのあまり、妙にはだけていたり……とかはしてない。ちゃんと着れている。
妙に心臓の音が煩い気がするけど。
「……」
さっきの……見られてたらどうなってたんだろう。
いや、普通に明一の顔が赤くなって、普段みたいに逃げられていたと思う。
なんだかんだで、水着以上の露出度で明一の前に出た事は無かったし。
でもやっぱり気になる。様な気がする。……私に露出狂の気は無いってのに。
「はー……」
心を落ち着かせる為の吐息。
アプリの画面を見れば、既にゲームは開始されていた。
……今の状態じゃ絶対集中できないな。
……流石、双子って感じだ。明一の気にしすぎるところが、私にも移ってしまったかもしれない。
「戻ったぞ」
「お帰り」
「ん、なんだ。ゲームは止めたのか」
「止めた」
「そうか」
多分明一の所為だ。ていうか絶対明一の所為だ。
明一が気にしているから、私まで気にする様になってしまった。誰が悪いかと言えば、明一が悪いのだ。
「……目の前のバカの所為で」
「なんで俺がバカと呼ばれなければならないんだ」
「むん」
「……むんと言われても」
「じゃあマッサージ。マッサージしてくれたらいーなー」
「それは……むう」
「ほら明一も、むうって」
これ見よがしにニヤニヤと笑ってやった。
私が心の平穏を取り戻すまで、精々慌てるのだな。
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