どうせなら2人で走りたいと、俺は思った
何やら教室の様子が妙に落ち着いている。
翌日の朝、何時もの様に教室に入ると、感情に疎い自分でも雰囲気の変化に感付いた。
というのも、聞き慣れた喧噪が今朝に限って聞こえてこないのだ。若々しい体力を、華やかな青春と言う物に投資している筈の同級生の一部が、机を囲んで話し合っている。
そんな雰囲気だったから、入室するために引き戸を開いただけで注目を集めてしまった。勿論俺達に否など無く、その注目もすぐ散っていった。
「……」
「……」
とりあえず無視を決め込んだ。声を掛けられないという事なら、俺達に関係ある訳では無さそうだ。
席に着く俺達を咎める者も居ないが、一層と雰囲気が固いグループが話し合う声が聞こえてくる。何時ものガヤも無いから、その話はよく聞こえた。
何やら、体育祭の種目で欠番が出たらしい。代走者の候補となる人の名前が幾らか挙げられている。女子の名前だけ挙がっているが。
「────玉川明に頼んでもらうのは……どう思う?」
人の本能というのだろうか。自らの名前を呼ばれると、脊髄反射で意識がそちらに向く。最も、その名前は俺の名前ではなく、もう一方の片割れなのだが……。
どちらにしろ、その名前が出ては無関係で居られなかった。
・
・
・
「すまない、玉川。二百メートルに出てくれないか? 塩原がケガしたんだ」
「あの人が? ……考える。あ、返事は何時まで?」
「当日の朝まで。欠番のままでも本番は出来るが……、返事してくれるならなるはやで頼む」
「分かった……」
このクラスの体育祭実行委員だったか。その人が明に声を掛けた。他にも候補が挙がっていた筈だったが、誘われたのは一人だけだった。
事情は兎も角、明が二百メートルか……。体力が持つだろうか、と一人考えてみるが、俺と同程度或いはそれ以下と想定すると厳しいものがある。
「大丈夫なのか?」
明の所まで行って、話しかける。返答を待たずとも、厳しいという答えが顔から伝わって来た。
「百メートル前提で練習してたし、持久力なんて元から自信無し。けど……」
「……確かに、クラス全体で考慮すると明はマシな方だ」
「ん」
一応、一年と半分はこのクラスメンバーと一緒に授業を受けている。どの人が運動神経が良いとか、悪いとかは、流石にある程度把握している。
部活動の所属まではぼんやりとしか分からないが、このクラスの女子に運動部はあまり居なかった筈だ。
「……走りたいか走りたくないかで言えば」
「嫌だ」
「即答か。確かに疲れるしな」
「それもある」
でも、語気の強さはそれほどでもない。重ねて頼まれたら走るだろう。
ぶっつけ本番で二百メートルを走るのも怪我の可能性があるし、練習でこの距離に慣らす必要もあるだろう。返事は当日朝までと言っていたが、こちらの都合を考慮するなら早い方が良い。
「今の内に断っておくか?」
「まあそうなんだけど。……うーん」
「……ふむ?」
「……青春の真似事くらいは、した方が良いのかな、と思ってしまって」
なんと。俺らしくない言葉が出て来た。いや、俺ではないのだが、俺に近い人間にしては意外だった。
「そういうのに興味が無いなら別にしなくて良いだろうが……」
俺達みたいな人間にとっては未知の事柄だ。その上、これに対して好奇心も興味も抱いてこなかった。だが、明の口からそんな言葉が出て来たのなら……。
「どうせやるなら、俺も手伝わせてくれ」
「ありがとう。じゃあ、ちょっとやってみるかな」
・
・
・
返事は直ぐに出来た。話を持ちかけて来た人はまだ教室を離れていなかった。
となれば、問題は本番の時の事だ。
所詮は二百メートル。されど二百メートル。単純に走るだけでは息切れしてしまうから、常に全力では居られない。
それが出来てしまうスタミナお化けは居るかもしれないが、普通はスタミナを管理しつつ走る。
スタミナを伸ばす練習時間は無い。リハーサルは済んで、今日の午後に設備や装飾の最終調整が行われて、明日にはもう本番だ。
そこで、ペースを覚える事に専念する事が決まった。ペース配分だけでタイムは改善されるだろうし、無理な走りでケガする可能性も低くなる。
疲労を明日に残しては元も子もないから、そう何度も走れないが。
しかも練習時間がどうしても少ない。残念ながら体育祭の練習に利用できる体育授業が無いのだ。放課後になっても校庭は立ち入ることができない。白線が綺麗に引かれた校庭を踏み散らかす事は事前に断られている。
「校庭は使えないから……あの公園かな」
「あそこなら十分広いし、良いな」
「決まり」
さて、それが決まればあとはお仕事である。
一応、帰宅部にも設備や装飾の手伝いはあるっちゃある。が、昼休み上がりから始めたら二時間しないくらいに終わると聞いている。それも終われば、数時間は練習するくらいの時間が残っている。
「じゃあまずは手伝いを」
「うん、行こう。……って」
「……ども」
廊下に出ようとして、丁度その出口で人と鉢合わせる。
「……え、居たの」
「居ましたー」
……塩原さんだ。
今日は休みなのでは、と思っていたのだが、右足首を中心に包帯で巻かれている。靴もローファーじゃない。病院に寄って、それから学校に来たのだろう。片手の松葉杖が目を引いた。
「ケガって聞いたけど」
「骨がちょっと……なんて言う名前なんだっけ? まあちょっとヒビが入ってるんだってさ。踏み出しで骨がやられちゃったみたい」
「ヒビ」
「それはとにかくさ! お手伝いなんだよね? 付いて行って良いかな」
……と言われても。
帰宅部を集めてのお手伝いという事になっているから、難しい。この人は少なくとも帰宅部では無い筈だ。
「そっちの方は無いの? 手伝い」
「足の悪い方はお断りだって」
「……俺達は詳細を聞いてないから、足を使わない仕事かは知らない」
それに勝手にケガ人を参加させていい物か。そう考えるとこっちで断っておいた方が良い。
「そもそも、帰って良いと言われてるんじゃないのか? 引き留めている訳じゃないんだろう」
「そうだけどー……」
頼まれたからって、聞き入れる必要も無い。そもそも病院からも運動は控える様に言われている筈だ。聞いてもいないが、足周りの骨をやったのならば絶対にそう言われるだろう。
「さあ行った行った」
「ケガ人はお呼びでないという事で、さよなら」
「ちょっとー」
明らかに不満気、だが私たちは無視して用事のある方へ向かおうとする。関係ないし、あえて関わる事ではない。
確か図書室前に集まるように言われていたな。
「……塩原さん」
「うん? あ、立山さん」
歩き出した所で立山記者と鉢合わせた、が、俺達に話しかける様子が無い。これ幸いと、そのまま通り過ぎてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます