一人じゃ何も出来ないなと、私は思った。

「ああ、塩原って言う名前だ」


「いきなりどうした、明」


「体育限定で絡んでくる女子。今思い出した」


「……あの女子か」


 指では差さないが、今丁度走り出す所だ。二百メートルのトラックに立ち、スタートの姿勢をとっている。

 二百メートル。馴染み深い百メートルの二倍、と考えると、全力で走るだけでは持たない距離だとすぐ分かる。


「あの子、体力あったっけ」


「知らないが」


「……確か無かった筈」


「そうか」


 心配するほどの仲じゃない。しかし不審に思った。他の出走者は運動部所属の中でも自信のある人──という印象にすぎないが──ばかりで、肉体なんかも引き締まった人が多い。

 出走者は男女混合、しかし同時に出走するのは同性同士でのみだ。そう大きな心配をするほどではないだろうけど……。


「……まあ、いいか」


 しばらくして、次の種目に参加する者が呼ばれる。スリーポイント玉入れとかいう、既存の物にちょっと手心を加えたようなルールの種目だ。

 これには私も出ることになっている。


「行ってらっしゃい」


「うん」


 怪我の出る様な物でも無いし、気楽にやっていこう。



 同じ種目に出るのであろう数人くらいのグループの後ろをのんびり歩いていると、各所で写真を撮っている筈の立山記者が見えた。

 一体何を気にしているのか、200メートル走をやっている向こう側を凝視している。写真を撮っている、という風には見えない。カメラを構える所か、手放しでスリングに垂らしていた。空いた両手は胸の前で組んでいる。


 と言っても不思議に思おうが興味までは持たないのが私たちだ。常人なら興味を持って声を掛けるだろうが、生憎と私は歩くので忙しい。


「あ、玉川さん」


 が、気付かれて声を掛けられてしまった。


「何? 歩くので忙しいんだけど。……ですけど」


「言いませんでしたっけ、敬語は要りませんよ。あとツッコミがお望みならまたの機会でお願いします」


「うん」


 ツッコミが欲しくて言った訳じゃないのだけど、確かに歩くので忙しいとは言わない。


「それよりも聞きたい事があるんですが、塩原さんの事は知ってます?」


「名前は知ってる」


「なるほど、そのレベルですか」


 それだけ聞いて、トラックの方をまた見た。丁度女子の六人が出走したところである。塩原という女子は走り終えて、順位別の列に並んで腰を下ろしている筈だ。


「私の知っている限りじゃ、ああいうのに出る程運動は得意じゃないんですよね」


「へえ」


 興味ない、というのを隠さない様な返答が口から出て来た。初めて知った事ではないが、知って役に立つ様な事とは思えない。


「……話す相手が悪すぎましたね。次の種目の準備に向かっていたんですよね? 時間には余裕がありますが、寄り道しないで向かってあげてください。遅れて来た参加者一人と入れ違いになった整理員が、クラスのところまで行って徒労に終わったり……なんてのは一回で十分なので」


 一回あったのね。


「二度目があったら可愛そうなので、今のうちに待機しておいてください」


「どうも」


「それでは」


 気遣いの回る記者さんだ。

 ただ、私は何も言われなくとも基本的には規則に従う様な従順ないち市民だ。不文律とか暗黙の了解とか常識とかマナーとかが良く分かってないだけで。


「全く。私達は無礼者なんかじゃないってのに」


「……」


 ……隣からの賛同するような言葉は無い。そういえば今一人だったわ。



 ・

 ・

 ・



 スリーポイント玉入れとやらは、つつがなく終わった。敵陣に置かれた二つ目のカゴにボールを入れれば3点というルールで、外せばそのまま敵が使える玉になる。

 なんてルールは加えられてはいるが、基本的な所は変わらない。チーム戦とは名ばかりの、各人の投擲精度まかせの個人戦だから、かなり楽。とても楽。

 他人と距離を置くのも得意だから、互いにぶつかる心配もない。一つ二つ投げて終わりの短縮時間であるのだし。



「おかえり」


「寂しかった」


「澄ました顔で言われても」


 隣に腰を下ろす。落ち着いた。

 やはり運動しているよりも、こうしてじっとしている方が好きだ。


「やっほー、玉川……たち? 玉川双子って言うのも語呂悪いし……」


 欲を言うなら第三者が存在しない状態でじっとしていたい。だらけたかった。

 恨めしそうな目線で返しそうになるのを我慢して、塩原さんの声に振り返る。


「どうしたの」


「そうそう! 200メートルが終わったら暇だし、お話したかったんだー。明一ともね」


「俺か」


「なんだかんだ明としか話さなかったから」


 ……そういえば、塩原は私達が不快になる様な質問はしてこないな。いや、夏休み明けのあの騒ぎがあくまでの例外だったのだろうけど。

 若々しくバカっぽい所は垣間見えても、基本的なマナーは備えているらしい。こんな言い方をすると私達が年上みたいで変なのだけど……。


「どっちと話しても変わらないと思うが」


「それって双子自慢?」


 さっきの言葉がどうやって双子自慢になるのだろう。無言でハテナを浮かべた。


「わー、自覚無いヤツだ」


 どういう意味だ、解せない。といった風に思っていると、アナウンスが校庭中に響く。伝えられる種目名は、騎馬戦。終盤の目玉、男子全員参加の種目である。

 しかし今回は準備から終了までの段取りを予習するのみ。実戦は抜きで終了の予定だ。


「っしゃ、行くぞ男どもー!」


「ウォー!」


「……」


 実戦はないというのに、男子達は沸いている。当然明一は遠い目をしている。わかる。


「ありゃ、早速行っちゃうのか。……まあまあ程々にがんばりなよー!」


「聞こえたか男どもー! 女子の声援だぞ!」


「ウォー!」


 よく見れば、音頭を取っていたのは応援団長とかいう騒がしい役の一人であった。無駄に声を張られると私の耳が遠くなってしまう。


「テンション高いなー、男子達。移動練習だけなのに」


「はあ……行ってくる」


「行ってらっしゃい」


「そしてこの双子の温度差よ。窓が真っ白になるくらいの温度差」


「……」


「虚無かよっ!」


 ……もしかしなくても、まさか暇つぶしに私に付き纏うつもりなのだろうか。

 まあ、別に良いのだけれど。私たちは寛容だ。誇るものじゃないけど。



「……ああ、そういえば」


「え? 何々、あかりん」


 ……え、それってあだ名? まあ、とにかく。

 ふと思いついた疑問を、目の前に手軽な質問相手がいるのを良い事に、投げかける。


「周りの人は、落ち着いてる?」


「うん? ……うん??」


「えっと、つまり……。夏休み明け、騒がしかったよね。私たちの事で。興味が覚めてない人とか、残ってるの?」


 思考をこねくり回して、伝わる文章を練り上げる。反応を伺っていると、うーん、とうなりながら考え始める。


「……大丈夫だと思うよ? 皆あの新聞記事で気を遣う様になったし、そうしているうちに興味も落ち着いてきた感じ」


「そうなんだ」


「うん」


「……」


「……」


「あっ、そこで会話締めるのね」


 他に話題があるわけじゃない。ちょっと質問したかっただけなの……。


 向こうでは、騎手抜きで騎馬戦の形を取って、開始位置に付いている。先生が持つピストルの合図で開始、一発響く。そして後に、すぐ二発の合図が響いて、終了となる。

 そうしない内に明一も戻ってくるだろう。


「そういえば小耳に聞いた話なんだけど、立山さんに頼んでアレ書いてもらったの?」


「……どちらかと言うと、向こうからの提案」


「へえ、そうだったんだ。意外、でも無いかな。玉川たちって、自分から行動したりしないもんね」


「まあ。……座らないの?」


 周囲の女子達は体操服だ。砂埃を気にする格好でもないし、皆座っている。すぐ横にいる塩原を覗いてだが。

 立っていなければならない理由も無いだろう。まさか痔でもあるまい。


「んー。じゃあ、ちょっと隣に……んっ」


「?」


「……しょ」


 不自然な重心移動の様に見えたが、私の隣に座って来た。……まあ、座ってと提案したのは私なのだけれど。しかし隣にとは言っていない。



「……立山さんって言えばさ」


「ん?」


「どうして立山さんが嫌われてるのかって、知ってる?」


「……嫌われてる?」


「あ、初耳なのね」


 初耳だなぁ。

 具体的に誰に嫌われているのだろうか、あるいは彼のクラス全体からだろうか。もしかしたら学校全体から嫌われている可能性もある。

 と考えてから、彼の新聞が割と好まれているという事実から、学校全体から嫌われているという可能性は除外される。

 検討と否定は考察において重要だ。消去法とも言うけれど。


「確かに私も意外だったかなって思うな。あんなに面白い記事を書けるのは、すごいなあって思うし」


「どんな人に嫌われてるの」


「二年生の二割くらいかな。正確には、立山さんの同中の人達ね。因みに私も同中の後輩」


「はあ」


 同中。つまり同じ中学校から進学した者たちだ。

 その中学校で何かがあったという事なのだろう。へえ、なるほど。でもやっぱり興味が沸かない。


 興味がないのに、他人のエピソードを聞く必要はあるのだろうか。事情を他人に明かされるのを不快に思うのは普通だ。

 良く知らない相手が自分の事を深く知っている事には慣れているから、私に関しては別に良いけど。


 ただ、これから関わるであろう相手の事を知る必要はあるのかもしれない。


「あ、因みに私は当事者じゃないよ。聞いただけ」


「うん」


「私が知ってるのは、少なくとも私が中学校に出る時からは嫌われてるって事と、その理由が分からないって事」


「うん?」


「質問してもはぐらかされるからさー」


「うん……」


 肝心の理由が分からないのにその話を投げかけたの……。


「まあ、あからさまに嫌っているって様子でもないしね。私が見える限りじゃ嫌われてるなんて思えないし」


「うん」


「ただまあ、解せないかな」


「そう」


 ……興味が無さ過ぎて相槌しか打てない。興味の無い話に対して、気の利いた返答や会話をする技術は持ち合わせていない。

 早く明一が戻ってこないかな。明一も興味は無いだろうけど、もう少しマトモな会話が出来る筈なんだ。


「……」



「お、戻ってくる」


「!」


 ぱっと顔を上げる。ぞろぞろと戻ってくる集団の中に、明一の顔を見つけた。


「分かりやす。あかりんって可愛いよね」


「え、何?」


「んーん。なんでもなーい」

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