カフェって結構割高だよね、と私は思った。
私たちのバイトは、木曜と日曜が定休日として定められている。
定休日が存在するバイトとは何なのだ。と言う心情が私たちの中に無いわけでも無いのだけど、店主が方針として決定しているから、下っ端二人は黙って従っている所である。
そして本日は木曜日。なにか特殊な事情があれば話は変わるが、それも無ければ自宅へ一直線だ。
「止まないなあ」
むしろ雨は強く重くなっていく一方。私たちの頭上に一体どれほど分厚い雲があるのだろうと、気になってしまう。
天気予報は見ていたが、前線やら気圧やらの情報も含まれる方の予報図は見ていないから、ここまでとは思いもしなかった。これでも並の台風を超える雨量になるのではなかろうか。
「ざーざーあめ」
「語彙力」
「雨量100mmは越すでしょうねえ」
「お天気お姉さんか」
「天気予報士って儲かるのかな」
「スーパーコンピューターに仕事取られてる印象だが」
「じゃあ良いや」
脳死で会話してしまった。閑話休題。
「あのカフェ、一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫なんだろうね。私たちが来る前の様子は知らないけど」
と言って思い浮かぶのは、私たちがよくシフトとして入れられる時間帯の夕方に発生する、所謂修羅場と言う奴である。
個人経営とはいえ、それを理由にお客を長く待たせては機嫌を損なう為、どんなにオーダーが重なろうとこなさなければならない。
曰く、新メニューを追加した日にはもう大変だと。普段飲み物だけを飲んで行くような人もそれらを注文するから、相応の作り置きや仕込み、そして覚悟が要るとの事。
それを抜きにしても、夕方の人の多さには参ってしまう。あれを一人で捌いてたの? すごいな店主。と思ってしまう程だ。
しかし私たちがカフェの制服に着替えた途端、お皿洗いにばかり徹するから、彼の手腕を拝見することは今までなかった。
「……」
バイト先のカフェに、たまには客として来ても良いだろう。
無言の内に頷き合って、目的地を変えてまた歩き出す。何処に行くかなんてのは言うまでもない。
・
・
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仕事でもないのに訪れたカフェは、なんだか違って見える気がする。いらっしゃいませ、という言葉を待たずに席に着いた私は、ぼんやりとそう思った。
因みに明一は、足に張り付くズボンの裾に、気持ち悪いという気分を隠さず座っている。
「店主の出すコーヒーって、飲んだことあったっけ」
「……そういえば、教えられるばかりで、お手本を飲ませてくれる事はなかったな」
手順やコツ、抑えるポイントを全てこなせば同じ味は出せるだろう。一部の目敏いお客からは味が違うと気付かれているが、それでも美味しいとは言ってくれている。
改めて言われてみると、元の味を知らないという現状は変な気がする。
という事なら、一度は飲んでみるべきだろう。
「すいませーん」
「ああ、いらっしゃいませ! ほっぽっちゃってすいませ……双子?」
カウンター裏の扉から顔を出した店主が、私たちの顔を見て固まる。
「コーヒー二つお願いします。角砂糖を一つ程入れて」
「いやいやなんで居るんだ玉川くん?」
横に玉川ちゃんも居ますよ。
「大雨を浴びてしまったので、温かいものでもと」
まあ大雨を浴びたのは昼間の話で、今はその三時間後ぐらいになっちゃってるんだけど。でも便宜上の理由としては相応じゃないかと。
ジャージ姿というのもあって、明一が語った理由で納得した店主さんだが、一向にオーダーの用意をしてくれない。
「うちのバイト代でコーヒー代払われると思うと、妙な気分になるんだが」
それは考えすぎだろうと思う。
「バイトしてるからって優遇しないかんな? ……ま、ちょっと待ってろ、適正価格で出してやんぜ」
「ありがとうございます」
「おうおう。あ、手伝おうとか言われても困るだけだからな。お前らの制服を洗濯して、今干したばっかなんだ」
バイト用の制服は基本的にここに預けており、洗濯やアイロン掛けは任せている。ママの手伝いでそういった家事は一応出来るんだけど、上が決めた通りに従った方が良いだろうと思っている。
店主がカウンター裏で作業に取り掛かって、私たちもこれ幸いと彼の手元をじっと見つめる。
「……」
「……」
私たちがやっていることと変わりない。飽きた。正確なタイムを計ってみれば収穫はありそうだけど。
「めっちゃ見るじゃん。って、思ったらいつの間にか携帯弄ってら……」
「どうしましたか?」
「なんでも……。そういえば、どうして濡れたんだ? 傘立ても一本しか入ってないし」
店主が僅かな手隙に、入り口横に置いてある傘立てを一瞥する。
「片方は他の人に貸しました」
「貸しただって?!」
「貸しました」
「あの傍若無人の双子が?!」
割と失礼なこと言ってると思う。
私だって、少なくとも多少の礼儀は意識する。意識したとて無礼を働かない保証はないが。
「なんつうか、意外だ」
なんというか、心外だ。
「そんなに人に迷惑掛ける感じに見えます?」
「これでも一般常識は持っているつもりなんですが」
「人の名前覚えない人が一般常識とか言ったってなあ……」
……だって覚えられないんだもの。
「二人揃って目を逸らしちゃってまあ」
痛い指摘を受けてしまって、二人で目線を横に逸らした。
いや、名前に対する記憶力は怪しいのは確かだが、顔は結構覚えている。その間で線が繋がっていないだけで。
それを人々が、名前を覚えていないと解釈しているのだ。……うん、そう解釈されて当然だと思う。
指を揉んで精神の安定を図っていると、横からぐいと腕が割り込んできて、コーヒーカップが二つ置かれた。注文ができたらしい。
「どうも……」「どうも……」
「なんだ、妙にローテンションなハモリだな。別に覚えろーとか、そんな事言う気は無いぜ? 名前は覚えなくても顔は覚えてるみたいだしな」
「……? 私たち、そんな事言いましたか?」
「いんや。なんだ、違うのか」
「いえ……」
店主が言ってる通り、私たちもそういう工夫をしている。メモ帳にもお客の特徴とお気に入りのメニューを記録したり、共有やすり合わせなんかもたまにやっている。
「じゃあオッケーじゃねえか。側から見れば分かるぞ? 三度目くらいの客となれば、顔を見てすぐに準備してる。いつもソイツが頼んでる物の準備をな」
「まあ……」
と言っても、そんなことが出来るのは余裕がある間だけなのだが。オーダーなんかが重なって、訪れるお客の顔を見れない状態だとちょっと厳しい。
「学生の物覚えが良いというのを抜きにしても、俺がドリンクの作り方教える時もよくやってくれたしな。ちゃっかりメモして覚える学生なんて、今時珍しいぜ〜」
「……物忘れが多いので」
「そこは素直に褒められろよ!」
褒められるのは嫌いじゃ無いけど、気恥ずかしい。またプイと目線を逸らして、コーヒーを一口啜った。
自分で作ったコーヒーとは、確かに違う風味が感じられる。……気がする。
正直に言うと、苦い。
「どうだ? お手本の味は」
「美味しいと思います」
「玉川ちゃんの方は?」
「多分美味しいです」
「なんだよ、二人とも曖昧だな」
不満気にしているが、手放しで賞賛するほどでは無いのだ。そもそもコーヒーの香りで楽しむと言うのが、私たちには難しい。
確かに良い香りがする、とかそういう事は思うけど、それよりも先じて苦いという味覚が来る。
「苦いか?」
「苦いですね」
「子供なら苦くないと主張するとこだぜ」
「じゃあ苦くないです」
「子供だなぁ!」
ケラケラと店主が笑って、またカウンター裏に戻っていった。
食器洗いだろうか、カウンター裏で何かしている様に見える。
興味を抱く程じゃない、とのんびりコーヒーを啜っていると、店主が何かを持ってカウンター裏から出て来た。
「料金は要らないぜ、なんせ商品じゃないからな。……まだ」
「これは?」
「カボチャスープ、そしてパン。秋限定メニュー案の一つだ」
オレンジ色のスープに、一つまみの青海苔の様な物がまぶされている。特に具は入っていない。
店主が言うに、メニュー案……つまり、お客向けに出す前に、私たちに味見をしてもらおうという気らしい。
まあ問題は無い。この後家族揃っての夕飯の予定があるが、味見用に量を少なくしているのか、これぐらいなら腹もそう膨れない。
「お金の代わりに、しっかり感想を言ってくれよ」
「分かりました。頂きます」
スープとパン、となればパンをスープに浸す食べ方がまず思いつく。
早速パンをスープに漬けて、染み込ませてから口に運んでみる。
「……美味しいです」
しっかりカボチャの風味が強調されている。甘さもあって、さっきまで残っていたコーヒーの苦みが何処かに消えてしまった。
もしかして、とある事に私が気付く。明一も同じことを思い立ったのか、またコーヒーを一口啜って、またまたカボチャスープをパンに漬けて齧る。
「……なるほど」
「どう?」
「単語を選ぶなら……そうだ、喧嘩していない、と言うのが分かりやすい」
「やっぱり! 私も……」
同じ様にして味わってみると、確かにコーヒーの風味とカボチャの風味が喧嘩していなかった。
「よし、初味見のお前らがそう言うなら合格だな! 何回も味見してると良く分からなくなってくるからな、試しておきたかったんだ」
そういう事だったのか。
という事は、このスープも限定メニューとして採用されることになるだろう。
「今の所俺しか作れないが、まあ大丈夫だ。限定期間中は、席を外す用事は極力無いようにするから」
「分かりました」
食材を安く仕入れるチャンスを聞きつけると、すぐさまお店から飛んでいく様な人だから、二人だけでやっていく場面も多い。
だから、そうしてくれるなら私らとしても安心だ。何かあった場合に頼れるものがあると、気負う必要も無くなる。
「安心しろ、俺がついているぜ、ってな! まあ、そんな事言うときに限って何かあるんだが」
「そうですか?」
「知らんのか? こういうのはフラグって言うんだぜ」
「フラグですか」
浴に言うフラグって、『出る杭は打たれる』とか言う言葉に似通っている所があるよね。容赦ない所とか。
「ま、気張っても仕方ないさ。っと、いらっしゃいませー! ご自由にお座りくださーい。……じゃ、お客も来たし、あとはゆっくり寛いでくれ」
「はい」「はい」
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