人のこと言えないだろう、と俺は思った。
「これ、返しますね」
「どうも」
朝の学校、普段通りにやってきた下駄箱の辺りで、例のマスコミ部に迎えられる。
こうして傘を返してくる事は、予めメッセージで伝えられていた。
別に傘入れに置きっぱなしで良かったが、どうせならと顔を合わせたかったらしい。
「まだ止みませんね……」
予報では雨はまだ続く。あれだけ降れば反動で一気に晴れてもおかしく無いのだが、お天気お姉さんの言葉を借りれば、『当分はポツポツ時にザーザー』らしい。語彙力。
「傘は見つかった?」
「いいえ、新しいのを買いました。こういう時に限って小柄な体には感謝ですよ。小さくて安い傘で済むので」
「へえ」
「そちらは普段通りに無関心のご様子で」
まあ普段通りではある。平熱且つ体調も良好、と言った所だ。
ただ、今に限っては、無関心という事ができない。顔合わせに応じた理由もそれだ。
「そういえば、昨晩のメッセージ、読んでくれたんですね」
「まあ」
「一応、読んだ」
と言うのも、ゲームの合間合間に読んだ程度だ。その文章量も中々多かったから、何回かに分けて読み切った。不覚にも。
元々そこまで読んでしまう気はなかったのだが、その内容の一部が目に付くと、無視するにも出来なくなってしまった。
「……所で、その手にある紙束って」
「お二人も気をつけてくださいね。傘を勝手に持って行かれて、やむ無く相合い傘。最悪二人でずぶ濡れコースになったら大変ですから」
「うん、それは良いんだけどね。あと、その紙束の事なんだけど」
「それではまた!」
「またじゃないが」「というか待って」
あの小さな身体には元気が有り余っているのだろうか。
俺たちの言葉を待たずに、階段を駆け上がっていった。小脇に抱えていた紙束は、前夜に送信されたあの原稿がそのまま載っているのだろう。
その昼、主に恋愛好きの女子や邪推したがりな男子の間で、一つの話題が沸き上がった。
『恋バナコーナー』
『失われた一本の傘と、男女二人が差す一本の傘』
以前恋愛小説やらフィクションやらと騒いでいたが、これでは人の事言えないだろうに。
事実二割、脚色七割、妄想一割が黄金比だと言わんばかりの内容を思い出して、溜息を吐いたのであった。
・
・
・
不満を露わにしてみたものの、実際はあまり気にしていなかったりする。
と言うのも、今回の記事で、最初の頃の様な質問攻め地獄が再現されるのを危惧していたのだが、いざその記事の内容が知れ渡ると、意外にも俺たちに向けられるアクションは皆無だったのだ。
「約束はしてなかったけど、配慮してくれてるみたいだね」
「そうだな」
信用していなかったが、あの件の後も俺たちが平穏に過ごせるように記事を書いてくれるらしい。書き方を変えれば、簡単にその平穏を破壊することもできる筈なのに。
実害がないなら良し。ちょっかいを出す猿よりも、何もしない虎の方が俺は好きだ。
「不安やら不満やら抜きで改めて読んでみると、案外普通に恋愛物語なんだよな」
「少女漫画っぽいところあるよね」
「少女漫画。それだ」
挿絵一つないあのコーナーを、少女漫画と例えるのは少し違うが……しかしどうにもその単語がしっくりくる。少女小説と言ってもなんだか妙だ。
こうまで言わせるマスコミ男子の文才には感心するところだ。
「案外小説とか書いてるのかもな……と」
予鈴が鳴った。ギリギリにまで話をもっていくほど重要な話題は無いし、何も言わず離れた。
思えば、俺たち双子の距離が離れるタイミングというのがかなり限られている気がする
トイレ、風呂、着替え、そして授業。それを除けば、俺たちは磁石のように引き寄せられる。
特に話す用事もない時さえそうなのだ。他人か家族か自分かという区別しかなかった俺にとっては、大きな変化だろう。
「玉川明一」
「はい」
「玉川明」
「はい」
点呼を済ませて、窓を眺める。
俺たちは二人であり、一人でもある。俺みたいな感性の人間には、そういう関係でもないと上手くいかないのだろう。
改めて、この関係は大切にするべきだと思ったのだった。
・
・
・
とは言え今回の記事は半ば無許可で書かれた様なもの。今後も同じことをされる様なら溜まった物じゃないと、授業の合間に問い詰める様な内容のメッセージを送ったのだが……。
「返事がない。マスコミの男子に直接会いに行くぞ」
目に見える様なレスポンスは、既読という二文字の小さな傍記が付いた事だけだった。
連絡先を交換したときに、返信は不要などと宣っていたが、それが適用されるのは俺達だけではなく両者。つまり彼の逃げ道の確保の為に吐かれた言葉だったのだ。
いかなる将軍も舌を巻く策士っぷりに、それはもう舌で巻き寿司でも作れそうなぐらいだった。
「居場所分かるの?」
「分からないな」
分からないが、二年生のいる階を歩けば、会えるかも知れない。
そう思って、階段から向かった三階の教室前廊下で、取り敢えず端から端まで行ってみることにした。
廊下にまで持ち込まれたのか、少し溜まっていた雨水が所々に見える。といっても大した水たまりという物でもなく、濡れていると表現する様な、認識しても無視する程度だ。
「見えるか?」
「見えない」
階段付近から見渡すだけじゃ見つからないだろう。歩き出して、取り敢えず端から端まで探してみる。
しかし濡れている箇所が多い。
そう思いつつ一歩踏み出して……。
つるっ、と足が滑る。
「は」
……濡れた床を避けずに、そのまま踏んでしまったのが間違いだった。そのまま後ろ足を浮かしてしまい、雨水を踏んでいた前足が大きく流れる。
「まっ」
転ぶ。そう気づくなり、何か支えになる物を掴んでやり過ごそうと反射的に手を伸ばす。……が、近くにある支えと言えば、明ぐらいなものだった。
アクションやFPSゲームで培った反射神経が生きたのか、明が俺を支えようと手を伸ばした。俺も反射的にその手を掴んで、……それが二つ目の間違いになった。
「ひゃ?!」
明の腕を思い切り引いて、俺は転ばずに済むも、今度は明が引っ張られて前に倒れてしまう。
「……!」
これも思考を介さずに体が動いた。引っ張られた方向に倒れる明に対して出来たのはしかし、腕を伸ばして受け止めることだけ。
「めい、ぷぐっ」
「がっ」
……そうして出来上がったのが、俺を押し倒す明という構図だった。
「……?!」
「……!」
一瞬の出来事だった。ついでに俺たちが持つ反射神経も仇となった。一人の体重を支える程の体軸が備わっていなかったのも、この結果の一因であろう。
思考が回る。言い訳が回る。けれど思考と意識の大半を占めたのは、どうしてか視界一杯に写る明の顔。
──普段、俺は鏡と向かい合う事がない。身だしなみを整える目的であれば、明の方が機会が豊富だったろうが、それでも写った顔に見出すのは、無表情以外に無かった筈だ。
──自分が映る写真やビデオは、滅多に見ない。自分から撮るのはもっぱら風景や物体、メモ目的で文書も被写体としている。
……なぜそんな事を思い返しているんだ、俺は? 自問する俺が瞬きするも、相変わらず目の前の顔の表情は変わらない。
「えっと……いや、逆でしょ」
「なったものは……仕方ないだろう。怪我は?」
「多分無い。お陰で何処も強く打ってはいないけど……」
「俺も大丈夫だ」
「そっか。なら良いかな」
明が先に立ち上がって、付いた埃をぱっぱと払うが、一部濡れている様だ。
濡れていると言えば、俺も結構濡れている。さっきの拍子で腰が水たまりに突っ込んだらしく、大雨を浴びた時程じゃないがその辺りが冷たい。
軽く周囲を見ると、一連の出来事を目撃していたのか、様子を見ている人が数人。誰も声を掛けてくる気配はないが、何故か両手を合わせて拝む先生が一人いる。何処かの宗教に入っているのだろうか。
「……はぁ」
これだけ見られていると、何事も無かったかの様に歩き出すのも勇気が要る。
ああ、こうなると知っていれば、直接会わずにテキストで済ませていたというのに。自販機に行くついで、と思って寄り道しようと思ったが最後だった。
後悔先に立たず。後悔とは、メリーさんの様に後ろから忍び寄る存在であり、しかし電話一つ掛けてこない忍者みたいな奴なのだ。
「うわっ、あれって双子じゃん! マジすっごい似てるしウケる! しかもコケちゃってるし大丈夫?」
「ちょ、やめなって。あんまり騒いだり話しかけるとストレス溜めちゃうよ」
「なにそれ保護動物? ICUN《ref》"International Union for Conservation of Nature and Natural Resources"の略称
「あいしー……何? いや、記事にそう書いてたからさ。もう行こう」
何もしてこない虎の方が好みとは言ったが、今日の虎は少しばかり騒がしい。
まあ何かしてこないのなら十分。と思ったが、全員無視してくれるわけでもなさそうだ。
「はふーっ……あ、大丈夫? 怪我は無い?」
「はい、大丈夫です」
一人拝んでいた先生が、妙な溜息を吐きつつ駆け寄ってきた。確かに流石に無視するわけにも行かない立場だろう。
「保健室に行くなら一緒に行くけど……ああもしかしなくても邪魔かな? 邪魔よねだって双子だもんねっ!」
双子という事柄からどうやってその結論に至るのかは知らないが、どっちにしろ保健室へ駆け込む程じゃない。
「お気遣いありがとうございます。結構です」
職務上最低限必要な干渉は済んだだろう。と言わんばかりに、軽い礼をして話を切り上げようとして……振り返る。
息遣いの荒い先生だが……探し人の名前を挙げれば、属しているクラスも教えてくれるだろうか?
「あの、人を探しているんですけど」
「立山という男子です。マスコミ部の」
「へ? ああ! 広報メディア部の事ね! その子ならこっちの教室よ」
居場所を突き止めた。後は問い詰めるのみである。
教えられた教室の扉の向こうへ、無遠慮に踏み入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます