折り畳みじゃなくてよかった、と俺は思った。

 日本の気候は、古来より四つの状態に分けられており、なんとその四面相を人々は楽しんでいる。春は花を、夏は海を、秋は食を、冬は雪を、という具合で。


 長年飽きずに自然を楽しんできた日本人達には感心する所だ、と他人事の様に感じるのも、俺たちにとっての季節は、エアコンを動かす基準という認識でしかないからだ。

 今現在は、夏と秋の間にあり、どちらかと言えば秋寄りの時期。これくらいになると、エアコンが無くとも快適に過ごせる温度になってくる。


「今日は涼しいな」


「そうだね、肌を撫でる自然の冷気が心地良い」

 

「詩的だな。俺も肌に張り付いた冷たさが気持ちいい」


 今日に関しては、正に冷房要らずの一日と言えよう。

 何せ今日は、地上を照らす太陽が分厚い雲の向こう側。アスファルトに溜め込まれた熱は、ざあざあと降る雨水に吸い取られていく。今居る四階の高さに居ても、地面を打つ雨音が聞こえる程の強さだ。

 ……いや、これ屋上の方から聞こえてるな。


 一方で俺はと言えば、全身ずぶ濡れで両手にお茶を持っていた。


「うん、お茶ありがとう」


「家族のためなら雨の中海の中火の中」


「着替えたら?」


「そうしよう」


 この学校は、食堂への通路に屋根を設けるべきだと俺は思う。お陰で、そこの自販機に飲み物を買いに行くだけでこのザマである。傘を取りに戻るのを面倒がった俺が悪いが。

 適当なトイレでジャージ姿に着替える。濡れた制服はどこで乾かそうか。


 仕方ないから窓際の方で良いか。時間はまだお昼頃。午後ももちろん授業があるが、事情を話せばジャージ姿で席に着いても大丈夫だろう。適当な先生ならば話さなくとも放っておくだろうが。


「ふう」


 着替えた服も干して、椅子に座る。さっきまで濡れた制服のまま座っていたせいで、若干湿っていた。


「私が行かなくてよかったね」


「その通りだな」


 個人差もあるだろうと、長めに取られた衣替えの期間。俺たちはまだ夏服を使っている。その姿で全身ずぶ濡れになれば、ワイシャツの裏を見通すのに透視能力は不要になる。

 そうすれば下着の輪郭がくっきり映ってしまう。俺なら別に良いが……。


「実際見たら嬉しいとか思わないの?」


「可愛い物を可愛いと言う感性はあるが、女体化した自分の下着を見て嬉しいとは……」


 一考する。見たいかもしれない。


「……まあ、俺はともかく、明は見せたいとは思わないだろう」


「興味はあるんだ」


 言外に隠したというのに、容赦なく引き抜かれた。分かられるのも分かっていたが、それはそれで羞恥心が心に滲む。

 ごほん、と誤魔化す様に咳払い。我は汝、汝は我的な関係の俺たちの間でも、「遠慮は不要だが道徳的な線引きは守る」という決まり事がある。決して、段階を踏めばOKという意ではない。


「どっちかと言えば知的好奇心だ。古くて使わなくなったパソコンとか、分解したくなるだろ?」


「あー」


 壊しても問題がないなら、見る。

 下着の場合なら、見て相手の気分を損ねないなら見る。


 そうすると、明の場合……。いや、忘れよう。相手が許すからって、なんでもやって良いわけじゃないのだ。



 ・

 ・

 ・



 放課後になっても降り続ける雨。予報では三日後もこの調子らしく、当分は傘が手放せないだろう。


「結構な雨だね……」


「昼間もこの調子だったぞ」


「そりゃあ一瞬でずぶ濡れになる訳だ」


 下駄箱の横にある傘置き場から、自分の傘を取る。

 何故か片方の傘がなく、仕方なく一本の傘の下に二人……と言うことはならず、無事二本ともに見つかった。


「これで一本だけなかったら相合い傘かな」


「小さいから濡れそう……いや、距離を詰めれば大丈夫か。今更くっついても、って話だし」


 毎朝起きる時に、天井よりも先にお互いの顔を見ているくらいだ。そんな物ではなんとも思わない。



「そんなことを言えるのは、流石双子という所ですね」


「わあ」「うわあ」


 死角から掛けられた声に驚いて、振り向く。辺りでは自分ら二人しか居ないと思っていたが、そこにはマスコミ部の男子が居た。

 俺たちに関する記事を書いて、生徒たちの溢れる興味を抑え込んだ恩人である。確か名前は……立山、と言ったか。


「どっかに感情でも忘れてきました? 驚きの声にしては中身がスッカラカンなんですけど」


 頭の中から彼の名前を引っ張り出していたら、変なところに苦情を申された。これでも精一杯の悲鳴である。というか、そっちこそ何処から現れたのだ。


「別に盗み聞きじゃ無いですよ。廊下は声がよく響きますから。お陰様で、あなたたちの声が聞こえるな、と思えばとんでも無い事が聞こえてきて思わずツッコミを入れてしまいましたよ。というかなんですか相合い傘が今更って。付き合って何年目のカップルでもそんな事言いませんよ」


 相変わらず口数が多い。その癖妙に滑舌は良いから、嫌でも言葉がすらすらと耳に入ってくる。

 しかし声が響いていたか。確かにこの辺りは妙に静かだ。遠くの体育館から、辛うじて運動部の掛け声が聞こえる程度だ。


「カップルじゃないなら、言っても変じゃないんじゃ?」


「変じゃないですけど変です。はい、この話は止めです。世の双子は皆してこんな感じなんですかね? ちょっと現実離れしてて戦慄しますよ」


 さあ、他の双子を創作物以外に知らないから、答えようにも答えられない。

 会話の区切りに、男子が傘立てを横目に見る。しかしその中に収められた傘を手に取ろうとはせず、また俺たちの方に向き直った。


「記事を書いた恩で、というわけじゃ無いんですけど」


「はい?」


「傘が一本でも大丈夫なら、片方だけ借りて良いですか?」


「傘? まあ、良いよ」

「俺も別に良い」


「正に有言実行ですね。とにかくありがとうございます。……いや、少しは借りる理由とか、貸す義理はあるかとか聞いてくださいよ」


「そんな事言われても」


 要求されて、恩義はあって、断る理由はあっても代替手段はある。

 なら別に良いじゃないだろうか。これで貸し借り無しと言うのであれば、それで良いのだし。


「貸す義理はある。二本じゃないといけない理由も無い」


「本当に傘一本でも気にしなさそうな感じですね……。そういう事なら借りますけど、良いですね?」


「うん。あ、返す時はここに入れて良いから」


「了解です。相合い傘が後々恥ずかしくなっても知りませんからね」


「うん」


「では。ありがとうございます。……意外と優しいんですね」


「寛容なだけだよ」


 優しいと言うのは、少し違うと思う。


「寛容は優しいと同義だと思いますけど」


 どうだろう。俺たちの言う寛容さとは、最低限の干渉を続けるラインでしか無いから。

 だから、同義とする言葉を挙げるなら、それは無関心だろう。



「それでは……ああ、それと」


 それと? 

 そろそろ会話を切り上げようというタイミングで、彼は頼み事をする様に、両手を合わせて頭を下げる。


「え、えっと?」


「今まで会話もメッセージも控えてましたけど、これからはちょくちょく送っても良いですか?」


「ああ、それは……」


 明が俺を見る。

 学校の中なら別に良いが、家の中というプライベートに、他人が干渉してくる余地があるというのは、あまり良い気分では無い。

 誰かのメッセージが来ると言うのは、一人慣れした俺たちにとっては、ちょっとしたストレスになる。


「勿論二人の性格は知ってるので、返信なしでも構いません」


「良いの?」


 そう思っていたら、また一つ付け加えられる。


「はい。テニスで言う所の壁打ちです。通知も私の分だけ切っちゃって良いので。……どうですか?」


 そうすると、もはやメッセージを送る意味が無い気がするのだが……。後々に本格的な会話の足掛かりとするための準備だろうか。

 今はこの条件とするが、気づかれない程度に条件を変えて、いつの間にか普通に会話してしまっている。みたいな事でもしそうだ。


 だが、参った。

 もし彼がそんな腹積りでも、この時点で俺は断る気が失せてしまっている。


「そこまで有利な条件をつけられて、断るにも抵抗がある。……明は良いか?」


「うん。私は良いよ」


「と言う事だ。俺の方は登録されていなかったんだよな? ちょっと待ってくれ」


 メッセージアプリを開いて、確かメニュー欄の……あった。


「コードだ。読め」


「読んだら身体の傷が全部治りそうですね。でも良いんです?」


「明だけと言うのも不安になる」


「そう言う事ですか。じゃあどっちかに適当に話しかけ……いや、いっその事三人のルームを作ってしまいますか」


 どうしようと構わない。万が一メッセージにRやGが着きそうな画像が添付されたら、ブロックすれば良い話だ。


「じゃあ、もう良いか?」


「あ、はい。これでオッケーです。では、さようならです」


「じゃあ」「バイバイ」


 広報メディア部の男子に別れを告げる。校門を出れば反対方向へと歩き出して、俺たちも傘一本の面積に身体を寄せ、自らの帰路を辿っていく。


 ちょっと歩調を合わせれば歩きやすいし、明も俺よりは小柄だから、意外と狭くない。

 コンクリートの上で跳ねる雨の水飛沫で靴や制服の裾が濡れるが、これぐらいは俺一人でも珍しく無い事だった。

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