何をしたら長々と買い物できるんだろう、と私は思った。

 隣のシートから聞こえてくるギアチェンジの効果音が聞こえてきて、どうしようも無く右足をペダルに押し付けて加速したくなる。

 ──しかしコーナー手前に入ると、理性は減速するという決断を下して、力んだ右足をどうにかブレーキペダルに運ぶ。


 モニターの端に彼のマシンが映って、次のコーナーまでに再び前方へと再び抜き去るか、そうでなくともインコースを取らねばとハンドルを握り込む。

 ──しかしコーナーに入る直前に内側にいては、かなり減速しないと曲りきれないからと、彼を威圧して外側に追いやろうとする。


 ガコン、とシートが大きく横に揺れ、スピーカーから金属の擦れる音がする。そして背後から固唾を飲んだ音が聞こえた気がした。

 ハンドルを切りすぎて、接触してしまった。私のマシンも相手のもそうだが、こうなるとフィードバックがハンドルに伝って、制御が厳しくなる。


「当てるな」


「当ててんの」


「その台詞をここで聞くとはな」


 エンジン音越しの声だから、やや大きめの声。しかし怒鳴る様な感情は乗せず、あくまで何時もの調子だった。

 なんだか人前でいうべきでは無い言葉を発してしまった気がするけど、闘争心が止まない現状では気にする暇がない。

 お互いハンドルを押さえつけなんとかコーナーを曲がり切って、なんやかんやで速度優位の状態で抜け出せた。ただ、後続車が受けるスリップストリームの恩恵で、ずっと余裕をもって前に居られるとも限らない。


 せっかくの優位が……なんて思っていられるのも一瞬だけ。コーナーに入るスピードを抑える為に減速、後輪が僅かに横滑りして、ハンドルを反対方向に切る。モニターの端にあるサイドミラーの画面には、センチメートルで数える様な距離を挟んで、同じようにドリフトをして張り付く明一のマシンの姿があった。


「近い!」


「当てはしない。紳士だからな」


 誰が紳士だ! 私が着替えたり抱き付こうとしたら顔を赤くする癖に。


 コーナーを抜けて姿勢を戻す。気を入れ直してミニマップを一瞬見る。ゴールが近いが、あともう一つ緩いカーブがある。緩いけど、最高速度では滑りそうな程度だ。速度を緩めずには最速で抜けられない。


「……!」


 しかし、これはまずい。私を風避けにして追い付いた明一が、いよいよ追い抜くために左側へ出た。

 私も抜かせまいと、曲がれるギリギリのスピードを見極める。でも出しすぎて外に膨らめば、本当に抜かれる。マシン性能は同じだ。空気抵抗を回避して得た加速力も、このカーブの実質的な速度制限もほとんど同じ。差があるとすれば、集中力の差。



 コーナーを抜けた。ハンドルを真っすぐにして、アクセルペダルを押し込む。自動でギアが切り替えられて、速度計は数字を巻き上げ続ける。


 まだ五十m。横に明一が見える。速度は私が僅かに下。しかし位置は僅かに前。


 十m。横を向けば、相手のドライバーと睨めっこが出来そうだった。


 ゴールライン。どちらが前だったのかは、感覚でなんとなく分かってしまった。



 ・

 ・

 ・



 失敗した。


 明一に負けたのは良い。勝敗よりも、峰を勢いよく下った爽快感で満足だった。

 しかし人前だったのがいけない。しかも背後からの視線を何時の間にか忘れて、ゴールの後にようやく気付いたぐらいだ。その分蓄積した羞恥の感情がむくむくとこみ上げてきた。


「……」


「よし、別の所に行こう」


「そうしよう」


 どこかわざとらしい言葉遣いで、観客の事を目もくれずに立ち去った。名も知らない観客達に目を合わせでもしたら気まずくて死にそうだ。

 見つけた自販機の側面に身を隠して、ぐったりと項垂れた。


「やっぱり目立つのかな……」


「だからって足を止めてじっと見つめてくるのはどうかと思うが」


「デリカシーがないんだよ。デリカシーが」


 普通の順番待ちだったら許さないでもない、と思って、自販機から顔を出して私が遊んでいた所を見る。見えづらいけど、私達が去った後の座席は埋まっている様だった。

 やはりただの順番待ちだった、と納得する理由は出来た。ならばと屁理屈で自分の頭を誤魔化して、羞恥心を抑えればヨシ。


「……よし、落ち着いた。何か飲み物買う?」


「地下のスーパーで少しは安く買えそうだが」


「ん、いいや」


「そうだな」


 一応新しいパソコンのために貯金はしているけど、これ元々はママのお金だし。あと十円単位の数字なんて、パソコンの数十万に比べたら端数にも満たない。

 とりあえず自分の好みで二本買って、渡した。


「ゲームセンターはやめておこう」


「楽しいかもって思ったんだけどな」


 残念だけど、遊ぶためにあの視線に中へ飛び込むのはそれ以上に嫌だ。天秤にかけるまでもなく、撤退に賛成した。


「でもどこに行く? まだ時間はあるよ」


「……分からない」


「ですよね」


 じゃあ、少し予定を変えて買い物だろうか。食事をする分には荷物があっても大丈夫な筈だ。


「買い物にするか?」


「そうするしかないか。とりあえずマウスを買って、他には……」


 何はともあれ、そういったコーナーの方に向かおうとエレベーターに向かった。

 お店を歩いているだけで注目を集める事が無ければいいのだが。



 ・

 ・

 ・



 うむ、その心配は必要なかったみたいだ。周辺機器のコーナーを歩いているだけで注目を集めるような人は、有名人ぐらいだろう。


「トラックパッドか……」


「欲しいか?」


「ぶっちゃけ要らない。五ボタンのマウスは無いの?」


「こっちにあるぞ。DPIは……低めだな。高めか、変更できる奴を探してくれるか」


「わかった」


 DPIの好みも同じだし、見つけたら二つ取ってしまおうか。


 えー、五ボタンで、サイズも中くらいで……あったあった、これくらいかな。

 1200くらいだとやり易いんだよね。マウスを大きく動かして、っていうのはあんまり好きじゃない。


「あったぞ」「あったよ」


 っとと。声を掛けようとしたら、明一も声を掛けて来た。タイミングが被ってしまったぞ。


「被ったな……。ふむ、俺のは軽量を謳っているマウスなんだが」


「こっちは手に吸い付く形状だって」


 その上カラーバリエーションもある。これは別に無作為に選んでしまっても良いんだけど。


「んー、どっちが良い?」


「……ジャンケンポイ」


「ホイ」


 選びかねて、とりあえずじゃんけんしようとするのはなんとなく察してた。右手でチョキを返せば、明一はパーを向けていた。


「私か」


「じゃあ俺のは戻しておこう」


「よし決まり。あとは頼まれてる方だったよね」


「確かこの型だ」


 程なく三個目のマウスを見つけて、携帯にメモした型番号と見比べてからカゴの中に入れた。後は何を買おうか。


「マウスパッド欲しいか?」


「んー。今ので十分」


「そうだな。USBメモリーは? 色々詰め込むもんだから、今のドライブじゃ不安だろ。特に明の奴」


「そうだった、少なくともテラバイト単位は欲しいよね」


 個人製作でさえ簡単にドデカいの作品を作れる時代だから、色々なゲームを遊んでいるとすぐに記憶容量を圧迫するのだ。


 それも少し探せば、直ぐに見つかった。

 性能、容量、メーカーを十分に確かめて、信頼できる物だと思った所でカゴに入れる。


「うーん……。ヘッドセットなんかも買いたいかな」


「そうだ。それも必要だ」


 元々携帯でイヤホンを使ってたり、パソコン用のでもヘッドフォンがあるのだけれど、マイク付きの所謂ヘッドセットは持ち合わせていない。

 いくら相手がすぐ隣に居ても、ヘッドフォンとかで耳を塞いでると声が聞こえ辛い。特にゲームの音が大きく鳴っていると。だからマイク付きがあると便利だな、と思ったのだ。

 マイクとアプリを通せば、ヘッドフォン越しでは聞けない鮮明な声を届ける事が出来る。多少の遅延は許容範囲。


「ヘッドセットは……これかな?」


「これはどうだ。上にもクッションがある」


「良いかも。有線式だよね?」


「勿論。無線式は遅延が嫌だ。例えミリ秒以下の遅延でも」


「PC前から動き回る事なんて無いしね」


 技術が進歩しているとはいえ、ケーブルを辿る電気信号より早くは伝達できないのである。

 という事で採用。同種の物で様々なデザインが並んでいたが、それ程悩む物ではなかった。


 さて、他に買いたい物は無いだろうか、と思い浮かべようとするが、これ以上は思いつかない。ママから与えられた潤沢な資金のお陰で、不足の無い買い物が出来てしまった。

 一応、明一の事も見てみるけど、他に欲しい物は無さそうだった。


「会計しよっか」


「もう少し時間を掛けると思ったんだが、十分程度で終わってしまったな」


 時間を掛けてお買い物する性質は、我らがママさんからは受け継がれなかったらしい。こればっかりは趣向の問題だと思うんだけど。


「会計よろしく」


「うむ」


 財布を構える。中には一万円札とポイントカードが入っている。加えて元から持ってたお小遣いが残っている。

 このカードはママから預かったものだけど大丈夫だろう。因みに残りの二万円は明一に預けている。リスクの分散と言う奴だ。


 レジで少しばかりやり取りを交わして、紙袋を受け取った。



 ・

 ・

 ・



 次に向かったのは洋服を売っているエリアだ。二進数を想起させる名前の某ショップに入る。私は何度か来た覚えがあるけど、明一にはその機会が少なかったのか、物珍しそうに目線をあちこちに向けている。

 この前言っていた、母との付き合いの違いという奴だろう。確かに私はママの付き添いで来る事が多い。よっぽどじゃない限り、自ら行こうという気にはなれないけど。


「うーん……」


「……なにか欲しい服はあるか?」


「……寝心地の良い服?」


 あるいは部屋着でもグッド。良く伸びる素材で、涼しいのが良い。それと下着も同じような感じのがあればなお良し。

 個人的には、家の中だったら下着無しでも気にしないんだけど、ママがうるさいのと、同室の双子オトコのコの気持ちを考慮して、下着未装備は避けることにする。


「パジャマか、あそこら辺かな。どっち先に見る?」


 どっち、とはメンズかレディースかの事だ。このお店もそこらへんちゃっかり区分けしている。


「レディースで良い。俺はここで待ってるから」


「え、なんで?」


 見れば、明一は眉を顰めて、横目にレディースのコーナーを睨んでいた。

 ああ、なるほどな。またか。


「逆に何故男がそこに踏み入らないといけないんだ」


「私ら双子じゃないか」


「理由になっとらん」


 こうなった明一はテコでも動かない。テコ以外にもやりようはあるけど。


「店員に声を掛けられたらメンドくさいから、デコイになって欲しいんだなぁ」


「デコイって」


「それに明一が嫌がりそうなのがあったら指摘してくれると、双方ともに助かると思うんだよねえ」


「それは……。確かに、そうかもしれない」


 そら来た。

 貴重なチャンスを逃さまいと、手をガッシリと掴んで引っ張る。リードを離したら


「じゃあこっち行こ、こっち」


「掴むな」


「じゃあ逃げるな」


「逃げないから掴むな」


「そっか」


 明一の左手を確保したまま、パジャマの物色を始めた私であった。

 すると諦めたのか、無理に抵抗しないで付いてきてくれる。滲み出る優しさに感心する暇さえある。


「抵抗しないでくれるなんて、紳士だね」


「紳士はみだりに女性に触れたりしないし、女物の下着からも目を逸らすからな。当然だ」


「面白い紳士だねソイツ」



 さて、レディースとなると、成人女性が着るにはキツいものと、年齢問わず似合いそうなもののラインが明確に見えて、ちょっとだけ時間の残酷さが垣間見えたりする。


 因みに私は気にしない。いやー、パーカーと言う物は便利だ。よっぽど変な組み合わせをしなければ、大きな苦労無しに最低限以上のラインをクリアしてくれる。ボーイッシュ系は多少雑で良いから便利だ。


 多用するとママがうるさいから、たまーにママ監修のオシャレを敢行しなければいけないんだけど。今日みたいに。


 まあ、パジャマならそういうのも気にしなくて良い。動きやすくて快適な物、という点に絞って見渡して、目星を付ける。


「……ショートパンツかな」


 上下セットで、直ぐ傍に薄い桃色のチェック柄のシャツもある。


「うん。動きやすいし、寝心地も風通しも良い。蚊を気にしないといけないのが難点だけど……ウチには居ないしね。どう思う?」


「露出度が高い。けしからん。別のにしなさい」


「煩いオヤジの真似なんかしなくて良いから」


 ぐう、と明一が声を上げる。まさか、流石にキツかった? なんて思って若干身構えていると、遠慮がちに明一が口を開く。


「……俺の目に毒だ。膝上なんぼくらいの丈じゃダメか」


「……ふむん」


 我ながら可愛いなコイツ。


 まあ明一がそう言うのなら仕方ない。と言うか元々ある程度明一の好みに合わせるつもりだったし。

 ハーフパンツとショートパンツの間ぐらいの長さを探して、選んだ。材質もパジャマとして十分以上の質感。明一もこれなら文句あるまい。

 ほら、彼も満足そうに頷いております。


 一応、他に良さそうな候補が無いかと歩き回るが、一度選んでしまうと。中々候補が上がってこないものである。

 そうとくれば、これ以上悩む理由はない。次の物を探すために、また別のコーナーへ向かう。


「次は何を?」


「下着」


「脱出して良いか」


 即答であった。


「良いよ。別に見せるもんじゃないし」


 と、手綱を離せば、メンズの方面にトコトコと逃げて行った。


 なんか、犬みたいだな。

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