もう少し人気の無い所は無いのか、と俺は思った。
我らが母は、俺達の二重の関係性を察しているんじゃないか? そう思ってしまって、いやしかしそんな筈は、とぐったりと後ろへ体重を寄せていく。ガラス窓に後頭部が付いた。
「ぐったりしてるなあ」
「明こそ」
横では、明が垂直の手すりに寄りかかって、気を重そうにしている。二人して、その気怠さを隠すことなく姿勢に表していた。
それを目撃する人は、この閑散とした電車の中に居なかった。見渡してようやく見つけられる数人の利用客は、手元の携帯に視線を注いでいる。
こうもぐったりしているのは、俺たちがデートと呼ばれる行為の追いやられたからではなく、屋外の暑さにやられてしまったからである。車内の冷房が心地よい。
それにしても目だけで周囲を見渡すにも、この顔の角度だと難しい。体に溜まっていた熱も冷めていったし、そろそろと息を吐いて頭の位置を戻す。
デートだとか言われたからといって、意識する必要は無い。明の顔を見て、恋心を抱くことも無ければ、劣情も……無いとは言い切れないが、男として無意識に抱いているぐらいだ。
とはいえ後者だけでも十分俺を悩ませるものなのだが、半分諦めている。
「……うう」
「……?」
しまった、余計な事を考えていたせいで思い出してしまった。先日の水着姿だ。あれを思い出してなんとも思わない方が難しいし、表に出ない様に押さえ込むのも疲れる。それが苦なく出来るなら、そいつは特殊な訓練を受けているに違いない。
こればかりは明のせいと非難する事はできない。俺が勝手にそう思ったのが悪いと言える。と言っても、あの姿が鮮明なまま脳裏に浮かんでくると、これはまずい、と強く瞬きして、意識を切り替えなければならなくなるのだが。
「んんっ。それで、本当に大丈夫なのか? その服は」
「着てしまえば自分の視界に入らないから、意外と。それに涼しいよ」
「へえ」
肩の穴が空気を取り入れるからだろうか。袖口も広いから、肩から手首にかけての通気性も良さそうだ。
確かに露出しているが、腋が見える程大げさにオープンしている訳じゃない。俺的にも目に毒って感じがしない。そりゃあ穴が閉じている方が落ち着くが、あれぐらいなら許容範囲だろうか。
……腋が見えないことに安堵してしまった。間違いなく先日の影響である。
「まもなく、──駅。──駅です。お忘れ物をなさいませんよう、ご注意ください……」
「着いたな」
「うむ」
アナウンスを聞いて立ち上がる。目的の駅に出て、天井にぶら下がっている案内を睨みつつ出口に向かう。
社内の冷房が恋しく思えてきてしまう。天井なんかがあるだけマシだが、日差しを直に受ければ、吸血鬼よろしく灰に還ってしまいそうだ。
「そっちも、暑くないの? ジャケットなんか羽織ってるけど」
「見た目よりは涼しい。思ったより生地が薄くて、体温が服の内に溜まっていく感じはしないな」
「そっか。まあ夏服だったら当然かな」
見た目は落ち着かないが、着てしまえば気にならないし、動きづらいという事も無い。見た目以外には思ったより否が見当たらないのである。後は目線を集めなければ十分だ。
「そうだ、アレ言ってみてよ」
「アレ?」
「ヒロインが急に服に気を使い始めたら、決まって言う様なセリフだよ」
「ああ」
ビジュアルノベルに類するゲームもやっているから、覚えはある。しかしそれを言い放つのに適した場面と言えるかは微妙だ。
「似合ってる。世界一可愛いよ」
「おお!」
どちらかと驚きに近い声を上げて、面白い、という顔になる。
「すっごくなんとも思わない!」
「へえ」
それなりに上手に抑揚を付けて言ったつもりなのだが、通じなかった。明らかに嘘であるのがいけないのだろうか。
それに、明は確かに可愛いかもしれないが、世界一とは到底言えない。俺達が知る範囲の中で一番かわいいものと言ったら、実在する物で猫、創作物上でならとあるゲームのキャラクターが思い浮かぶ。
「でも、落ち着きはするね。似合っていないか、って言う不安は拭えるかも」
「そうなのか?」
「そうだよ。ところで明一、イメチェンした? すごくかっこいいよ」
なるほど。言葉の通りに受け取る隙もなく、中身の無い嘘だとすぐ分かってしまって、神妙に頷いた。素の言葉に近い抑揚だと思うのだが、それでも意識せずとも見抜けるらしい。
「面白いぐらいになんとも思わないな」
だが明が言っていた通りに、この格好もそう悪い物ではないと思える気がしてきた。虚言でも、認められれば自信に繋がるのだろうか。
「しかもなんとなく自信が付いた気がする。明の言う通りだな。自己暗示みたいなものか?」
改めて考えると、色々と興味深くなってきた。また別の機会に実験してみたいのだが、今は公共の場である。そういうのは自室でやるとしよう。
「今は行くか」
「検証は後日、だね」
・
・
・
十分に満たない距離を、アツアツの晴天の下で歩いて、ショッピングモールの中に逃げ込む。自動ドアを潜れば、直ぐに冷房の効いた快適な空間に迎えられた。
どんな薄着でも、やはり暑い空気よりも冷えた空気の方が素晴らしい物である。
「さて、荷物になる買い物は後回しに。食事にはまだ早いが……となると」
「遊ぶ、食べる、買う。って順番で良いんじゃない?」
「ふむ」
案内板を見つけて、そっちの方を見る。遊ぶ、となったら何が良いのだろうか。
明が提案した順番に従うのなら、数時間ほど遊び続けなければいけない。べつに早めの昼飯を頂いても良いが、ショッピングモールの中にゲームセンターでも付設していれば、それなりに楽しく数時間を潰せるだろう。
服、雑貨、家具、食器。ここは違うな。事務用品、パソコン用機器。興味があるけど後で。
「こっち行こ」
明が指でエレベーターを指す。行先に見当がついたらしい。
「どこに?」
「ゲームセンター」
本当にあるのか、ゲームセンター。一応と他の候補も探してみるが、俺たちに取っての遊びはゲームが殆どだ。興味で勝るものは見つからず、結局エレベーターに乗り込んだ。
「こう言う所って、なんだかワクワクするよね」
「新しいゲームをインストールしている時に似ているな」
目的のエリアに踏み込むと、規則的に設置されたマシンから、混沌的に重なりあった音楽やら効果音やらが耳に飛び込んでくる。一つのマシンの目の前に立って、やっとその音が識別できる程度だ。
「両替機は……」
「お、このキャラのぬいぐるみなんかあるんだ」
「ん? ああ、そいつか」
「馴染み深い。アレじゃん」
積みあがった箱とぶら下がったアームを囲うガラスに、二人して覗き込んだ。アームでは届かない所に安置された、サンプル用なのであろうフィギュアに、二対の目線を揃って向ける。よく出来ているな。
「よく出来てる」
「良いよね」
「良い」
危うく語彙力を溶かしかねない所だったのだが、このキャラの前では致し方あるまい。とあるゲームで代表格を担っているキャラなのだが、それよりも彼女にまつわるストーリーを知っているから気に入っているという面が強い。この場ではその魅力を語る事は出来ないが……。
「これあのシーンじゃない?」
「このデザインの剣を構えて氷柱を浮かべるシーンと言うと、登場した時のイベントかな」
「そう思うと、なんかこの表情にも意味がある様に思えて来た。いやある」
「ある」
今まで部屋にフィギュアなんかを置く趣味は無かったが、手に入れて机の片隅に飾ってやろうか、と思う気持ちが浮かぶくらいには、興味が沸いた。それだけキャラが好きだし、出来も良いのだ。
しかし、二百円を使ってアームを動かそう、という気を起こさせるには少し足りない。っていうか安いな。見た目より難易度が高いんだろうか。
「うーん。欲しい?」
「見るだけで満足だな」
「私たちって美味しくないお客だよね」
経営シミュレーションゲームの経験があるからか、その言葉に妙な納得感を得た。トレジャーキャッチャーには興味が無いが、奥にあるであろうゲームでお金を落とすつもりだから、勝手に罪悪感を抱く必要もないだろう。
他にも、見知ったキャラが水着を着ていたり、有名どころのキャラがデフォルメされてぬいぐるみとなっていたりと、目を引く物が多かったのだが……やはり俺達には花より団子という考え方が染みついている様だ。
時折足を止めて興味深そうに見るが、それも道中のよそ見に過ぎず、奥の方にある騒がしい空間に辿り着く。
「初めて来たという訳じゃないが……、見慣れない物が多いな」
「前に来たことあったっけ?」
「別のところなら、扉のガラス越しに」
「だよね。そりゃ見慣れないさ」
左手には昔ながらの格闘ゲーム、右奥には特徴的且つ直感的な操作を謳うリズムゲーム。奥の方に見えるのはシートやハンドルのあるレースゲーム、俺達の興味からは外れているが、流行のソシャゲを原作としたゲーム媒体も置かれている。ここから少し離れたところに、シューティングゲームなんかもあるかもしれない。
噂に聞くVR体験コーナーは無いかな、と見渡してみるが、恐らくこの店には無いだろう。
「それで、何やる? 二人プレイのやつとか無いかな」
「格ゲーと音ゲーぐらいか。いや、向こうのレースゲームでも対戦できるな」
「じゃあレースゲーム。本当にハンドル握って遊べる機会なんてこれくらいだよ」
「そうだな。席も二つ空いてるし」
丁度いい、意気揚々と乗り込んで、目の前のモニターを見る。デカイ。家のテレビの比ではない。
表示に従って、百円玉を投入すると、ブルンとシートが震えた。
「おお」「わあ」
この時点でもう面白い、マッサージチェアに座って、携帯でレースゲームをしてもこうは行かない。
次はカードの挿入を要求されたが、持っていないからスキップで良いだろうか。ハンドルで選択し、クラクションで決定という操作にも慣れない。
それから名前の入力画面に入った。どうやら新しくカードを発行してくれるらしいが、アルファベットや記号の三文字しか入力出来ない。
どんな名前を入れてやろうかと思って、隣を見る。
「……」
「……」
足がアクセルペダルに届いてなかった。手足を一生懸命に伸ばしてハンドルを握ってるせいで、結構な前傾姿勢である。
よく見れば明の座っているシートは、俺が座っているものよりも後ろの位置にあった。
「それ……調整出来ないのか?」
「方法があるならすごく知りたい」
知っていたら教えたい所だ。手足を伸ばしている姿を見ていると、なんだか恥ずかしい気分になる。若い女の子なら可愛いで済むかもしれないが、年頃の男だったら考えものだ。
「……そのレバーじゃないか?」
「ん、これ? すっごくわかりづらいな」
ふくらはぎの後ろ辺りにあったレバーを引くと、シートが動き出す。やり易そうなポジションに落ち着かせたのを見届けて安堵すると、自分のゲーム画面の方に目線を戻した。
……LIT。明かりを意味するLightの変形だ。これで良いだろう。明はどんな名前にしたのだろうか。チラッと横を見ると、明も名前をLITで決定する所だった。
名前、被ってても特に何も起こらないのだな。
・
・
・
LITの名を記憶したカードが二枚発行されて、早速と遊んだレースゲームはと言うと、中々面白い。
峰でコーナーを攻めてドリフトを決める漫画が原作なのは知っていたが、初心者向けの設定にしていると、初見でも気持ちの良いコーナリングが出来て、なるほどスリリング。
かと言って気を抜くと大きく膨らむから、この時点で上級者用の設定だったらと思うと、それはそれは恐ろしい。シートがブルブルとエンジンの振動を再現するものだから、尚更。
と言ってもまだチュートリアルで、面白さの真髄はまだ別の所にあるんだろう。ゲームを始めたばかりの頃の、やっている内に手の届くコンテンツが広がっていく感覚は、何時になっても良いものだ。
「……」
それにしても、と目だけで周囲を見る。
妙に目線を感じる。人前でゲームをすると言うだけで落ち着かないのに、先ほどから目線というか、気配が張り付いている気がする。
順番待ちだろうか。あるいは双子の俺たちを珍しがっているのだろうか。ならば明もこの目線を感じているかもしれない。目を向けると、目が合った。明も同じ感じがしている様だ。
「……」
どうにか出来ないか、という願いが目線に乗って伝えられた気がする。
俺達という双子が出会って最初の騒ぎに比べれば象と蟻の差だ。我慢は出来るだろう。それでも多少の居心地の悪さは覚えるだろうが。
そうとは口にしないまま首を横に振る。明はため息を吐いた。よそ見運転は危ないぞ。
それに、ゲームセンターはゲームを楽しむ場なのだから、他所へ行ってくれないだろうか。と言って非難するのも憚られる。しかし観戦専門というものを否定出来る程、俺達は偉くない。
どうと言うにも、それは世論への大きな発言権を得てからでないと言えない。……有名動画投稿者にでもなれば良いのだろうか、想像するだけで過労死する。
多少の集中力を欠いたハンドル捌きでゴールラインを通るも、後ろの気配は一切動きを見せない。耐えかねずチラと後ろを見るが、若者が数人程観戦していた。
「明」
「あいさ」
「チュートリアルは終わったし、残ったチケットで対戦するか」
「勿論だとも」
それだけやって、今日はゲームセンターから逃げ帰ろう。そうしよう。
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