これは好みじゃないのだけど、と私は思った。
我が家の厄介ごとは、大抵の場合我らがママさんが持ち込んでくる。幸運なことに、重大な何かしらを持ち込まれる事はないので、家族としてそういう所は受け入れているのだけど……。
「マウスが壊れたのか?」
「ええ、断線しちゃったみたい」
三人全員、個人でPCを所有しているちょっぴり特殊な家庭だと、共通の話題がある事は潤滑なコミュニケーションに繋がる。こう言った話も交わされる事が多い。
「断線か。分解してゴミ掃除、じゃあどうにかなるものじゃ無いね」
流石に専門的な工具や知識は我が家に備わっていない。最低限の精密ドライバーと、何の故障かが判断できる知識があるぐらいで、ケーブルの交換ができる程の用意はない。
「そう。だから……、はいこれ。お願いできる?」
「あ、うん。おつかいね」
渡された紙幣を受け取って、そう解釈する。
明日は土曜日で、ママは出勤、私達は休日ということになるから、直ぐに用意するとなったら、私たちが買いに出た方が最も早い手段となる
。
何気なく受け取って紙幣に目を向ける。なんだかやけに重い、と思って、綺麗に重なった紙幣を広げる。
「さんまっ」
「……数え間違えてないか?」
「流石にそんな事はしないわよ。この三万円で、マウス買ってきて欲しいの」
どうやら、このやたらと精神的重量感を伴う三人の諭吉さんは、ママの数え間違えでも何でも無いらしい。
ママはゲーミングマウス──高機能高性能で、プロゲーマー御用達のマウス──でも欲しがっているのか? それとも何か他の厄介ごとでもあったり?
「滅茶苦茶高いゲーミングマウスでようやく二万円行かないくらいだよママ……」
「まあまあ、気にしないで預かりなさい! あなた達にやってもらうのはお使いだけじゃないんだから!」
「やっぱり厄介事の方か」
けど、一度頼まれたからには、泥船にでも縛り付けられた気分で従ってしまおう。
「何が欲しいの? モニター? ヘッドフォン? 新しいパソコンだったら、流石に型落ちの物しか買えないけど」
「デートに行きなさい!」
隣で明一が大きく咽せた。
「デート? 恋人なんか居ないんだけど」
「明一がいるじゃない!」
咽せる明一がついに膝を付いた。
「ちょっと待って」
私達は双子だし、そうでなくともほぼ同一人物だ。後者ならばまだチャンスがあるかもしれないが、そう認識しているのは私達だけ。私達を双子として見ている筈のママが、なぜそんなことを言うんだろう。
「遊びに行く、っていうんなら別に良いよ。あの辺りのゲームセンターも興味あるし。でもなんでデート?」
「だって最近、すっごく仲が良いんだし!」
「答えになってないぞ……!」
復活した明一が文句たらたらと立ち上がる。仲が良い男女が出かける行為が例外なくデートと呼ばれるのであれば、少子化問題はとっくに解消されているに違いない。
しかし私達にはソイツに貢献するつもりが全く無い。
確かに、明一相手であれば色々許してしまえる気がしないでもないが、それでも恋人と呼ぶには違和感があるのだ。創作物で例えるなら、幼馴染相手に恋の感情が芽生えづらい現象に近い。
お互いを見つめ合っている内に、鏡を見ている気分になるカップルもなんか嫌だ。一瞬だけ自分の顔だと誤認して驚く事があるくらいだし。
……最近は、その頻度も少なくなってきたけどさ。
「まあ、デートか否かはともかく、二万円で良いよ。買い替えるマウスも、同じ型で良いんだったら沢山余っちゃうし、なんなら回転寿司とゲームセンターに寄って漸く使いきれそうなぐらいだし」
「じゃあ非常兼予備用にプラス一万円ね!」
どうしても三万円を握らせる気らしい。
非常用と言うなら仕方なく貰うけど……。一日で三万が消費するのは逆に難しい気がする。あんまり物を買いすぎても私たちの両手が袋やらで埋まる。
「でさ、他に理由があるんじゃないの? 私達の復縁は、確かにママ的にも踊るほどうれしいかもしんないけど」
「臨時ボーナスでも貰ったか?」
「違うわよ? うーん……あ、じゃあ、バイト就職祝いの三万円って事にしましょっか! さあ、デートに行ってらっしゃい!」
「ちょっと」
「ああもう、分かった。明日、明日な。……はあ」
嘆くべきか臨時報酬に喜ぶべきか微妙な所なのだけど、今のところ言えるのは、ママの行動を予測するには、まだまだ経験値が足りないという事くらいだった。
・
・
・
翌朝、週末の喜びとバイトのシフトでプラマイゼロといった気分で起き上がる。将来的にお給料でPCを買えるとはいえ、休日を返上するのは良い気分ではない。
予定表を見て、夕飯時の前辺りにバイトが入っている事を確認する。お昼も客入りが激しいのだが、店主も一人でやるのは元から慣れている筈だから、心配はしていない。
「くう……はぁ。おはよう」
「おはよう」
何時の間にか目覚めていた明一が、大きく欠伸をしながら起き上がった。
「今日はおつかいだな……」
「マウスとなると、ちょっと駅に乗っていかないと」
兼デート、と後ろに付いてしまうのだけど、私達はあえてそこに触れない。
歩いていける距離にPCや周辺機器が並んでいる様な店は無い。駅の方がかなり近いし、ショッピングモールなんかにも行けるから、余った資金を使う先にも当てがつく。
マウスだけ買って、軽く外食しつつ帰る手もあるが、その場合母のふくれっ面を見ることになる。あんなでも、私達の事を良く分かっているから、高い確率で感づかれると思う。
「所で、あれは何だ?」
「不審物」
「随分と可愛らしい不審物だな」
シワ一つ無い服が、カーテンのレールに掛かったハンガーにぶら下がっていた。意識的に視界から外していたけど、あんな目立つところに置かれてはかなわなかった。
無論わたしや明一に覚えは無い。犯人に覚えはある。
「……ママの置き土産か」
「これを着ろと言うことか?」
どうなんだろう。机の上には置き手紙が置いてあるから、多分ここにママの意図が記されている筈なんだけど……。
『ママさんオススメカップルコーディネート! もし着ないで行っちゃったら、今後一週間の食事に青汁を付けるからね♪』
「……母らしい」
「まあ、見苦しい服じゃなかったら別に良いんだけ……ど、なにこれ、破け、じゃなくて空いてる?!」
なんとなく手に取った服は白と基調としたデザインで、広げてみると肩の部分が欠けていた。破けているのかと一瞬思ったけれど、所謂肩出しのファッションであるらしい。
そこまでガッツリ空いてる訳じゃないし、袖も手首まで伸びているし、腹を出すデザインでもないから、全体の露出度はそれほど大きくなかったけども。
「……青汁って飲んだことある?」
「飲んだことないが」
「ぐう……」
そしてやはりと言うか、一緒にあるのは男物の洋服だった。そっちは特に気取った様な恰好では無さそうだ。
「何だこれ……」
明一的には不満らしい。まあ自分が着るともなれば、地味な物を選びたがるだろう。私だってそう。
……男からしたら、私に与えられたあの服はどう思うんだろうか。
「……」
「青汁か……」
天秤がゆらゆらと、どっちつかずな風に揺れる。この服は避けたいけど、よっぽどではない。他人の目を気にしても、他人からの印象や評価は気にしない。
青汁に関しては、苦く青臭いと聞く。そういう飲み物は初めてだが……。
「……多数決」
「着る」「着る」
釣り合った天秤は、ほんの少し力を入れるだけで簡単に傾く。どっちでも良いかな、と思いつつ選んだ選択肢は、二人とも同じ方を指した。
「決定」
赤信号と言うほどでもないが、二人で行けば何てことは無い。二人の意見が揃ったと来れば、実行あるのみだろう。
自分の寝間着を脱いで、ハンガーから服を下ろして……。
「ばっ」
「あ」
……明一を部屋から出すの忘れてた。
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