ちょっとは気を付けるべきだったか、と私は思った。

「いい仲である程喧嘩する、って感じの言葉なかった?」


「あったな。諺だったか?」


 ピークの時間帯が過ぎて、もう人手はいらないというタイミングで帰宅させてもらったのだが、その道すがらにそんな事を聞いてみた。正確にはどんな言い回しだったかを知りたかったんだけど、この様子じゃ覚えはなさそうだ。


「知らないなら仕方ない」


「明が知らないんなら俺も知らないだろう。大抵は」


 酷似した過去を持っている二人ならば、まあそうだろうけど。


「実際そうなのかも分からないな。本当に仲良し程喧嘩しやすいのか?」


「どうだろうね。元生涯孤独の身には分かりそうもないや」


 そもそも私たちという存在が例外的なものだから、一般人に当て嵌まっても私たちに当て嵌まらない事もあり得る。

 頭上をカラスが羽ばたいている所で、明一の歩調が少しだけ遅くなっていることに気付く。


「……試すか?」


「試すって、どうやって?」


「とりあえず気に入らない所を指摘してみよう」


 明一が人差し指を立てて提案する。拳を交わし合う喧嘩とは程遠いが、まあお手軽な口喧嘩の火種には丁度いい。


「とりあえず一つ。セクハラ紛いの言動をやめてくれ」


 そして、火蓋を切ったのは明一だった。そんな不満を抱えていただなんて、思ってもいなかったよ。およよ。

 ま、それは既に自覚している。止めてやりたい気持ちは山々なんだけども。


「努力する」


「ああ、そうしてくれ」



「……」


「……」


「いやそうじゃないだろ。そこは反論するか指摘しろよ」


「そうだった、明一に対する不満ね。……うん」


 考える。明一に対して抱いている負の感情は無い。私にとって不便な事をしている様な覚えもない。バイトに関しても、カウンター裏と表とで分担している現状に不満は無い。

 しばらく考えたのち、ようやく思い立った一つを、直ぐに口に出す。


「口が悪い所」


「え、悪かったか?」


「いや、言い方が違うな。口調の柄が悪い」


「ふむ……」


「と言うよりも、やれやれ系のキャラクターっぽい」


「どれなんだよ。ていうかやれやれって言ってるか?」


「言ってないけど、それっぽい」


「はあ」


 感覚的な物だから、明一が分かんなくても仕方ない。そもそも言われてから考えて無理やりひねり出した答えだし。


「口が悪い……」


「付け加えれば、語尾とかなんにもない。書き言葉っぽいかな」


 そう言ってみると、明一は更に考える。

 男女の差、と言われればそれまでかも知れないが、口調が違うと言う点は、一体どうやって出来た差なのだろうと気になる。一概に男女差と言っても、具体的な部分もある筈だし。

 すると明一が何かを思いついたのか、私に目を合わせて口を開いた。


「……こうすれば良いのかな」


「おー?」


「これで少なくとも怖がらせないよね」


「おー」


 私の口調を真似たらしい。なんだか可愛いじゃん。口調と普段のイメージのギャップが。


「どう思うかな?」


「ギャップがあるね。可愛い」


「ぎゃ……そ、そうかな」


「あとどっちが喋ってるのか分かんなくなる」


「第四の壁を壊すな」




「それで、どうだった?」


「滞りなく、と言った所だ」


「面白い店主で良かったよ」


 本当に面白い店主だった。私の知る限りでは、母の次に個性的だと思えるぐらい。これはかなりの高評価だ。嬉しくない高評価だ。


「そうでしょ? 面白い人でしょ?」


 正直言って、第二のママさんが出現したという点では面白くない。いやもう、慣れているから良いのだけど。


「具体的にはどういう人なんだ? 母から聞ける範囲で良いから知りたいんだが」


 私達の知る範囲では……カフェの落ち着いた雰囲気に似合わない、陽気な雰囲気で、言動には青年的な部分が色濃く見られる。

 年は聞いていないが、ママの友人という事から、ママと同年代なんだろうと思う。


「そうねえ……。サッカー好きだったわ」


「ふむ」


「昔も今もそうだけど、人の事を見て……なんて言うのかしら? そう、人心掌握が得意みたいなのよ!」


「……なんだそれは」


 そのまま受け取るなら、店主は相手の思考を誘導したりするのが得意、という事になる。

 まあママの言う事だ。


「空気が読める。人への理解がある。私達みたいなのとは正反対な感じ。って所?」


「最後のはちょっと頷きずらいけれど……まあ、大体そんな感じね!」


「そうか」


 まあ、あの雰囲気のカフェには似合っていると思う。正直、私ら二人だけだと、あのカフェに慣れているお客さんは居辛くなってしまう。


「うーん……」


「……雰囲気を明るくする努力、どうすればいいと思う?」


「分からん」


「だよね」


 即答。しかし明一は何も考えていない様な顔ではない。私が問い掛ける前から、既にカフェの雰囲気に対して考えたりしていた様だ。


「うーん……。ねえママ。この笑顔どう思う?」


「ふごっ」


 えなにどしたのママ。突然鼻を抑えちゃって。


「す、すすすごい……すぎょい……」


「……そっか」


 うーん、なんか妙な反応だし、完璧な笑顔とは程遠いらしい。


「明一も確かめてもらおうよ。お客さん達は何も言わなかったし」


「そうか、分かった。……こうか?」


「ブフッ」


「……?」


 なんかママが笑い出した。……そんなに面白い顔なのかな。私的には、別に違和感のある笑顔では無いのだけど。


「あ、ちょ、米飛んで来た!」


「ご、ごめフフッ、あはは!」


 なんか笑い続けてるけど、なんか止める気が起きなかったから、このまま夕食を食べ終える事にした。





「んにー」


「むーん」


 私達が部屋に戻った所で、笑顔を見せあってみたが……お互い変な感じがあるとは思えない。

 私達の笑顔は、やはり私達以外の誰かに確認してもらうしかないのだろうか。


 諦めて頬の筋肉を解いて、ベッドに座り込んだ。

 仕方ない、何か楽しい事でも考えよう。


 楽しい事、と言えば、やはりお給料だろうか。私達が待ち望んでいる給料日は、毎週土曜日となっている。どちらかの都合でその日にシフトが無い場合、後日に改めて、とも決められている。ちなみに木曜日が定休日らしい。


「今度の週末は楽しみだね」


「放課後直ぐにバイトって言うのも大変だが」


 バイト先のカフェが繁盛し始めるのは五時半頃だが、その忙しさはかなりのものだ。これを作ったら次はこれ、今度はこれ。メモにチェックを入れる時間さえ惜しいという程だ。


「確かになあ」


「その上、三人揃ってから食べたがる母を待たせることになる」


 普段の夕食に間に合わない様なシフトだから、仕方ないのだが……。母がそれに合わせてくれるというのは、なんだか忍びない。

 先に食べてしまっても良いんだけどね……なんて、普段の私達みたいな事を言う事は無い。何せ、我らがママの考える事くらいは流石に理解しているんだ。理解できなきゃ慣れもしない。嫌でも慣れるし、嫌でも理解する。


「私は別に気にしないわよ? なんて言いそうだね」


「俺達は気にするんだが。まあ、俺達と一緒に夕食を食べたいというのは分かってるから、何も言わない」


「まあ、嬉しい!」


「止めてくれ。母が二人に増えた様でぞっとする」


「うん、わかった」


 明一の言う事なら、覚えておこう。卵の賞味期限くらいには記憶が保つ筈。忘れっぽい私らにとっては割と長めである。



「……しかしなあ」


「どうした明一」


「いや……特段どうしたという訳じゃないが」


 言葉の後一泊置いて、また私の事を見る。まさか私が本当に二人目のママになった訳でもないだろうに。

 もしくは私の顔に何かがついているとか。それとなく顔に触れてみるけど、特に何もない。


「大丈夫だ、米粒なんぞついてない」


「じゃあ何さ」


「俺とは比較的にだが、母の影響を濃く受けたんだろうなと」


「影響?」


「ああ。母と娘とあれば、自然と話しやすいだろう。共通点も比較的多くなる」


 ……そうかも?

 そしたら明一はパパに影響を受けやすい、という事になるのかな。と思って、それは無いとすぐに撤回する。

 我らがパパは、病死する以前も頻繁に通院、もしくは入院して安静にしている事が殆どだったから、顔を合わせる機会が少なかった。私が物心ついたころには、確か既に入院していたと思う。

 そうすると、女の親と男の子供の母子家族。ちょっと住みずらい所もあったんだろうか。


「明一はママと距離取ってたの? それか居心地悪くなったり」


「距離を取ったつもりはない。関係良好な親子だと自己評価出来る程度だ。だが明程じゃない。多分」


「そっか。そういう物なのかな」


 何せ私は、この夏休み明けまでずっと母子家族を続けていたから、あんまりよく分からない。私が男になったら分かるのかなとも思ったけど、その実例が目の前の明一な訳で。

 ふと明一の事を見てみると、なにやらハッとした顔で私を凝視していた。


「……分かった。分かったぞ」


「今度は何?」


「成程な。成程、そういう事だったのか」


「どういう事だいワトソン君」


「簡単な事だよシャーロ……逆だ」


 あ、ホントだ。


「とにかく、俺が言いたいのは明の俺に対する性意識の薄さの所以だ」


「性意識って、普段明一が気にしているみたいな? 藪から棒な」


「そうだ。今までずっと同性の家族のみで過ごしてたんだろう? 異性に対する意識と言う物を覚えていないんだ。それか、同性への態度が身に付いてしまって、そのままソイツが俺に向けられてしまっている」


 はあ……つまり、女子校や男子校の生徒が、下ネタといった話題で盛り上がり易い、みたいな現象と共通しているという事か。

 女子校男子校うんぬんの話は、MMOゲーム上のフレンドから聞いたものだから、本当にそうなのかは知らないけど。


「つまり私は、明一の事を男として見れてない理由が、男を知らないから、と」


 はあ、なーるほど。

 確かに異性として意識する事は少ないような。



「なるほどねえ。……明一は私に男として見てもらいたいの?」


「いや、現状もある意味双子としては自然だしな。もう良いんじゃないか」


 もう良いってなんだよ。諦め口調だと何か引っかかるんだけど。


「いやいや、その話だと、明一は私の事意識してるんでしょ? 異性として」


「そうなるな。散々胸押し付けられたり、抱き付かれたりする俺も大変だと我ながら思っているが、明は別に悪気が無いならもう気にしないことにする」


「ふうん?」


「……だからって、やれと言っている訳じゃないぞ」


「さてどうだろう。私ったら、男を知らないからなあ。異性に対する恥じらいなんて無いしなあ」


 だからちょっと馴れ合おうかなー、なんて。

 わざとらしい態度でそんな事を言ってみたら、明一が一歩離れる。


「おい」


「なに?」


「噂を現実にする気か」


 ……私達の行動を知って、狂喜乱舞するクラスメイト達の事を想像する。秒で結論。それはフツーにやだ。

 なら仕方ない、少しは我慢しようか。我慢我慢。

 でも不満げな目線は送ってやる。あれでも私なりのコミュニケーションで、そんな性とかそういう物は意識していなかったのだ。


 今までの行動も、改めて思い返すと、確かに男女としては行き過ぎていた気がしないでもない。

 明一の言葉によって、彼を『もう一人の私』として見れなくなった今、これまでの行動の際どさを漸く正しく自覚する事が出来たのだった。


「……仕方ない」


「妥協してくれたようで何よりだ」


「私ばっかり妥協するのも不公平だけど」


「……じゃあどうするんだ? 流石に我慢の限界になるまで抑えろとは言わんぞ」


「んー、じゃあ、日替わりで交互に妥協するというのは? 今日の所は私は我慢するけど、明日は明一が抑えてもらうからね」


 どうかな、と如何にも名案だという自信を抱いて、考える明一の事を待つ。

 熟考と言うほど時間は掛けず、明一は直ぐに頷いた。


「そうしよう。明ばかりに負担を掛けるのは忍びない」


「まあねー。ふう、ちょっと膝借りるねえ」


 ベッドに腰かけていた明一の隣から、その膝目掛けて頭を乗せる。

 私達にしては珍しく話し込んだから、ちょっと疲れてしまった。


「はふう」


「……話聞いてたか?」


「うん?」


「いやもう……いいや」


 そう言いつつも、掌を頭に乗せてくる。

 なんだろう。いくら双子とは言え、言いたいことは言葉にしないと伝わらないのだが。なんか時々無言でも通じるけど。


「どしたの」


「なんでもない」


「ふうん」



 後日。

 二人揃ってどちらが我慢する番かを忘れてしまい、しまいには今回の件も頭の中から消えて行って、結局有耶無耶になってしまった。

 ……けど。まあ、余談という奴である。

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