残暑が冷え去る日々
母の友人だから察してはいた、と俺は思った。
「ご注文は?」
「アイスティーをお願いします」
「アイスティーを一つ。他にご希望はございますか?」
「それだけ。普通のアイスティーで良いわよ」
「はい」
静寂の中、すらすらと流れる様な会話の後、カウンターの向こうに佇んでいた俺が動き出す。耳に障らない程度にカチャカチャと食器の音が鳴り始めて、それをお客が興味深そうに見てくる。
興味津々になるのも無理はない。俺達二人は瓜二つだと言うのに男と女だ。こんな光景を見られるのは創作の世界か、この店ぐらいだろう。
「へえ……」
感心したのか、そんな風の声がお客から漏れる。
異世界転移、世界改変、歴史の改ざん。その何れかの理由によって、本来巡り合わない筈の俺達は、今こうして双子と言う関係を得て過ごす事と相成った。何度思い直しても不思議な出来事としか思えない。
二人目の俺、明の事にはもう慣れたのだが。
「アイスティー。ストレート」
「ああ」
戻ってきた明が注文を伝えるが、すでに動いている。注文票代わりのメモ帳が一ページ切り取られ、カウンター入り口前の机に置かれる。
現在俺達は、母の紹介を経て、形ばかりの面接を軽く行った後、カフェでバイトを行っている。俺はカウンターの後ろで飲み物や軽食の準備をして、明もあちらこちらの机を回って接客。そういう分担をする形になった。
明がカウンター入り口に立っている。こちらを呼ぶ客が居ない間の、明の定位置だ。別に待機場所としてそうしている訳ではなく、見渡しやすくて人通りの邪魔にならない所だ。お昼時でもなく、夕飯時でもない時間帯だから、店内の人口密度はそれほど多い訳じゃないのだけど。
「……」
「……」
気慣れない制服を整えつつ、アイスティーの完成を待っている明を横目に、熱々な紅茶を氷が満載のコップに注いで冷やしていく。注いだ後は氷ともどもスプーンで混ぜてやれば、カランコロンと涼し気な音と共に、湯気が出なくなる。
息を吐いてカンペとタイマーを一瞥。素人の俺ではこうでもしないとやっていけない。
「アイスティーだ」
「うん」
注文の品を明に預けたら、こっちで使っていた道具を整える。茶葉で付いた香りが、次に使う飲み物に移っても困るから、作った後は直ぐに洗って、そして乾かす。紅茶の香がするコーヒーも嫌だろうからな。
紅茶とコーヒーとで、どれも道具を共有している訳じゃないが。
「お待たせしました」
「ありがと。……同じ味とは言えないけど、ちゃんと美味しいよ」
「ありがとうございます」
「マスターもいい子達を捕まえたねえ。ちょっと安心したよ。……ねえね、二人って兄妹なの?」
「え? ああいや、双子です」
むむ、雑談が始まった。
共感性に欠いた俺達にとって、コミュニケーションは苦手分野だ。是非しくじらない内に会話を終えてもらいたいところだが。
「私、ここの常連なんだ。マスターがバイトを雇う話も聞いてて。……へえ、双子かあ」
「?」
「初めて見た」
「確かに、私も他の双子を知りません。ネットやテレビ越しでしか」
「だよね。へー、確かに凄くそっくりさん」
そりゃあ実質同一人物だからな。この世界としては双子という事になっているが……。同一人物にしろ双子にしろ、瓜二つなのは当然の事だ。
「どう? やってけそ?」
「……まだ昨日始めたばかりですけど、思うほど大変では無さそうです」
昨日は面接当日である日曜日だったが、面接とは名ばかりの雑談だけして、その後すぐに仕事の説明に移った。昼から晩まで教えられたものだから、仕事内容は割と頭に入っているが、転ばぬ先の……続きが思い出せない。兎に角忘れたりした時用にカンペだけ用意して、あとは仕事に専念している。味の再現のためタイマーを活用するのも忘れない。
俺にあまり接客の機会は回ってこないが、注文に関わるやり取りはかなり簡潔になるから、聞き違いとかそういう物があまりなかった。必ず一度は復唱して確認するし、メモも取る。リスクが限りなく少ないのだ。
唯一気掛かりなのが、今のような雑談なのだが……明はよくやってくれている。今の所お客の不興を買う事は無い。俺も安心して作業ができる。
「……ちょっとカウンター席に移らして」
「はい? あ、大丈夫ですけど」
「じゃ失礼〜」
さて後処理はこんな物か、とカウンター裏の備品を見渡す。あとはコップだかカップだかを洗っておくか。
そう思って流しの前に立つ。とはいえそれ程の量は溜まっていない。少しの時間だけ費やせば全て処理できるだろう。と見渡していると、カウンター前の席に誰かが座ってきた。
カウンター席の客は、直接俺が接客する段取りになっている。面倒だが、仕事なので文句を言う気は無い。
「やあやあこんばんは少年」
「はい、こんばんは」
「ね、良かったらお姉さんとお茶しない?」
俺はお茶よりコーヒーが好みなのだが。
なんて捻くれた思考を披露するつもりは無い。しかしまさか本当に付き合うつもりもない。俺は仕事中なのだ。
仕事の区切りで女性の方へ向き直ると、俺は表情の裏で眉を顰めた。さっきの女性が席を移してきただけなら別に良いのだが、あの妖しげな目線が俺に向かっている。一体なんなんだ。バジリスクでもあるまい。
「謹んでご遠慮します」
「わー、硬派。もしかして将来はマスターって呼ばれる感じの人になりたい感じ? この店には合わないから辞めときなよー」
「そうですね」
とりあえず口角を引き伸ばして営業スマイル。これぞスマイルフリー、そして俺のストレスもプライスレス。プライスレスとは値段が付けられない程高いという意。
「そうだ、名前は?」
「玉川明一です。そちらが明です」
「どうも」
「どもども、アタイの事はリエって呼んでにー」
「よろしく、リエさん」
あえて下の名前を呼ばせられている様だが、それを気にするほど情緒が豊かでは無い。軽く腰を曲げて、礼をした。
繁盛していると聞くが、まさか、マスターはお客全員とこんな会話を交わしているのか? いや流石に無いか? 少なくとも顔は覚えていそうだ。
「はー、取った取った。ようお前ら、歴戦の主婦共から割引品を勝ち取って帰ってきたぜ」
「マスター」
追加のお客も来ないので、そのまま雑談に付き合っていると、パンパンに膨らませたカバンを背負った男がやってきた。このお店のマスター、あるいは俺達の雇い主である。
晩飯時に備えての食材では無い。今日セールとして売りに出された食材を買いに出かけていたのである。ここのメニューで使う材料が安く手に入るなら、と手段を選ばない勢いだ。
「おおっ、チョーヤじゃん。お帰りい」
「うげっ。女」
「リエ姉さんと呼びなさい」
「おい双子。変なことされなかったか? もし俺に言えない事でも児童相談所を頼るといい」
たしかに時々学校でも電話番号が配られるが、全部ゴミ箱か栞代わりになっている。
「ちょっとー、人をペドフィリア扱いしないでくれる?」
「してねえ。普通ペドフィリアは中学生以下に対する性的趣向を持つヤツを示すんだ」
「そんな細かい話してないし、そんなに厳密な定義なんてない筈よ」
……なんか始まった。
「普通一般のラインだ。つまり特殊ってヤツだな。喜べ、お前は今スペシャルな特殊性癖持ちって事になる。かっけーな」
「スペシャルと特殊で被ってるじゃない。まさかとは思うけど、同じ意味だってわかってないの?」
「ちげーよ。ある英語と日本語の単語が辞書の上でイコールで結ばれたって、実際にその単語が全く同じ意味とは限らねえだろ」
「そのスペシャルって単語が特殊を意味していないと? それじゃあ──」
「お二方」「お二人さん」
いよいよ目に余る。営業スマイルの上に憤怒の表情を被せて、明は冷たい笑顔をさらに冷たくして、二人に声を掛ける。
「「カフェではお静かに」」
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