たった一つの欲の為にこの魔境に入ったのか、と私は思った。
「待ってよお姉ちゃん!」
「待たねえっつってんだろ!」
伝えられた住所へ訪れるため、歩いて30分程。住宅街の中に紛れて建っている、鳴海宅へと辿り着く。
なんの変哲もない一軒家。これを含めた他の家も敷地自体は小さく、同じ様な形状の3階建ての細長い建物を並べている様だった。
ここで騒げば、ご近所迷惑は免れないだろう。
「今までずっと何も口出ししなかったじゃねえか!」
「今回は特別! どうしても残って欲しいの!」
正にあの二人の様に。
「どうする?」
「どうにも」
「出来ないね」
「手も出せない」
私達に出来る事と言えば、傍観することくらいだ。下手に口を挟めば悪化しかねないから、そうするしかない。
見れば、どちらも頑固に粘る物だから、終わる気配は全くない。
仲裁? そういうのに関しては失敗する方が得意だから。
PZ7と、この騒ぎに関わる面倒を、天秤にかけてみる。……意外と均衡する。
「二つに一つと言うけど」
「帰るか」
「そうしよう」
「帰らないでくださぁい!」 「勝手に帰るんじゃねえ!」
えー。
というか気付いてたんなら喧嘩しないでよ。プライベートだっていうのなら兎も角、少なくとも人の面前では落ち着いた振る舞いをしてほしい。私達に混沌はもう腹一杯なんだから。
何故彼女らがああして喧嘩しているのかは、両者から事情を多少聞いていた者としては大体察しが付く。姉の方が出て行こうとして、妹が引き留めている。まあコレだろう。コレ以外に何があるのやら。
「……で、何時まで喧嘩するの?」
「家の中に戻ってくれるまでです!」 「コイツが諦めるまでだ!」
下手したら私らが帰っても喧嘩し続けそうだな、この姉妹。
「聞いてくださいよ玉川さん! ずっと前から土日は家に居てって言ってるのに、いきなり朝から出かけようとするんですよ!」
「うるっさい! ずっと朝から引き留めるお前も頭おかしいんだよ!」
「え、朝からずっと喧嘩してたの」
うっそ。私だったら既に撤退してるか喉枯らしてるよ。それか寝てる。
「お前らも言ってやれよ! 私には大事な用事で出なきゃいけないってな!」
「今日のスーパーのセールは5時からです!」
「ぜんっぜん大事な用事じゃねえじゃんか! 関係ねぇし頼まれたとしても行かねえよ!」
「普通にお使い行ってくれるじゃないですか! この前のセールでのんびりくつろいでたお母さんが証拠です!」
「ぐう……!」
ぐうの音が出ちゃったよ。……本当に、なんでファッション不良してるんだろう。この人。
聞けば聞くほど理解に苦しむ。喧嘩の理由もそうだが、両者の内心も特に。私らには人の事は理解できないが、今はもっと出来ない。これだったら宇宙の真理の方がよっぽど簡単に解き明かせそうだ。
「二人とも」
「なんですか?!」 「なんだァ?!」
「とにかく、家に入れてくれ」
なんで二人ともキレ気味なの。
・
・
・
渋々、と言った風に姉も一緒に玄関の奥へ引っ込んで、続いて家の中を案内される。
姉妹と言うだけあって、女性の割合が多い故に花の香りが強い。と思ったら玄関先にそういう芳香剤が置かれてた。
「はあ、ったく……」
「お昼は食べました?」
「うん」
「道中で」
土曜も母は仕事で不在なので、普段から週末の昼は外食である。
「良かったです。朝からずっとキッチンに立ってる暇が無かったので、何にも用意してなかったんです」
「へえ」
「そうなのか」
……。
ぐう。と妹さんから腹の音が鳴る。次いで姉さんからぐぅと鳴った。
「いや」「自分の分は食べてよ」
「いえ、流石にお客さんを放っておいて食事にするのは……」
「食え」
「あ、はい」
明一が声を低くして言ったら、妹さんがキッチンの方にすっ飛んで行った。それで良し。
……って、戻ってきた。
「あ、でもお姉さんは逃がさないでくださいね!」
「動物扱いかよ」
「お姉さんは玉川さんたちとじっくりお話しててください!」
……また行った。
「はあ……。こんなに強引なのは初めてだよもぅ……」
「ファッション不良しなくて良いの?」
「ファッショ……、まあ認めるわよ。あんな醜態晒しておいて隠し通せるとか思ってないもの。今隠す相手といったら妹ぐらいよ」
ふぅん。
「とりあえず、妹から頼まれた事を伝えておくか」
「言わなくても良いわ。どんな内容かなんて分かりきってるし」
「一応だ」
「そう」
無関心な様子だが、まあ頼まれ事はとりあえず済ます事にしたい。やって失敗するのはともかく、やらないという選択肢は無いから。
「簡潔に、妹と仲直りしてください」
「無理」
「だろうな」
ま、言うだけ言った。
「やっぱり、ファッション不良なんかをする理由が関係してたり?」
「りり、理由なんて無いわよ! 元々こんなんだし!」
いきなり慌てるじゃん。あんまり音量上げると妹さんに聞こえるかもしれないのだが。
「二人揃って睨むなぁ!」
まあ、理由の件に関しては別に良いか。
姉妹揃って踏み込ませないなら、遠慮なくそうする。
しかしこの姉妹、意見が対立しているんだよね。姉が帰れと言って、妹が戻って来いと言って来れば私たちはどうしようも無くなる。今はそこのところは大丈夫だけれど……。
どっちの言葉も無視出来れば良いんだけど、そこは社会生物としてどうなんだという感じで抵抗がある。人間であるからには、人間らしく在る義務がある。
「まあ、言う事は言った。で、そっちの頼み事も済ませないと行けないが」
妹と遊べ、との事だ。具体的な意図は分からないが、とりあえずゲーム何かで親睦を深めるつもりである。
で、実行するからには妹を連れ出さなきゃならないのだが。
「……肝心の妹は料理中だね」
「……」
料理中の所に割り入って、「遊ぼうよ」なんて言えない。せめて代わりにキッチンに立ってくれる人が居ればいいのだが……。
「というか、両親はどうしたの」
「妹が言いくるめて、今はカフェのクーポン券でデート中よ」
確かに、私達と姉さんとで三人っきりにするつもりだったみたいだし。それなら……。
「な、なに見てんのよ」
「これから姉の方から受けた依頼を行うが、肝心の妹が料理中だ。代わってくれるだろうか?」
「か、代わるって?」
「ああ」
そっちから言ったことだ。協力しないだなんて事は無い筈だ。
「……分かったわよ」
「よし、代わったらこっちに来るように言ってくれ」
「はいはい。もう」
それにしても、人の家に立ち入るっていうのは中々慣れない。手短な所に愛用のパソコンが無いから、暇が出来ると忙しない気分になるのだ。
そもそも訪れる家以前に、友人というのが居なかったから慣れないのは当然なのだけれど。
寛げない気分で何とか寛ごうとしていると、向こうから聞こえていた姉妹の話し声が、途端に大音量になって聞こえてくる。勿論その一番手は姉さんの方だった。
「良いからさっさとあっち行けって!」
「分かりました! 分かりましたからちょっとだけ待ってください!」
「料理なら代わるから、ほら!」
「え!」
……家の中でも騒ぐなあ、あの姉妹。
しばらく待てば、妹さんの方が戻ってきた。何故かその顔には喜びで満ちている様に見えた。
「玉川さん玉川さん!」
はい玉川さん達です。
「凄いです! 数分もしてないのにお料理を手伝ってくれるどころか、代わってくれるって!」
「……あー」
「ついにお姉ちゃんにも家族愛があるって、思い出してくれたんですよ! 玉川さん達のお陰です!」
そうなるのか、そう思ってしまうのか。なるほど、私達の特殊技能『誤解』がこんな所で出てくるか。しかも姉さんも巻き込んで。
「そうだね」 「良かったな」
とりあえずそういう事にしておいた。
結果オーライと言う物だ。不完全に終わると思われた妹側の依頼は、思わぬところで達成した。妹の主観でだが。
とりあえず話を合わせて置く。真実を告げる口は私らには無いから、思いっきりの虚実を吐き出す。
「でも何割かは気紛れかもね」
「まあ安心しきるにも早いと思う」
「そうですか? うーん……」
ここまですっとぼけた嘘を吐くのも初めてだ。
「そう、かもしれませんけど……でも、大きな第一歩ですよねっ!」
しかし妹さんは相変わらず前向きなオーラを滲み出している。この子には負の概念が無いとさえ思えるくらい。
むなしい一歩だ。私達は目をそらした。
・
・
・
完成した二人分の料理が机に並んで、二人が食事している間、私達は眺めるにもいかず、世間話をするにも気が進まない……と思っていたのだが、妹さんが色々な話題を投げかけてくるものだから、暇つぶしに携帯を弄る事も出来なかった。
「その時のお姉ちゃんが────」
「うん」
それで、私達の第一目標であるPZ7なのだが。妹さんの話では姉さんの所有物らしい。事前に話は通しているが、一応使用許可をと思っておきたい。
「本当にカッコ良くて────」
「そうだな」
「凄い」
「所で」
「あ、アルバム見ますか?!」
「うん」
「それじゃあこの後一緒に見ましょう!」
「うん……」
話を切り出す隙間が無い。馴染みのパターンである。
時々、人との会話が格ゲーに似ていると思う事がある。話題の連結、派生といったコンボが継ぎ目も見えない程に続けられると、自分の行動が封じられるのだ。最悪の場合は無限コンボ。フルHPがゼロになるまで続く地獄である。或いは時間切れか。
「そういえば」
「確か玉川さん達ってお互いの事を何て呼んでるんですか?」
「……名前呼びだよ」
「同じく」
「そうなんですか! 私も名前で呼んだ方が良いんですかね」
「さあ」
「うーん……。百々子ちゃん!」
姉さんが眉を顰める。なのに頬は緩んでる。
向きを変えた妹さんの言葉の矛先に、私達は胸をなでおろす。
「お姉ちゃんなのにちゃん付けは違うかな……。百々子さん、も違いますね。ここはもう呼び捨て……いや、あだ名で呼んじゃいましょう!」
「そ、そんなのどうでも良いっての!」
「そんなこと言わないでよー! あ、モッコーはどう?」
「なんだよそのモロッコみたいな響きは! イヤだって!」
妹さんから溢れる正の感情で、妙にハイなテンションだ。
姉さんの方はかなり居心地悪そうにしている。今にも食事を中断して家を飛び出しそうだ。某王国に似た響きのあだ名も気に入らない様子。
「じゃあじゃあ! モモン!」
「あだ名なんか要らねえだろ! もう良い!」
あ。
「あ……、あはは、行っちゃいましたね」
家を出て行きはしなかったが、階段を上がって行ってしまった。少しして聞こえてきた扉の音からして、自室に籠ったらしい。
「……何が行けなかったんでしょう?」
そんなの知らないよ。
二人揃って目を逸らして、答えを逃れる事にした。
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