先輩のターン

 今日は後輩が運動部の方に行っていて、文芸部は朝から私一人の活動となっている。先輩の作った質素な看板が目印のドアを開けると、昨日から締め切っていたことによる少し蒸し暑い空気が外に流れてきた。

 暑さに耐えながら部室の窓を全開にして空気の流れを作り出す。換気はそんなに長い時間はかからないことは既に分かっている。運動場には体操着を着た生徒が若干名、あの中に後輩のあの子もいるのだろう。室温が下がるまではやる気が何も起こらないのはわかっているから、窓にもたれかかってあの子を探す。目立たないあの子のことだ、前に探したときはすごい時間がかかったしまあまあな時間がかかるだろうと思っていたけども、想定よりも早く見つけることができた。

 じっと見つめていたら彼女もこっちに気が付いて手を振ってきた。私も先輩の余裕をもって振り返す。部屋の温度も下がったことだしいつもの定位置に移動して原稿用紙を取り出し…………机に突っ伏した。私にはまだこんなことを悠々とはできない。火照る顔を扇子で冷やそうとするができないあたりが私の限界を如実に表しているようで少し複雑だ。こんなことでは彼女に顔合わせできない。

 結局午前中は何も手がつかないまま終わってしまった。


「こんにちはー」

 そうこうしているうちに彼女がやってきた。ちょうど自分の分の紅茶を入れているタイミングだったからちょうどいい、少しいたずらでもしてみよう。アイスティーの準備をしたカップは一つしかないのも都合が良い。ちょうど彼女も飲み物を欲しているようだし。

「はい、紅茶」

「ってなんでホットなんですか!!」

 切れ味十分で心地の良いツッコミ。これが聞きたいがために彼女にいたずらを仕掛けてしまうのはしょうがないと思う。かわいいし。

 その後、ほんの少しの冷蔵庫の扱いに関するバトルを繰り広げた末に彼女は私のアイスティーを奪い取って一気に半分ほど飲み干した。……私が一口でも飲んでおけば間接キスになったのが残念だと、ふと私が思いついてしまったのが彼女の運の尽き。まぁ、彼女には私が飲んでないことなど言わないでおこうとは思っているが。いや、ここからでも間接キスにすることは可能なのだろう。もちろん私もノーダメージで済むわけではないのだろうけども、彼女の慌てる姿が見れるのならば安いものだ。

 そういうわけで私は、彼女の口づけしたカップを手にして、残り半分を飲み干した。それを見た彼女は顔を真っ赤にしてあぅあぅとだけ言って、そして気を失った。

 彼女の体に負担がかからないように椅子を二つ向かい合わせにして簡易ベッドのようにする。猛暑の襲う夏だから戸棚の奥深くに封印していたひざ掛けの中から薄手のあまり暑くないやつを引っ張り出して背中の痛みを最大限軽減するようにして彼女を寝かした。気持ちよさそうに、まったく警戒心を持たないですやすやと寝ている彼女を、近くまで持ってきた椅子に逆向きに座ってのんびりと眺める。そういえば昔、彼女と好きな小説の話をしていたときに好きなシーンとして主人公が膝枕をしているところを挙げていたのを思い出してしまった。まあここは膝枕する以外の選択肢は当然ないわけだな。


「……はっ」

 気が付いたら外は既に日が落ち始めてほのかに赤みを帯び始めていた。目の前には私の膝の上で寝ている彼女の姿、真っ黒できれいな髪に長いまつ毛。血色豊かで少し緩んだ頬と真っ赤な唇。彼女にキスをする前に起きてくれないと困る。ひじょーに困る。寝かせておきたいと思う私の中の天使を黙殺しながら彼女の肩をたたいて起こす。

 目を覚ましたものの私の膝の上にいるということに驚いた彼女が少し慌てたものの、私がさっさと帰り支度を始めているのを見てすでに下校しないといけない時間に近づいていることに気が付いて帰り支度を始めた。


「それじゃあまた明日」

 ドアにカギをして私は彼女に告げる。この瞬間だけは何度やっても少し残念に感じてしまう。そもそも私は生粋の文学部陰キャラで彼女は運動部、交わるはずもなかった二人の運命の糸が何の因果か交差してしまっただけの細い関係性で、彼女との別れは縁の切れ目を想起されてしまうという心の弱さが原因なのだろうが……。

「あっ、えっと」

 少し暗くなってしまった顔が見られてしまったが、彼女が怪訝そうな声を向けてきて、それが私に少し冷静な、それでいて熱に浮かされた思考を呼び戻してくれた。あぁ、やっぱり彼女が好きだ。この流れでもう一つ……。

「ちょっとこっち向いて」

 怪訝な顔でこっちを向いた彼女の唇を、奪ってやった。

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