Re:birth-3



 芹沢とは喫茶店以外の場所でも会うようになった。いつも彼が指定した個室の店に足を運んだ。大体が青山、代官山で少し面倒臭いなと思っていた。


 最初、ほかに女がいるだろうと決めつけていたけれど、彼から女の気配をあまり感じなかった。他の子としか行かない個室の店もあるかもしれない。疑いだしたらキリがないけどやはり疑ってしまう。


わたしは彼と大学では話さなくなったけれど、大学で、彼がほかの女の子と話している姿を見るとその女に殺意を抱くようになった。自分が自分じゃなくなるような、猟期的な自分がどんどん芽生えていった。


 これが「好き」ということなのかもしれない。鏡を見るとわたしはずっと似ていないと思っていたママに似て来たような気がした、


ママがわたしに憑りついているような錯覚に陥った。


 芹沢ははっきりと付き合ってほしいなんて言わなかった。だけど、彼の気持ちには気づいていた。スタンスはどういうものなんだかわからないからわざと悪いように捉えていた。どうせ、体目当てだろうと。どうせこういう男は一回をしてしまったら、もう二度と触れてくれない気がする。でも、いつまでも気を持たせるようなことをし続けたら飽きるだろうから飽きられるのを待つしかない。


 連絡が来ないと情緒不安定になるようになった。「仕事だった」という連絡で安堵したけれど疑心暗鬼にはなっていた。芹沢の出演した作品を片っ端から調べて全部観た。キスシーンもベッドシーンも全部観て自分のこころを汚した。観終わった後泣いたり吐いたりすることもあった。――きっと、ママは子どもたちにパパの出演作を観せたくなかったのではない。自分が、観たくなかったんだろう。


 最後に、芹沢とパパが共演した作品を観た。映像の中には「赤石麻也」というひとはいなくて、ちゃんとその作品の人物だった。だから客観的に観られた。役者として立派だなとひとごとのように思えた。でも、ママにとってパパはずっと、彼女の愛した「麻也」という男だったのだろう。


「パパと共演した映画観たよ」


 芹沢にメールを送った。彼からの返事はそれから一日後だった。


「きのう麻也さんに会ってきみのことを話したら会いたいと言っていた」と返ってきた。


 考えてみたら、わたしはパパと直接連絡を取る手段を、はじめて携帯を持った日からずっと持っていなかった。いつも、ママか父方の祖父を通さないと連絡が取れなかった。


「別に会ってもいいよ」


 そんな返事を返してしまったけれど会っても会わなくても本当にどっちでもよかった。ほかのきょうだいに連絡を取ってもよかったけれど彼らが父親に対して何を思っているかもわからなかったから、まずはひとりで会うことにした。


 


 芹沢を通してパパの連絡先を知り、六本木のパパが指定した個室のイタリアンの店で待ち合わせた。


 赤石の名で案内してもらうとすでにパパが居た。


「久しぶり」


 パパは、今年で四十二歳になる。年齢という枠組みから逸脱している。最後に会った三十七歳のときから五年も経っているというのにその五年を感じなかった。


「きよかに、似てきたな」


 タブーだと思っていた名を、パパは早速に口にした。


「芹沢くんにはにパパに似てるって言われたけど」


 パパは薄笑みを浮かべた。


「樹里も瑠奈も高也も直也もららもみんなパパには似てないよ」


 たしかに誰もパパには似ていないおかげですんなりよそ者扱いすることができていた。


 コース料理が運ばれてきてそれを少しずつ口に運んだ。パパは改築した家のこと、一人暮らしの家のこと、高校のときはどうだったとか、いまの大学のことなどいろいろと訊いてきた。


 わたしはだいたい「悪くない」と適当に返して穏便に終わらせようとしていた。ほんとうは、弟と妹たちは父に対して激しい恨みを持っていた。当然だと思った。世間的には父の浮気が原因で母親が自殺し、挙句父は子ども達と会わないようにしていたのだから。


パパは単にわたしに会いたかっただけなのか、何か話したいことがあるのかともやもやしてきたところ、パパが「樹里」と引き締まった声で言った。


「お前たちには迷惑かけたよ。ごめんな」


 まったく申し訳なくなさそうにパパは言った。


「あの日のことなんだけど」


「あの日?」


「週刊誌に撮られたあの日」


 あの日。たぶん彼の人生の中でその日がなければ、彼は最愛のひとを失うことがなかったはずだ。


「ドラマでも共演したことがある子だったんだ。相談があるって言われてそれで、食事をした。その後俺はホテルに行ってない。記事を見て思ったよ。ハメられたんだなって」


 そんな安いつくり話があるだろうか。いや、あまりにもチャチすぎるから逆に本当のような気がした。


「きよかにも、ちゃんと話したんだけど、アイツは、ほんとう、疑い深いんだ。子どもの頃からさ。俺はたくさん弁解してきたよ」


 あの日、ママに話をするパパの目を見てわたしも瑠奈もパパが嘘を吐いているなんて思えなかった。


「きよかは、きっと俺に芸能人になんてなって欲しくなかったんだと思う」


 いまでは、ママの気持ちがわかるようになってしまった。多分、いや、絶対芸能人になんてなって欲しくなかったはずだ。


「きよかはいつも麻也の好きにするのがいちばんって言ってくれてた。俺は、そのことばに甘えすぎてたんだろうな」


 悔やんでも悔やみきれないパパの表情を見ているのが辛かった。


「きよかはずっと、自分に自信がなかったから。わたしは麻也と釣り合わないっていままで何べんも言われたよ。だから芸能界入りしても恋人がいると公言していたし、きよかが大学を卒業してすぐに結婚した」


 きょうまでパパのことを何ひとつ知らなかった。彼は自分のできる範囲で正しく生きようとしていたのかもしれない。どうしてママの疑いの壁を越えられなかったんだろう。


「何もないのは俺の方だったんだ。きよかは頭もいいし、夢だってあった。俺はいまの事務所にスカウトされたとき思ったよ。ようやく俺にも未来が拓けたって」


 黙って食事を続けた。


「きよかが死んで何年経ったか数えてないけど、それでも毎日毎日愛しいんだ」


 パパは、まだママを失えずにいる。現在形で、ママのことを話す。


 わたしはずっとママみたいになりたくないと思っていた。でも、いま、ママがうらやましい。こんなにも、誰かに深く愛してもらえること。考えてもいないのに芹沢の顔が頭に浮かんできた。


 パパは鞄からファイルを取り出し、その中から封筒を開き、紙を広げた。


”ウソつき。わたしだけを愛してくれるっていったじゃない”


 背筋が凍り、息が詰まった。遺書だ。ママの字だと思えないくらいの殴り書きだった。これを書いたときのママの気持ちはまったく想像できなかった。


「きよかがいなくなって役者の仕事ができなくなった。いつも、日常にちゃんと戻ってこられたのはきよかが居たからだった。でももう、いないから、俺の所為で」


 パパは涙をこらえているようだった。


「俺は、あいつにふつうの生活をさせてやれなかった」


 きっと、わたしたちはすべてが異常だった。


 栄養のバランスが考えられていた食事。大量に飲んでいたサプリ。毎日家に届く配達物。ママは必死だった。ずっと、パパにふさわしい女でいること。でも、きっと、パパからしたらママが美しいことに価値なんてなかった。そのことにママが気づけていなかった。どんな姿であれ、パパにとってはママがママでありさえいればよかったのだから。わたしたちからしてもそうだ。ママが居てくれたらそれでよかった。


「ごめんな樹里」


 わたしは首を横に振った。


 パパに言うことばが見つからなかった。


「俺はお前たちからすべてを奪ってしまった」


 わたしは頷けなかった。


「誰もパパのことを許さないと思う」


 パパは黙って頷いた。


「だから一生引きずって生きてね」


 忘れないでほしかった。わたしたちのこと、ママのこと。


 「偶にこうして会おう」とパパに言った。パパは迷いながら頷いた。


「今度は高也や直也やららと会って。ららなんて、親が恋しい時期に離れ離れになっちゃったんだから」


 そうだよな、ごめんとパパは小さく言った。


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