Re:birth-2


 偶然とは恐ろしいもので、その男とは大学以外でも顔を合わせることが多くなった。


 たとえば駅前の本屋、喫茶店、隣町の服屋の前。男はいつも黒い服を着ていたし、わたしもいつも黒い服を着ていた。


 男は「あ、麻也さんの娘さん」とわたしのことを言い、わたしはそれに対し、会釈するだけだった。


 四回目、大学の図書館で偶然出会ったとき、「お茶でもしない?」と誘ってきた。面倒臭かったけれど断らなかった。


 二回目に偶然出会った駅前の喫茶店に行き、わたしはシフォンケーキとロイヤルミルクティーを頼み、男はコーヒーを頼んだ。店は閑散としていて、煙草と埃の匂いが混ざっていたが不快ではなかった。


「わたしは、赤石樹里です。麻也さんの娘っていう名前じゃないの」


 ああ、と言って男は笑った。


「俺は芹沢大和」


 名前のわからない黒い細い男としか認識していなかったけれど芹沢大和という名を知った途端、この男がわたしの世界に入り込んできた気がした。


「知らなくてごめんなさい。テレビを観る習慣があまりないの」


「そうなんだ。麻也さんが出演した作品も観ないの?」


「うん。ひとつも観たことがない」


「舞台とか観に来たことないの?」


「舞台に出てたの?」


 彼は唖然とした顔をした後、笑った。


「知らないんだ」


「ママが、見せようとしなかったから」


 彼は低い声でああと言った。


「麻也さんは愛妻家だって噂だったよ」


 “だった”と言われてしまって、ママのことが過去形にされているのが少し辛かった。


「パパと共演したのいつなの?」


「中一のときだから六年前かな」


「そんなに前から芸能界にいるのね」


 六年前なら、まだママが生きていた。


「麻也さんってデビューした頃からずっと彼女が居ますって公言してたんだろ? 珍しいよな」


 そのことはママが少し恥じらいながら教えてくれた。


「それが、芸能界入りする条件だったとか」


「へぇ。まあ、麻也さんくらいのポテンシャルだったらそういうの許されたのかもな。ほんと、すげーもん」


 どうすごいのかわからないからそう言われてもまったくの他人事のように思えた。


「樹里ちゃんは芸能界に興味ないんだ?」


「全然」


 いま思えば家の近くにいつも止まっていた黒い車。瑠奈の言う通り「異常」な生活をしていた。


「趣味はあるの?」


「無趣味。強いて言うなら読書かな」


「いいね」


 芹沢の、バランスの取れた顔を見ていた。カッコいいとは思わないけれど悪くはない顔。見ていて癒される顔。


 店を出るとすっかり暗くなっていて、芹沢が「送るよ」と言ったのを断った。「クールだね」と笑われた。


「連絡先交換しない?」


 交換したところで連絡しないだろうと思ってすんなり交換した。


「またね」と芹沢は言ったけどわたしは「さよなら」と言った。


 自宅に戻り、パソコンを開いて「芹沢大和」と入力した。検索ボタンを押すと眩暈がするほどの芹沢の情報が出て来てうんざりした。それから「赤石麻也」と検索した。よく検索されているワードで「赤石麻也 妻 死因」というのがあって、嫌になってウインドウを閉じた。


 どうして、よく知りもしない他人のことをこうやってハイエナみたいに嗅ぎまわるひとがいるんだろう。


 


 芹沢は毎日のように連絡をしてきた。わたしはそれに対して返信をしたりしなかったりした。


 徐々に大学で「芹沢大和がいる」ということが話題になり、彼の周りにひとだかりができるようになった。わたしはそれを遠くから見ていた。


 芹沢と知り合いであることを伊代に話すと「さすが」と言われたけれど何がさすがなのかわからなかったし、それ以来ほかの子には芹沢の話をするのをやめたし、大学で芹沢に会ってもそっけない態度を取った。


 芹沢と会うのはいつも、人気のない喫茶店だった。


「ここで会う樹里ちゃんのほうがいいな」


 彼はアイスコーヒーにミルクとシロップを入れてかき混ぜながらそう言った。


「大学で会う樹里ちゃんは俺のことを虫ケラを見るような目をしている」


「そんなことないよ」


 言われてみればそうかもしれない。


「だから、ここで会うほうがいい」


 大学で、女の友だちと会うよりも彼と会うほうがなんとなく気が休まる。無理をしなくていい相手だからなのかもしれない。


「今度、映画とか観ようよ」


「映画? いい。興味ないから」


 彼は虚脱し笑った。


「ほんとにきみは、ツレないなぁ」


 話す内容はだいたい大学のことだったり、自宅の近くの店の話だったり、他愛のないことばかりだった。


 芹沢の笑う顔が好きだと思った。


「芹沢くんは、どういう子と付き合ってるの?」


 徐々に芹沢に近づきそうになる自分の気持ちを引き離したかった。ママが死んでからひとを好きにならなかった。高校時代、男の子に告白されたことがあって二週間だけ付き合ったけど相手のことをどんどん好きになるのがわかって自分から別れを告げた。ママのように「好き」という気持ちに飲み込まれるのが異常に恐かった。


「いまは彼女いないよ」


「ふぅん」


 この言い方は彼女かどうかわからない相手なら居るということだろうと邪推した。


 彼は何かを言いたげな顔をしてわたしの顔を見た。でも、気づかないふりをして目を合わせなかった。


 

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