Mother -2

 わたしのママはいつも完璧だった。


 いつも笑顔で、怒っているところを見たことがない。わたしたちきょうだいが悪いことをしていたら注意はするけれど、怒りを出すことなく、いつも優しく何が悪いのか教えてくれた。家はいつも埃ひとつなく、どこもかしこも完璧に磨かれていて、料理も上手だったし、栄養のバランスが考えられていた。そして、何より美しかった。公園や、学校の授業参観、スーパーで出会うひと、皆ママより美しいひとなどいなかった。


自分で言うのもなんだけど、我が家は街で一番大きな家だった。そこに、基本的にママと五人のきょうだいで暮らしていた。


 パパは芸能人をしているらしい。


 家のテレビはいつも黒い鏡みたいで一度もパパのことを映すことがなかった。リモコンはいつもママが持っていて、ママの許可のない番組は見ることができなかったけれど、友だちの家みたいにNHK以外は見せないみたいな縛りはなかった。ただ、頼んでも見せてくれない番組はあった。そういうとき、ママは困った顔をして「どうしても」ということばに逃げた。パパが出てるから見せたくなかったのはわかるけれどどうしてあんなに頑なに見せようとしなかったのかはわからない。


 わたしが幼稚園生の頃、ママと双子の妹の瑠奈と三人で公園に行ったときのことだ。ママの姿を確認すると、近所のおばさんがママに駆け寄ってきた。


「赤石さん、観ましたよ。きのうのドラマ、凄かったですね」


 ママは何も言わなかった。ママが唇をきゅっと締めるのを見て瑠奈を連れて向こうに行くべきだと思った。だけど、そのまま見ていたかった。


「はぁ」


 ママは無表情でそう言った。


「でも」


 おばさんは恥じらうような、見方によっては馬鹿にしているように見える笑みを浮かべた。


「旦那様のキスシーンなんて、見てて辛くならないの?」


 ママは一瞬、汚物を見るような目をしてすぐに微笑んだ。


「仕事ですので」


 キス。パパはママじゃないひとともキスをする仕事をしているんだ。それがおおごとなのか、そうじゃないのかもそのときはわからなかった。


 パパはまったく帰ってこないわけではない。わたしたちが小学校に出かける時間に帰ってくることもあったし、知らないうちに帰ってきて知らないうちに出掛けているようでもあった。ママだけがパパの動向を知っていた。父親ってそういうものだとずっと思っていたけれど、他の家のパパが毎晩帰ってくるときいてショックを受けた。逆に母親が働きに出るということも衝撃的だった。我が家にとってママがこの家の主であり、管理者のような存在だったから。それに、パパさえ帰ってこなければママが「女」ではなく、「母親」でいてくれることが嬉しかった。


 芸能人の子どもであるという理由で学校で特別扱いされることはなかった。自分たちの父親が何をしているかよくわからないという風にしておけばひけらかさずに済むとママは考えていたからパパの出ている番組を見せなかったのかもしれない。小学五年生にもなるとクラスメートもわたしがパパの出ているドラマを観ていないことを知っていたから触れてこなかった。


 ある日、クラスの男子に「お前んちって何人きょうだいだっけ?」と訊かれた。「五人」と言うと大笑いした。


「随分親の仲がいいんだな」


 クラスの子は大体一人っ子で多くて三人兄弟だった。


 誰かが「樹里ちゃんのとこはお金持ちだからー」とよくわからないフォローをしたが、「親の仲がいい」と言われたことに殺意を覚えた。誰に何を言われてもママとパパの仲の良さをわたしは受け入れられない。


 それから数日後、クラスの女子四人で沙羅ちゃんの家に集まって、漫画の話をした。わたしはあまり漫画に興味がなかったので自分から買うことはしなかったけれど、たまにこうやって集まって漫画好きの舞美ちゃんがいろいろ教えてくれていた。


「これなんだけどさぁ」


 舞美ちゃんが少し恥ずかしそうにしながら少女漫画ではなさそうな漫画を捲ってみせた。


「面白いだんだけどちょっとエッチなんだよね」


 裸の男女がベッドの上で何かをしている姿が描かれていたが、何をしているのかちょっとよくわからなかった。


「えー」


 希恵ちゃんと沙羅ちゃんが「セックスだ」と笑っていて、わたしも動揺しながら同調した。


 みんな各々興味深く舞美ちゃんの漫画を読んだ。


 沙羅ちゃんが突然「ウチの親もこういうことしてるんだよね」と口にした。


 希恵ちゃんが「だってそうじゃないとウチら生まれてきてないじゃん」と笑った。


 わたしはよくわからなかったけれどわかったふりをしていた。


 ママとパパも?


 改めてもう一度ページを捲った。男のひとを受け入れる女のひとはすごく気持ちがよさそうに笑っていた。


 わたしはこのときまで、どうやって子どもをつくるかなんてしらなかった。


 いろいろ考えすぎて、半ば頭を真っ白にしながらその日は家に帰った。わたしが知らないところでクラスメートたちはいろんな知識を持っていた。ただ、誰も親のセックスは見たことがないと言っていた。希恵ちゃんが「でも樹里ちゃんのパパはさー」と言って舞美ちゃんに制されていたのでパパはそういうシーンのあるドラマや映画に出たことがあるのかもしれない。


 家に帰るとママとパパがキッチンに並んで経っていた。なんできょうに限っているのか。悪夢だ。


 パパはママの横で夕飯づくりの手伝いをしていた。よそ者なんだからそんなことしなくていいのに。


「樹里お帰り」


 パパが大きく笑った。


 パパとは顔が、あまりにも似てなすぎて血が繋がっているとは思えない。かといってママにも似ていないからときどき、わたしはほんとうにふたりの子どもなのかと疑っていた。


 あの漫画のようにママとパパがあんなことするわけない。そう思うのに考えれば考えるほど気持ちが悪くなった。


 ママのかき混ぜる鍋からカレーの匂いがして気持ちが悪くなった。


「ママ、わたしきょう夕飯要らない」


「え、どうして? 具合でも悪いの?」


 わたしが頷くとママが近寄ってきて額に手をあてた。ひんやりとしたママの手が気持ちよかったし、ママの匂いが大好きだった。


「熱はないみたいね。食べられるようになったら食べなさい。部屋で休んで」


 パパの表情を盗み見ると少しショックを受けたような顔をしていた。


「樹里大丈夫か?」


 わたしは黙って頷いてリビングを出た。


 二階の自分の部屋に行き、空腹なんてまるで感じていなかったからそのまま眠った。


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