終幕
民生お兄ちゃんと校門で別れて教室に着いたら、始業前にみんなが急に立ち上がって一斉に教室を出てしまった。もちろん、先生も。
みんなを引き止めようと声を上げたけれど、アマネの声なんか聞こえてないみたいで、誰もその動きを止めようとはしなかた。
怖かった。
もう半狂乱になって、先生の腕をつかんだけれど、振り払われて尻もちをついちゃった。
このままアマネだけ、置いて行かれちゃうんじゃないかって。ひとりになっちゃうんじゃないかって。どうしようもなく不安で、涙が出てきそうになった。
みんなに遅れて教室の外に出た。外はいつも通りで、遠くに虹色のフィルタが街を覆っていた。あれで天候を操作したり、災害からアマネたちを守ったりしてるって、二年生の時に習った。
まだ、お尻がじんじんする。
クラスのみんなはもう、どこかへいなくなっていた。
とぼとぼと、足を動かそうとするんだけど、どうしようもない、心臓が痛くなるくらいの不安で、身体が思うように動かなくなる。
「助けて……。民生お兄ちゃん……」
口から出たのは、大事な大事なお兄ちゃんの名前。
こないだの夕方に、台所で一緒に料理してるときに、包丁でニンジンを切る時の音を利用してアマネがその場で言葉を紡いだら、泣き出しちゃったお兄ちゃん。あれはびっくりした。
アマネもそんなこと初めてやったから、すごい発明をしたと思って嬉しかった。お兄ちゃんに教えたくて、何回も歌っちゃった。二階から戻ってきたお兄ちゃんは辛そうな表情で、それは『歌』っていうんだって教えてくれた。
でもお兄ちゃんを泣かせちゃったから、あれ以来もう唄ってない。きっともう、あんなことはしないと思う。だって誰かを、お兄ちゃんを悲しませるようなことなんて、アマネはしたくないもん。みんな笑って、ずっと一緒に過ごしたいもん。
「お兄ちゃん…………」
お兄ちゃんの笑顔を思い出して、ついにぽろぽろと涙が目からこぼれてしまった。中等部へ続く廊下でへたりこんでしまう。
「お兄ちゃんっ!どこーっ!?」
辛くて、悲しくて、世界に自分しかいないみたいでイヤで、すごくイヤで、アマネは思わず叫んじゃった。普段は絶対に出さないような大きな声が、べそをかくアマネから出ている。
でも。
なにも、返ってこなかった。
お兄ちゃんも、みんなみたいに、どこかに行っちゃったの?
「……………………っ!」
誰かが、お兄ちゃんを呼んでいる声が聞こえた気がした。
◇
「…………みおくんっ!民生くんっ!民生くんってばぁっ!」
遠くからパミナちゃんの声がする。そういえば胸を突き破られたような気がするけれど、あれって絶対に致命傷だよね。僕ってば、妹に会えずに死んじゃったのか。
だとしたら天国でパミナちゃんの声がまた聞けるなんて、それは……
「それは、まさに天国だね」
そう言ったつもりだったんだけど、僕の声は所々にザラザラとしたノイズが入っていた。目も開けたつもりなんだけれど、真っ暗なままで視界は戻らない。視覚テトラドワイヤも動力系統と一緒に吹っ飛ばされたわけだ。壊れちゃったんだろう。
こんな状態でよく
「……ごめんっ、ごめんなさいっ。民生く……ん。こんな……、こんなことに……」
「泣かないで、パミナちゃん」
泣きじゃくってるパミナちゃんの声に、僕は答える。ノイズが邪魔だな。推しにちゃんと伝わるように言いたいのに。
「こっちこそ、及ばなくてごめん」
僕は続けた。大好きなパミナちゃんに、カッコイイとこ、見せられなかった。
「謝ることなんてなにもないよぉっ!私がもっと……、…………!あの魔女をもう…………、引き留めていら…………」
聴覚システムにも異常がでてきたみたいだ。あまり時間は残されてないみたい。そんな僕が、最期に、彼女に伝えたいこと。
僕は深呼吸をした。
いや、胸にぽっかり穴が空いているわけだから、ほんの形だけなんだけど。
でもそれで、僕の覚悟は決まった。
「パミナちゃん。……大好きだ。僕は……、君の配信を初めて観た時から、君のことが好きだ。これからもずっと……、あまり……、時間は……、残されてないけれど。僕は君のことが、好きだ」
「……………………」
「愛してる」
彼女はなにか言ってくれたのだろうか。僕の言葉は、彼女に届いたのだろうか。
息をのむ音が、聞こえた気がした。
「私も、あ………っ!一人のファンとしてじゃな……!…………として……、貴方をっ!だから……、…………!」
彼女の言葉を聞き漏らさないように、スマホを頬に近付ける。なんだかパミナちゃんにキスでもしてもらってるみたいだ。なーんて、熱狂的なファンなら毎日しちゃうような妄想。
でも、そんな妄想が、ファンを、僕の心を、救ってくれたりするんだよな。
「ああ……、もう一度……、『歌』が……、聞きたかったなぁ……」
◇
理科準備室の扉を開けたら、民生お兄ちゃんが血だらけで倒れていた。でも、これはお兄ちゃんなのだろうか。まるで人形みたいな、テレビで観たロボットみたいな。自分の血も見たことないのに、誰かの血なんて初めて見たから、どうしたらいいか分からない。
血まみれの銀色の機械が、その胸からは飛び出していた。
スマホからは女の人が、いやだよぉ!とか、死なないで!とか叫んでいる声が聞こえる。
怖くて逃げそうになる足を、どうにか思いとどまらせる。震えて強張る身体を、なんとか動かそうとする。
あれは、あれはお兄ちゃんじゃない。お兄ちゃんが、あんなふうに死んじゃうはずない。アマネを置いていっちゃうわけなんかない。
そんなわけない。
けど。
それを、確かめなきゃ、いけない。
「お兄ちゃん……?」
返事がない。お兄ちゃんからは。
「天音ちゃん!?」
名前を呼ばれてアマネは、お兄ちゃんに、お兄ちゃんのようななにかに一歩進んだ。
耳元にあるスマホの画面が見えて、いつもお兄ちゃんが観ている配信のアイドルの人が涙をぬぐっているのが見えた。
「……お願いっ!私を……、スマホを取ってっ!そして……、民生くんの……、お兄ちゃんの、私たちの思いをっ!世界に届けてっ!ザラストロ、配信準備をっ!」
急にそんなこと言われても、できないよ。いまのアマネには無理だよ。だって、だってお兄ちゃんが……
「お兄ちゃん……。民生お兄ちゃん……、起きてよ……。アマネ、どうしたら…………」
足元には胸に穴の空いた血だらけのお兄ちゃん。顔の色は真っ白で、顔はところどころが破れている。その下には、銀色の金属のようなものも見える。光を失った目が、少し動いた気がした。
「……もう一度、『歌』が聞きた…………」
お兄ちゃんの声がした。民生お兄ちゃんの声だ。
お兄ちゃんが、私に唄ってほしいって言ってる!
お兄ちゃんの耳元にしゃがみこむ。
スマホを手に取ると、血がアマネの手にべっとり付いた。でも、そんなことに構ってられない。大切なお兄ちゃんの願いを、アマネは叶えてあげないと。だってアマネは、お兄ちゃんの、家族なんだから。
たったひとりの、妹なんだから。
呼吸を整える。お兄ちゃんには聞こえているだろうか。聞いてくれているはずだ。だって、アマネのお兄ちゃんは、いつだって優しいお兄ちゃんだもん。
お兄ちゃんのために、アマネは唄うよ。ちゃんと、聞いててね?あとで、感想きかせてね?
涙が溢れそうになる。ダメ。泣いたら上手に唄えないじゃない。
目を閉じる。大きく、息を吸った。
「おにいちゃん いつもありがとう ずっといっしょ いつまでも このせかいがおわっても ああ いっぱいあそんで いっぱいわらって いっぱいないて いっぱいおこって すてきなおもいで もっとふたりで あしたはきっと はれるから だから きょうは もうねむろう おやすみなさい おにいちゃん また あした また ふたりで」
魔笛 東北本線 @gmountain
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