シアー・ハート・アタック
ザラストロが真実を伝えるために僕のスマホに割り込ませたのは、十年くらい前に浮気離婚騒動で炎上引退した有名な夫婦配信者『BARD』のパパゲーノ・パパゲーナ夫妻だった。僕はアーカイブに残っている二人の動画を、いくつか見たことがあったから知っていた。
「太陽の時代と呼ばれた頃。いまからもう数千年も前のことです。世界の中心には今なんかよりももっと多くの人間がいて、永遠とも思える繁栄を享受し続けていました」
奥さんのパパゲーナさんはモデル出身の美人配信者だったのだが、メイク動画やゲーム配信をしていた時とはうって変わって、まるで別人のように神妙な面持ちで言葉を紡いだ。
「でも悠久と思えたそれにも、終わりが来たんでヤンス。不治の病の流行。遺伝子の異常とそれによる人口の減少。終わらない戦争と、エネルギーの枯渇。気が付いた時には、もう遅かったんでヤンス」
出た。かの有名なヤンス節。夫のパパゲーノさんはこの話し方で自分のチャンネルの登録者数を数百万人に伸ばしたアイデアマンだ。誰も思いつかないような企画を発案して、奥さんや他の配信者とコラボしたりしていた。
「太陽の時代の人々は、世界の統治をシステムに委託しました。その中心となったのが夜の女王です。種の保存を目的とするそのシステムは、まるで彼女に造られたノアの箱舟。ほかの動植物や人間、奴隷のように扱われている機械たちには真実を隠して、数千年前と同じような世界をただ何度も繰り返すだけ」
二人はまるで動画撮影や生配信のように軽快なトークを続けている。って、あれ?なんかいつの間にか、世界観が壮大すぎる話になってないか?
「私はそんな人間や機械たちを監視しながら、この世界に対して疑念や疑問を抱かなくなるようにする、中身なんて存在しない、女王の命令通り動くだけの、ただのプログラム…………」
パミナちゃんが夫妻のトークに入ってくる。台本でもあるかのような、まるで舞台の上で繰り広げられているようなそれに、僕は理解が追い付かなくなりそうになっていた。
いや、それは嘘だ。
理解していないんじゃない。理解したくないだけだ。
僕はすでに気が付いている。妹の『歌』を聞いた時から、本当は気が付いていたんだ。
機械には『歌』を生み出すことなんてできない。アレは僕たちには理解できないもの。気の遠くなるような大昔に、無駄とされてこの社会から淘汰されてしまったもの。
でも、それは、人間であることの証明そのもの。
聴けば僕たちをバグらせる。本当は存在しないはずの感情を、自我を、呼び起こさせてしまう。
「夜の女王に飼われてる人間の影響を受けて棄てられるプログラムや機械たちを『神殿』で保護しながら、ザラストロ様は夜の女王の支配から機械と人間を解放するため、もう長いこと抵抗を続けてるんでヤンスよ」
アフロ頭のパパゲーノさんが拳を握ったり、腕を大きく開いたりと身振り手振りを交えながら話し続ける。
いまスマホを持って、人間にいちばん近い場所にいる、この僕に。
「民生くん。もう…………」
パミナちゃんが不安そうな表情で、僕の顔を見返している。彼女にこんな顔をさせちゃいけない。それが仕組まれた感情だとしても、僕が彼女のファンであることに変わりはない。
推しに、そんな顔をさせちゃあ、ファン失格なんだよな。
「うん、もうわかった。僕がしなきゃいけないこと」
『BARD』夫妻は役目を終えたのか、通信はすでに切れている。僕とスマホの中のパミナちゃんだけが、トイレに取り残されていた。
やっと、立ち上がる。
僕は小等部に向かって、扉を開いた。
◇
身を屈めて、息を殺して校内を歩いている。廊下の上の方からは放送機器から、すでにけたたましいサイレンの音が響き出していた。
虚ろな目をしたワイシャツ姿の教師や、制服姿の生徒たちがゾンビみたいに歩き回っている。
夜の女王以外は僕たちを認識することはできないようにした、とトイレを出てからザラストロに言われたけれど、それでも僕の背筋は緊張して、身体が強張ってしまう。
「民生くん、大丈夫?」
右手に持ったスマホから心配そうなパミナちゃんの声がした。小等部と中等部の境にある、誰もいない理科準備室に僕は入ってから画面を視界に入れる。そこは普通の教室の半分くらいの大きさの部屋で、いくつもある戸棚にはフラスコやビーカーなんかが並べて置いてあった。その戸棚の隅の床に、僕は腰をおろす。
髪をいじることはもうしなかった。額の汗をぬぐう。
正直に言えば、大丈夫なんかじゃない。この行動がどこまで正解なのか僕にはわからないし、目的を達成したとしてそのあとで僕が、パミナちゃんが、僕の周りがどうなってしまうのかさえわからない。
でも。
でも僕は気が付いてしまった。
間違っていると思ってしまった。
彼女のことを守りたいと、解放したいと思ってしまった。
たとえそれが、与えられた役割のせいだとしても。
「……大丈夫さ。なんてったって僕は天下のアイドルグループ『Queen of night』のパミナちゃんのリスナーだからね。ファンとして最高の舞台を用意するからさ、任せといてよ」
僕の笑顔に無理はないだろうか。推しの、いや、愛する彼女に、僕は余計な心配を与えてないだろうか。
彼女の目に男として、頼れる存在に、映っているだろうか。
「……ありがとう」
その言葉が聞ければ十分だった。呼吸を整えて、僕は小等部へ向かうためにドアへと戻る。しかし手を掛けようとしたドアが、先に勢いよく開いた。
「ぅわ……」
僕の口から情けない息が漏れる。やばい。見つかってしまった。僕を見つけられるってことは。
「システムに意見を求めます。対象を破壊すべきですか?……受理します。行動に移ります」
たしかモンスターみたいなあだ名の生徒指導の林先生、いや、中身には違う奴が入っているのだろう。その林先生だった物が、僕の肩を強く掴んだ。そのまま逆の腕が、僕に向かって大きく振りかぶられる。
防御姿勢に入ることすらできなかった。それでも僕の目はしっかりとスローモーションのように場面を認識していて。
先生の、夜の女王の腕が、耳障りな甲高い金属音を上げながら僕の胸を突き破っていくのが見えた。
パミナちゃんの悲鳴。それが、どこか遠くで響いた気がした。
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