第3話 限界なんてありませんよ
訓練場は、東京本部に隣接する山の谷底だ。精霊の力は、要は自然の力なので、発揮する場として山の中が最適だと考えられているからだそうだ。周囲を岩壁に囲まれ、突風も吹けば、山の天気ということで突然雷雨に襲われることもある。だから、模擬戦闘を行う訓練場にぼけーっと突っ立つのは、災害の中に飛び込むのと同じくらい危険だ。安全のため、岩壁の中に直方体状のスペースが作られており、そこから訓練を見学することになっている。
訓練場の真上まで来ると、茂之先輩は「じゃ」と谷底への階段を下りていく。綾崎先輩は、私と一緒に見学スペースへの階段を下りる。見学スペース内にはベンチがいくつか置かれていて、さも「見学してください」と言わんばかりだった。綾崎先輩は「やっぱ訓練場はちょっと涼しいな」と言いながら汗を拭う。
「演練、楽しみだね」
その声は、私に向けられたものではなかった。声の主は、私と綾崎先輩の斜め前に座った男女の二人組だ。肩章がないので研修生だろう。綾崎先輩は「入寮日に演練デートかよ」と笑っている。
「例の守貴隊員もいるんだってさ」
「誰それ?」
「知らないの? 最年少十官になるだろうって言われてる守貴隊員だよ」
綾崎先輩がニヤッと私を小突いた。(正確には五年前から知っているとはいえ)数分前に知り合ったばかりなのに、なんだか、すっかり仲が良い先輩のようになっている。
「十官っていえば、大体は代々ユースティアを輩出してる一族か、五家がなるものなんだよ、
知らない人、ありがとう。私が言いたい茂之先輩の情報を全て伝えてくれた。思わずその背中に向かって拝んでいると、綾崎先輩はギャハハとでも聞こえそうな様子で笑った。
二人組の話題はそこから研修の内容に移ったので、綾崎先輩は興味を失くし「あれ、そういや百十一期にも五家の誰かいるんじゃないっけ?」と。私達の代は、ユースティア百十一期だ。
「いますよ、三千風家です。私達の代の首席合格はその男ですよ」
精霊の力を最も強く与えられたといわれている五家。その中の風の一族・三千風家の長男である三千風
「分家もいるみたいですけど、私はあんまり詳しくないです。三千風家の研修生ってそんなに有名なんですか?」
「そりゃ、五家の長男だからなあ。幹部候補どころか隊長候補だろ。俺達の上官になるかもしれないからな」
実際、ユースティアの幹部といえば五家がその大きな割合を占めていた。幹部に上り詰めるために必要なのは圧倒的な能力で、その能力は遺伝子に左右されるところが多い。必然的に幹部は五家となる。
「ま、だから仲良くして損はないんじゃない? どんなヤツかは知らないけどさ」
そうこうしているうちに、ビー、と警告音が鳴り始める。演練中に場内に降りるのは危険なので、それを禁止するための合図だ。
演練の勝敗は、隊員が肩章に通している飾り紐によって決まる。肩章から飾り紐が外れたら負けなので、奪うもよし、術式を使って千切るもよし、刀で切るもよし、というわけだ。
身を乗り出すようにして訓練場を見下ろすと、茂之先輩の対面に本隊員が立っていた。
「お、
「妃水って、五家の妃水ですか?」
「そうそう、で、あれは俺らの同期の妃水だな。茂之がいなけりゃ俺らの同期のトップはアイツだったな。あんまイイヤツじゃないよ」
「すごいこと言いますね」
「無名の茂之に負けたのはそりゃ悔しいんだろうけど、それにしたってまあ感じ悪いからな。なんてんだろう、性格は悪くないのかもしれないけど、ガキなんだよ」
訓練場から見学スペースまでは少し距離があるので、その妃水隊員の顔などは全く見えない。とはいえ、妃水家ということは水属性の隊員だ。火属性の先輩は不利なのが明白。
「茂之先輩と妃水隊員の模擬戦闘、今日が初めてなんですか?」
「いやー、よくやってるよ。結局、百二期だとあの二人がずば抜けて優秀だからな。演練って、レベルが拮抗しないと意味ないからな、妃水も茂之とやるのがいいって分かってんだよ」
ブザーが鳴り止んだ。
途端、抜かれた二人の刃のぶつかる音が、カァンッと響き渡る。谷底なので平地よりもずっと大きな音が響き、私達のいるところもビリビリと空気が震える。
「Liz pendlum, et shinebe en penexis」
妃水隊員が詠唱を始め、茂之先輩は素早く飛びのいた。でもその口が開く先に「eauleprit, apprater」詠唱が終わり、妃水隊員が刀を振るのに合わせて、水流が一閃した。
水圧におされた茂之先輩の体が後方に飛び、慌てたように手をついた隙に「Liz pendlum」次の詠唱が始まる。やがて無数の水滴が矢のように飛んだけれど、茂之先輩も詠唱を始めていたらしく、火の壁がそれを弾いた。
「なんで妃水隊員はフル詠唱なんですか?」
「フル詠唱のほうが当然威力は高いからね」
炎VS水の戦いが眼下で繰り広げられる中、綾崎先輩が頬杖をつきながら教えてくれた。
「詠唱の省除は、鍛錬を積めばある程度は誰でもできるようになる。詠唱の構成は分かるよね?」
「はい。精霊の力を借りる潔白な身であることの宣誓と、力を貸してくれるようにとの
「すごいすごい、やっぱこういう知識は研修生のほうがあるよな」
ちょっとだけからかうような口調とも思えるけれど、心底感心しているらしいのはその表情で伝わってくる。
「詠唱を省除できるのは、長年の鍛錬によって宣誓と祈請をしたことにできるから。まあ、言ってしまえば日頃の行いみたいなもんだよね。日頃の行いがいいから、発動の度に宣誓とかしなくていいってわけだ」
「でも呪文の詠唱は省除できませんよね?」
「できない、というか、正確にはそこを省除できるのは、ごく限られた隊員のみだね。てか、基本的には五家しかできない」
宣誓や祈請と違い、呪文は、どんな力を発動させるか、精霊に示す役割を果たしているからだ。
「呪文を省除できるのは、精霊の加護を一番に受けてる五家の中でも、更に限られた者だけ。だから、そういう連中のことを『精霊に愛されてる』って言い方をするよね」
「ああ、なるほど……そういうことなんですね」
ふむ、と頷く私の視線の先で、まさしく茂之先輩が宣誓と祈願を省除して呪文だけを詠唱したところだった。ドオッ、と火柱が私達の目の前まで上がり、見学スペースまで熱気が漂ってきた。
「話は戻るけど、妃水が詠唱を省除しないのは、茂之の実力を警戒してるからだろうね。属性の相性がいいとはいえ、五家の妃水を抑えた無名の首席だから」
「さすが茂之先輩……」
「実際、あれを詠唱省除でできるのはすげえよ」
茂之先輩の刀が炎をまとい、刀を振った瞬間に熱風が妃水隊員を襲う。妃水隊員は咄嗟に訓練場の岩の裏に隠れるも、熱風は岩を泥のように切り裂き、妃水隊員の頭上を通過する。
「結局、フル詠唱は時間と威力との天秤だからね。隙を少なくするとはいえ、相性悪い妃水相手に詠唱を省除してんのは、同期だと茂之くらいじゃないかな」
「演練を通じて茂之先輩の株が上がりっぱなしです」
「もう限界まできてんじゃないの?」
「限界なんてありませんよ」
そのとき、訓練場全体に文字通り暗雲が立ち込めた。慌てて妃水隊員の様子に目を向けると、茂之先輩の攻撃をかわしながら術式を詠唱し続けている。
水属性最大級の術式のひとつ「
「綾崎先輩! これじゃ茂之先輩が負けるじゃないですか!」
「まあ、相性なんてそんなもんでしょ」
「そんな呑気なこと言ってないで!」
「演練なんだからそんな騒がなくても。いや、てか、たかが演練で二級術式使うのやべーな」
茂之が怪我したらどうすんだ、と嘯くのを聞いてハッとする。その通りだ。
「え、演練で大怪我することなんてあるんですか?」
「大抵は不慮の事故だけど。監督官もいるし」
「今回は事故じゃないですよね? え、監督官に止めさせたほうがいいんじゃ」
「まあ、茂之なら大丈夫じゃない?」
だから相性が悪いって話を──と続けようとしたとき、私達の眼前で日本刀が躍った。妃水隊員の日本刀だ。茂之先輩に弾き飛ばされ、この高さまで上がったらしい。
そして、ボッ、と妃水隊員の体が炎に包まれた。私達は息をのんだけれど、すぐに炎は消え、妃水隊員が火傷をした様子はなかった。
ただし、茂之先輩の刀の切っ先が妃水隊員の肩章を掠った。
ビーッと警告音が響き、演練の終了を告げる。訓練場には陽光が戻り始めていた。
次は別の隊員の演練が始まるけれど、茂之先輩さえ見れば私は興味はない。すぐに立ち上がって出ていこうとすると「本当に茂之しか興味ないんだな」と笑いながら綾崎先輩に追いかけられた。
「一応、この後に教官面談を控えてもいるので」
「なるほどね。ま、最初に茂之と妃水の演練見たら、この後は迫力がないだろうなあ」
訓練場から崖の上に戻ってきた茂之先輩はずぶ濡れだった。何度か妃水隊員の術式を受けていたので、そのせいだろう。上着を脱いで絞りながら「妃水のヤツ、ガンガン術式連発しやがって」と文句を言っている。
「お疲れ様でした!」
「疲れた。飯奢って」
「デートしてくださるんですか?」
「お前の都合良い脳内変換に付き合う元気もない」
茂之先輩の足跡が水で濡れている。妃水隊員の術式が発動されずに終わったお陰で、地面はカラッと渇いていた。
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